2023年08月05日

美濃古道−11:月霊旗縦走(8)−月光山(2)

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【写真説明】既に紹介済みだが、月霊旗縦走路中、林務局管理下の国家歩道に属するのはこの月光山と霊山のみだ。初めて月光山へ取り付いた際は、国家歩道の指導標のスタート(最下段)より遥か下にあるこの土地公(上段左写真)の空スペースに駐車し歩き始めた。実際、ハイカー向けの駐車場はまだ上にあり、スタートゼロ地点は更に上だ。土地公〜スタートゼロ間の距離はざっと2`、しかも急坂、まるで筆者の要領を得ぬ人生の如し、苦労するが何も得られず。反省を込めて何の変哲もない台湾の廟を差し挟んだ。その国家歩道ゼロ地点に立つ案内板(上段中央写真)、正規の歩道長丁度3`であることが判る。月光山と双峰山との分岐点に立つ指導標を過ぎると、月光山方面は直に稜線に出る。右写真は稜線に出る前に出合うガジュマルの大木。筆者にとり稀有な快適さに襲われる月光山東側稜線だが、筆者の技術では何の変哲もない坂道に変じてしまった(下段左写真)。その稜線の頭から月霊旗縦走路を俯瞰(中央写真)、旗尾山ピークは最奥。月光山頂上の光景(右写真)。登山道はここで終りというわけではなく、実際まだまだ東進が可能だ。今回掲載した写真は、2016年12月、2017年11月、2019年10月の三回に渡る山行中撮影したものから選んだ。

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2023年07月22日

美濃古道−10:月霊旗縦走(7)−月光山(1)

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【写真説明】月霊旗縦走路の内、西半分の「霊旗」間の紹介は終えたので、東半分の「月霊」間の紹介を行い、この国民的南台湾縦走路の紹介を了えることにするが、実際紹介するのは、「美濃古道」の部分で同縦走路の一部を紹介済みと云うこともあり、雙峰と月光山の二座のみだ。

雙峰はその名の示す通り双耳峰で美濃市街から良く見えている(左写真)。同写真手前の建物は日本時代の美濃警察分駐所警吏宿舎の復元、同地は美濃文創中心(美濃文化センター、ウィキペディアでの紹介は中文のみ)と呼ばれこの警察機関遺構を中心に再開発された区域で、美濃市街地の中では最も賑やかな界隈だ。美濃市街地と縦走路の近しさが感得出来ると思う。この頂上に至るには複数のルートがあるが、最も判り易いルートは、国家歩道指定の月光山歩道が月光山頂上へ至る稜線にマージする際、そのまま産業道路を歩くとその産業道路が雙峰頂上まで繋がっている。この産業道路は雙峰頂上に設けられた通信施設の建設・運用に供されたもののようだが、途中道路が大きく崩壊しているので、今は極上の登山者専用休憩所(中央・右写真)に変じている。雙峰頂上は月霊旗縦走路上には無いので、縦走路からのちょっとした空身の往復が必要だ。(続く)
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2023年07月08日

美濃古道−9:旗霊縦走(2)

Kodou-2914.jpg【写真説明】霊山と云うピークは複数箇所あり、筆者の方でそれらのネタを準備し読者の皆さんにシェアさせていただきと考えていたが、発展的な情報と云うには遠く、一般的な情報の押し売りになりそうなので冒頭でお断りしておく。市販の地図でカバーされるのは以下が一般的で、この他にも様々な形態のコンクリート製石柱が埋められており、それらを借りて山の頂きと看做し山名を提供する作業は戦後、台湾人ハイカー達に依り「遊び」として為されて来た。筆者は或る程度それら背景不明の石柱に反応する方だが、山登りに興味の無い者にしてみれば単なる古ぼけた石柱群に過ぎない:

1)霊山雷音禅寺−雷音寺を核とする霊場、林務局国家歩道霊山歩道の起点。
2)霊山歩道−林務局設営の国家歩道、雷音寺起点、人頭山迄の僅か1.5`に過ぎないが、月霊旗縦走路中のピーク中僅か二基の日本人埋定の三角点の一基が終点人頭山山頂にある。
3)霊山基点峰−台湾人の謂う基点峰とは、測量標準点のことだが、この一座頂上にある基点の測量との関係の有無は筆者には不明。
4)霊山東峰−最も新しい霊山のピーク。「新しい」とは最近頂上に転用出来る石柱を発見したと云う意味だと思う。
5)霊山(標高最高点)−霊山山域と看做される縦走路のピークの中の最高点。台湾サイトを見るとこの地点には頂上を示すマーカー等が残されているが、筆者が歩いた2016年当時は見た記憶が無い。見落としていないとすれば、この縦走路がハイカーで溢れ返るようになったのはつい最近のことだということだ。この地点の別名を旗尾山とも呼んでいるようだ。

今回掲載した写真は、筆者唯一の月霊(月光山-霊山)縦走時の霊山域の登山道脇の石柱で、最高点の北側、石柱には「承租人簡致」と刻まれているそうだから明らかに山登りとは関係無い。(続く)
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2023年06月24日

美濃古道−8:月霊旗縦走(5)−旗霊縦走

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【写真説明】旗尾山(祠)と全縦走路の中間点、霊山の間のメジャーなピークは、西から福美山、(大)金字圓山、人斗山(人頭山、霊山)である。筆者がこのコースを試みたのは二回しかない:2017年2月、旗霊縦走、完走出来ず金字圓山まで至らず、2021年2月、霊旗縦走、漸く完走。。。と云う具合だ。完走した際、車は旗山製糖工場に停め、タクシーで霊山登山口まで赴く方式を取った。上段左写真は霊山歩道出入口の霊山雷音禅寺、相当回数お世話になったが、これ一枚しか残っていない(撮影2006年6月)。中央写真は、霊山歩道を縦走路まで登り切った所に立つ指導標、同写真奥は月光山方面に東進する登山道が続く。背中側、西進すると旗尾山方面に辿ることになる(同2020年7月)。右写真はその背中側にある土地公、福徳祠で休むハイカー、ハイカーの交通量としては台湾南部のトップクラス。上述した「全縦走路の中間点」とはこの地点を指す(2006年6月)。下段左写真は、霊山歩道終点、人斗山山頂の地籍三等三角点。霊山歩道の縦走路と重なる部分は僅かに500b強しかないが、非常に快適な山登りが約束されている(同2006年6月)。中央写真は金字圓山山頂から人斗山の眺望。右写真は福美山山頂から旗尾山(祠)の眺望(以上二枚は2021年2月撮影)。
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2023年06月10日

美濃古道−7:月霊旗縦走(4)−旗尾山(4)

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【写真説明】上段左写真は、前回の投稿で掲載した下段左写真の撮影者背中側に位置する、「昭和十四年二月十一日建立」の銘を持つ「旗尾山祠」、残念ながらどのくらいの規模とデザインで存在し、それはどれ位の期間であったのか?台湾ネット上で関連情報を未だに見出せていない。その間に石碑表面の剥落は進む。左写真は2017年2月、右側二枚の石碑表裏写真は2004年4月撮影。この間の摩耗、剥落の進み具合が判るかと思う。下段写真は2019年3月撮影、筆者自身は約15年間気付かず妻が見出した石造仏像残骸。上段左写真右側に写る金属製手摺を伝い降りて行った場所である。当初は前々回に掲載した不動明王の彫り込みとの関係で地蔵菩薩かもしれないと勝手な想像をしていたが、トレードマークの髪の毛らしき意匠も見える。連日多くのハイカーが行き来する場所に露出している遺物だが、この石造物を紹介した記事を未だに目撃したことが無いと云う摩訶不思議。
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2023年05月27日

美濃古道−6:月霊旗縦走(3)−旗尾山(3)

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【写真説明】前回、前々回は旗尾山第一登山口と第二登山口から入山した際遭遇する植相と岩盤を紹介した。旗尾山第三回目の投稿は第三登山口からの極めて特異な登山道と登山である。その特異さ とは。。。。。900余段の階段は登山口からいきなり設えられているわけではない。先ずは緩い登りの産業道路を15〜20分程歩く必要がある。そこから階段が始まり健脚なハイカーは15分内外で登り切ってしまう。詰まり片道半時間の登山ということだ。この階段登りを日課としておられる方が居るそうだ。筆者の場合、登りの苦しさを心理的に軽減する為に、100段毎に声を出している。この子羊生活遊戯方式は効果がある。上段左写真は第一・ニ登山口から登って来たハイカーが第三登山口からのハイカーと出会う三叉路で、850段辺りの踊り場だ。同写真左奥に見える岩場は前回「旗尾山(2)」に掲載した右写真の岩場と同一だ。中央写真は旗尾山頂上の鉄筋二階建ての大東屋への入口、右写真は旗尾山山頂への最後の一段状にペイントされた段数。下段左写真は、三等三角点、筆者は長い間地籍三角点、詰まり日本に依る台湾領有初期臨時土地調査局が埋定したものと思い込んでいたが、台湾ネット上では戦後、水資会、或いは水資局なる国民政府機関に依り埋定されたということになっている。今現在だと台湾自來水公司の一機関だと予想されるが筆者自身は特定出来ず、又、明確に過去の当該機関の成立・背景を記したものに出会えていない。従って「水資局高屏64号三等三角点」のような情報提供には不足はないが、残念ながら出所が全く示されていない。
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2023年05月13日

美濃古道−5:月霊旗縦走(2)−旗尾山(2)

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【写真説明】月霊旗縦走を魅力的なものにしている要素として、二つの景観の取り合わせ−外側に広がる美濃・旗山の豪快にして緻密な眺望と、内側の登山道に取り込まれた泥と岩石の取り合わせの妙―が自然にして絶妙と云う点があると思うが、筆者の筆力と撮影術ではそれを披歴するのには無理がある。旗尾山第二登山道と主脈の第一登山道が出会った後は、登山道を形成する岩石の塊が次第に大きくなり、第三登山道と第一登山道が出遭う旗尾山頂上直下迄、岩石との格闘、或いは会話が続く。又、これら岩石群は高度を上げるに従い、外側の眺望に対する露出度が大きくなる。今回は、上記区間に鎮座する巨石を三例紹介することに留めたい。然も無くば相当数の写真で埋めなければならない。第一登山道と第三登山道の出会い、即ち旗尾山頂上直下にある右写真の巌(いわお)に不動明王と刻んだのは日本人だと思う。頂上には「旗尾山祠」の碑があるのだが、旗尾山を取り巻く今は散乱し尽しているように思える日本時代の宗教施設の調査報告書の類に出会えていない。三枚とも2017年8月27日撮影。(続く)
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2023年04月29日

美濃古道−4:月霊旗縦走(1)−旗尾山

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【写真説明】先ずは月霊旗縦走路西端の旗尾山第一登山口の風景写真を掲載することにしていたのだが、幾ら探しても見付からない。その登山口からいきなりハイカーを興奮させてくれる登山道風景と情況が連続する。二つのピークと各々の三角点に出遭えるのは申し分無し。その先で第二登山口からの登山道が出遭う部分の森の様相は格別だ。左写真は、第二登山口から登り始め、第一登山口からの主脈登山道との出遭い直下で撮影。同写真に写る大木は、(筆者の記憶が正しければ)マンゴーの栽培木である。中央写真は上記の三叉路の風景、主脈登山道が三叉路を過ぎた辺りでの撮影。三枚とも2019年10月6日撮影。
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2023年04月15日

美濃古道−3:美濃古道(3)

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【写真説明】初回のトライアルだったので、月光山−霊山縦走路に出会うまでは長く難儀な登山を強いられたと云う感が強かったが、台湾ネット内で提供されているGPX情報に依ると、月光山トンネルの南北端を結ぶ古道部分総延長は約3`程度しかない。ここに掲載した写真上段は、古道景観、基本赤ペンキの矢印が、中段左・中写真のような純手製マーカーと共にハイカーを誘う。中段右写真は、月霊縦走路から美濃越嶺道北側の高雄市杉林区の眺望。掲載写真下段は縦走路越嶺点付近の景観。但し、実際の越嶺点は縦走路をもう少し西側に辿る必要があり、その知見を持ち合わせていなかった為、月光山トンネル北側出入口に到る下降ルートを見付けられず。そのまま辿って来たばかりの未整備状態の古道を折り返すのは体力的に負荷が大きいと誤判断、月霊縦走路を月光山方面へ辿り駐車地に戻って来たが、6時間を超す歩行となり疲労困憊、そのまま折り返していれば恐らくその半分以下の時間で済んだはずだ。(終り)
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2023年04月01日

美濃古道−2:美濃古道(2)

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【写真説明】美濃古道南端へのアクセスは、月光山隧道南側出入口付近から西側に開鑿された産業道路を辿ることになる。美濃第四公墓とナンバリングされた共同墓地の中に在る。上段左写真は、市道181号線となる月光山トンネル南側出入口と、古道南端に至る産業道路との分岐点。中央写真は、古道南端地点に鎮座する土地公、この裏に土地公に参る人々の為に設けられたベンチがあり、その脇にて正真正銘の美濃古道出入口に迎えられる。そこには、下段左写真に写る二基の指導標残骸が置かれていた。左側には「美濃百年越嶺古道登山口」、右側には「美濃古道莿桐坑登山口」の表記が見える。中央写真は、古道登山口より入り込んだ所で振り返り登山口側の古道状況を撮影、右写真は同地点の進行方向側の古道状況。2019年10月時点でさえも美濃古道へのアクセス密度は低いものだった。筆者はそれ故興奮したのだ。(続く)
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2023年03月18日

美濃古道−1:美濃古道(1)

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【写真説明】月光山と旗尾山を結ぶ縦走路中、手作り指導標は豊富に配置されている。左写真の電柱上の指導標はその一例。中央写真は同縦走路中に繰り返し表れる「月旗」のマーキング。右写真は縦走路中初めて遭遇した「美濃古道」のマーキング。詰まり東西に走る月旗縦走路と南北に交差する越嶺点である。

壽山古道と云う固有名詞の意味する所は極めて包括的な呼称だった。美濃古道も壽山古道と同じく美濃地区の古道の総称と思い込んでいたのだが、実は独立した所謂越嶺道である。月光山から霊山を目指し、月旗縦走路を初めて穢した2016年12月に、「美濃古道」のマーキングを目撃、改めてこの縦走路を歩くことを誓った。それから約三年後の2019年10月にこの越嶺道を南側からアクセスしたのだが、月旗縦走路から外れる越嶺点が判らず、美濃古道経由の完全な越嶺を逸してしまった。それでも久々に古道然とした旧越嶺道を踏査する機会に恵まれ興奮した。古道発生機序の第一は越嶺道である。美濃古道とは現在月光山隧道に襲われた月旗稜線を乗越し、現在の行政区画では美濃区と杉林区を繋ぐ交易道だ。このダイヤグラムで嘗ての越嶺道が現代のトンネル開鑿技術の恩恵を被り古道に転じた背景が良く分る。月光山隧道のトンネル部分は灰色表記になっているが、現代の古道歩きはこの灰色表記の南北両端を結ぶ線に沿う。(続く)
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2023年03月04日

美濃古道−0:概観

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【写真説明】美濃を代表する文物を一つだけ挙げよと問われれば誠に難しい問題だ。筆者は生涯(願わくは)一ハイカーと云う立場から、玉山山脈最南端を形成する月旗(縦走)稜線(月光山−旗尾山)を提案することにする。このGoogle Mapから起こしたダイヤグラムは、高雄市街地と旗山区を結ぶ高速道路10号線が旗山市街地に近付くに連れ眼前に立ち現れる大山岳の容貌を呈する稜線のシュミレーションである。左写真は旗尾山山頂の展望台から北側を望んだ(2019年6月撮影)。中央写真は旗尾山山頂直下から南側、前述稜線の最後尾を望んだ(同撮影)。右写真は、月旗稜線を美濃側から望んだもので、月光山(右側)と旗尾山(左側)共に写り込んでいる。畑の作物、誠に申し分けないことに失念した(2019年11月撮影)。
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2023年02月18日

壽山古道−37:半屏山(9):半屏山地下水庫(配水池)

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【写真説明】今回紹介する遺構のみ、肉眼に依る確認が未達である。高雄市が調査・研究・報告を委託した高雄市舊(旧)城文化協會(会)が、戦後70余年封印されていたとされる、この「地下水庫(配水池)」(「地下貯水施設」)を「発見」したのは、2017年12月である。台湾メディアが騒ぎ出したのは翌月、2018年初旬だと想像されるが、筆者のアンテナには掛からず仕舞いで、昨年前半に半屏山に関し調べ物をしている途上で知る事になる。従って、当該ニュースが実際台湾メディアの報道合戦の様相を呈したかどうか?一般人の反応がどうだったのか?は実は筆者には判っていない。加えて、「発見」(旧城文化協会作成の報告書中の単語)と云う単語が適当かどうか?も筆者には判然としない。壮大な地下貯水施設の少なくとも配水管の大部分は今は台湾中油の管理下にあるはずで、戦後の国民政府の接収時に引き継がれたはずだ。『半屏山日治時期戰備設施先期調査計畫成果報告書』(70〜75n)中掲載の各ダイヤグラムを見ると筆者の使った「壮大」の意味が朧気乍ら見えてくると思う。「地下水庫 半屏山」でユーチューブ検索した結果を埋め込んだが、各タイトル何れも扇動的だ。序でに貯水タンクの規模が視覚的にイメージ出来る絵を右側に配した。

メディア関係者以外の一般人がこの新発見の現場をシェアして貰うにはどうすればよいのか?中油幹部とのコネクションがあれば良いのだろうぐらいは考えつくが、それ以上のアクションを起こしていない。地下ダムの配水管の延長線が偶然かどうか?は判らぬが、半屏山脊梁最高点の展望台に突き当たる(前出論文70n掲載写真参照)ので、地下50bに設営された巨大貯水タンクの在処を想起させる何物かが地上に突き出ているのではないかと云う原始的な想像に尽き動かされ、勝手に半屏山脊梁西側を徘徊し撮影したのが今回掲載した写真である。北砲台へ至る旧軍備道沿線に中油がフェンスを張り巡らせているのは既に述べたが、#2ゲートの中油側にカメラが据え付けられていた。又、同じゲートの自然公園側の間道にはロープが引っ張ってあった。右写真は防火設備の様で日本海軍とは何の関係も無し。詰まり、結局何の収穫も無かったのだが、今はこの程度でお茶を濁すしかない。そのうちに壽山国家自然公園と中油とで外部向けの常設示を企図する可能性があるかどうか?筆者の感覚では中油が同意するとは思われないが。いずれにしても、極めてユニークな『水の古道』だ。

以前同カテゴリー内で「打狗水道」として、その取水から給水までのインフラを紹介したことがある。今現在の高雄市への原給水システムである打狗水道と、旧日本海軍の半屏山地下ダムへの給水システムは同一かどうか?というのは筆者の素朴な疑問だったのだが、旧城文化協会論文では、後者の水源地は大泉浄水場(Googleマップ上には「政府機関」のマーキングあり、軍管理下と云う意味だろう)、打狗水道の水源地、竹寮取水站の同じ高屏渓右岸沿いの約3`北方に位置する。その後、現在の自來水仁武浄水場を経由し半屏山まで運ばれていた。どちらの浄水場も筆者はまだ足を運んだことがなく、宿題が積み上がったが、それはそれで良いことだ。(終り)
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2023年02月04日

特別投稿:薩摩藩大口筋白銀坂

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【写真説明】前回の投稿の日付けから二日後、1月23日早朝に、筆者の妻、台湾人「龜龜」(北京語読みで「グェイ-グェイ」)は逝ってしまった。筆者の過去の投稿の中で、時折「G博士」として登場願った。子供の頃、動作がのろかったのでそういうあだ名を付けられたと云う風に記憶している。亀ちゃんと云うわけだ。昨年六月にその妻を帯同し筆者の実家、鹿児島に引き上げて来た。1988年に日本を離れ爾来日本に定住したことはなかった。国史跡に指定された白銀坂は著名な古街道なのでご存知の方が多いのではないかと思う。この古道ブログでも将来独立したカテゴリーを設け紹介するかもしれない。

白銀坂は妻と歩いた最後の古道となってしまった。昨年12月初旬と年初3日の二回に分けて歩いた。それから約三週間後、失神、昏倒、全身痙攣を同日に二回繰り返し、顔が腫れ上がって来たので脳内出血を疑い救急車を要請、診断の結果、脳に損傷は無かったが頸椎損傷あり、但し、肝臓がボロボロの状態であることが発覚、医師には非常に危ない状態であることを知らされた。救急車で搬送後24時間も持たず心肺停止、朝6時30分が死亡時刻となった。48歳、死亡届の医師の診断書には「肝不全」と「敗血症」の二つの病名が並んだ。

お正月、二回目の白銀坂踏査の際、二人で写した写真があり、それが二人で写した最後の写真となった。さすがにその写真をここに掲載することは差し控えるが、二回の踏査中、先を往く妻が写る写真が三枚あった。

筆者が台湾古道、台湾山岳にのめり込み、過去二十余年、台湾全土を縦横に歩き廻れたのは妻のお陰である。月並みな文句に聞こえてしまうが、筆者の方から妻に対し何の恩返しもしてやれなかったのは痛恨の極みである。これから、何処の古道でも山道でも良いのだが、そしてそれを日本でもやろうとしていたのだが、妻と手を取りながら歩き続ける術(すべ)は本当に無いものだろうか?(終り)

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2023年01月21日

壽山古道−36:半屏山(8):半屏山北砲台

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【写真説明】旧戦備道を半屏山北端迄詰めると学術調査上は「北砲台」と呼称される三層構造の大砲台遺構に至る。最初に目に飛び込んで来るのは三層構造の内中層の砲口(左写真:パノラマもここに埋込み)で、当時南進政策の最前線基地左営港を睨んでいる。その上の上層構造物は中央写真に写る観測所で、ロッククライミングを思わせるハングオーバーの構造物(パノラマもここに埋込み)だ。右写真はこれらの北砲台遺構を擁する半屏山北峰を南側から望んだ。同写真右側に写る軌道は台湾高速鉄道。
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2023年01月07日

壽山古道−35:半屏山(7):半屏山機槍堡

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【写真説明】明けましておめでとうございます。今年も弊ブログを御贔屓賜りますよう御願い申し上げます。持病に依る体力低下に加え、タイプ等の細かい作業に対する生理的・心理的抵抗が次第に大きく為りつつあることを考慮し、本年年初より本ブログの更新頻度を二週間に切り替えさせて頂きますので御了承お願い致します。

前回紹介した防空壕を過ぎ北側に僅かばかり辿ると、当該遺構に行合う。試しに「機槍堡」をグーグル翻訳に掛けてみると「機関銃砦」と返された。恐らく別な専門用語があるはずだが、今はこれで良い。左写真はサンゴ石を利用したプリミティブな塹壕と、サンゴ礁内に開鑿された戦備道と併せ南側から撮影、台湾南部のユニークな軍事インフラ遺構だ。中央写真、右写真は同じ塹壕の正面、並びに内側。現在迄の所、同種の塹壕遺構は半屏山内でここ一箇所の模様。(続く)
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2022年12月31日

壽山古道−34:半屏山(6):半屏山防空壕

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【写真説明】脊梁西側の最も北側の登山口は左営慈母慈恵堂と云う廟堂である。ここの登山口は二つのルートに分かれており、一つはメインストリーム、もう一つはメインストリームより標高の低い場所に開鑿されており(左写真はその登山口、鉄条網は軍事施設)北側でマージするのだが、狭いサンゴ礁中の登山道で嘗て軍用道路(戦備道)だったと考えられる。中央写真は防空壕全体、約7bの長さで同写真画面を斜めに横切っている。又、同写真右側に排気口が突き出ている。その他の部分はカモフラージュされており構造物が見えない。右写真は防空壕出入口。台湾にはまだまだ多くの防空壕が存在するのだが、その効能は如何に?(続く)
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2022年12月24日

壽山古道−33:半屏山(5):半屏山南砲台

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【写真説明】半屏山を登山対象とし最高点の展望台を目指す場合、正規の登山口は脊梁西側の南部に三箇所ある。その内、最南部の登山口から入り木製の遊歩道の最初の踊り場の先の薄い藪の中(左写真)に、分厚いコンクリートの塊がバランス悪く居座っている(中央写真)。半屏山の登山道の中のメインストリームの脇に転がしてあるように存在する(右写真:実際は滑落、倒壊した後の状態)のだが、意識して歩かない限り目には飛び込んで来ない。事実、筆者はそれとして意識して初めて在処を確認したのだが、それ以前は全く筆者の視野外だった。不思議としか言い様がない。(続く)
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2022年12月17日

壽山古道−32:半屏山(4):半屏山洞窟工場

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【写真説明】前回の記事で案内板を訳出したように、台湾新幹線左営駅真向かいの後巷通りに沿い、三組の米軍爆撃避難地下工場(『半屏山日治時期戰備設施』論文、第77n)が日本海軍第六燃料廠に依り設営された。北側から、(半屏山)第四原油(洞窟工廠)、潤滑油、酸素の順にレイアウトされ、順に4、3、2連のトンネルで繋がっていた。これらの9箇所の出入口は今でも容易に見て取れる。今回はランダムに選んだ3箇所の現在(2022年4月現在)の洞窟工場東側出入口の現況。左写真が第1号、中央写真は第4号、右写真は第5号。
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2022年12月10日

壽山古道−31:半屏山(3):半屏山戦備水池

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【写真説明】台湾新幹線左営駅から最も近い半屏山内旧日本軍設営の軍事遺構、貯水槽。左写真は南側、槽幅4b、中央写真は槽長12bの東側側面、右写真は北側、同写真右側に写る道路は現在の湿地帯内の遊歩道、当該遺構との位置関係から、嘗ての軍用道だったはずだ。
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2022年12月03日

壽山古道−30:半屏山(2):半屏湖(半屏山湿地)

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【写真説明】壽山国家自然公園の一画としての半屏山に関し、次の二点は前回の投稿に含めておくべきだった。一つは、現時点では台湾新幹線(高鉄)の南側起点である左営駅に隣接していること。左営駅は高雄地下鉄(捷運)、台湾鉄道(台鉄)も相乗りしており、市街地から半屏山へのアクセスは非常に便利になった。もう一つは、同山西側に沿った部分は半屏湖と呼称される、嘗て石灰岩採掘の際に利用された沈砂池、即ち人工湖があり、国家自然公園管理処は湿地帯として売り出し中である。この人口湖の存在は以前から知っていたが、実際現場に立ったのは今年になってからである。ここだと左営駅から本当に近い(左写真:左営駅から湿地帯へ最短の入口)。湿地帯としての魅力が出て来るのは、石灰事業の残骸が高い草と湖水で隠される時だ(中央・右写真参照、同一点から南北を望む)。国家公園開園から十年を超えてしまったが、目の肥えた鑑賞眼に耐えられるには時間が掛かると思う。イントロが冗長になってしまったが、次回以降は国家自然公園管理処の委託報告書『半屏山日治時期戰備設施先期調査計畫成果報告書』(各遺構の位置概念図はこちらのダイヤグラムを参照)に沿いながら駆け足で紹介していく予定だ。ところで、半屏山と古道の接点は何か?と訝る向きもあるかもしれないが、あくまで旧軍事道、旧工業道路と云うことになる。(続く)
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2022年11月26日

壽山古道−29:半屏山(1):半屏山概観

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【写真説明】最高点200b強、南北長3`弱、東西幅1`弱の半屏山は「ミニ壽山」と呼べるかもしれない。そんな中で半屏山の自然遺産を代表するのがここに掲載した「千年石壁」と呼ばれる同山脊梁西側に位置する石灰岩の大岩壁、どう撮影で切り取ろうか迷ったが、読者に想像して貰うしかない。台湾ネット上で岩壁高度情報見付けられず。ウィキペディア台湾版でも同じ岸壁が紹介してある。本来自然遺産としての側面には触れない積りだったが、半屏山紹介の初回として僅かに紹介することにした。ところで、両者一つだけ大きな違いがある。半屏山には猿が生息シテいないことだ。これは奇異な感じを与えられるし、此れ故、半屏山を贔屓にするハイカーがいるかもしれない。
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2022年11月19日

壽山古道−28:左營龜山(2)

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【写真説明】壽山国家自然公園の公式サイトでは各三地区に対し絵地図一枚と付属解説一枚が提供されている。その亀山の絵地図には頂上付近に「戰事營房遺址」 (戦時建築遺構)、「碉堡防空洞」(防空陣地壕)の二箇所の軍事遺蹟しか示されていないが、筆者が2016年当時に訪れた際の現地の案内板には、それらに加え「坑道」(トンネル)、「碉堡」(陣地壕)等も複数箇所示されていた。以上の戦事用語の翻訳は筆者の一存、だいたいバンカーとトーチカの区別も付かない。左写真は北側から亀山頂上にアクセスしようとしているところ。中央写真は中途の歩道景観。右写真は頂上付近の旧日本軍に依る砲台遺構と思われるもの。前出の絵地図には示されていない模様。何せこの一枚を撮影した当時は筆者はこの亀山頂上上の軍事設営の全てを国軍に依るものと考えていたのだ。(終り)
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2022年11月12日

壽山古道−28:左營龜山

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【写真説明】標高が僅かに60b少し、三角点も無い都会の喧騒の中にある山に誰が登ってみようと思おうか?筆者は2016年になり初めて全山歩いてみた。そして、それっきりだ。従ってその時の記憶を掘り起こしこの投稿記事に向かっている。その際山中に既にお役御免となった複数基の軍事施設を見ているのであるが、中華民国国軍に依るものだと思い込んでいた。実はそれらが全て旧日本軍が設営したものだと云うことを後日知る事になる。繰り返しになるが、亀山は清朝より名所だ。今は、蓮池潭に接した部分は勝利路と呼ばれる車道で区切られ小亀山と大亀山とに分けられている。亀山とは余りにも陳腐な山名、地名で、台湾、中国、韓国、日本共々多数存在するが、台湾版ウィキペディアではこの左営亀山がトップにリストアップされている。にも拘らず、日本版では外され台湾他地区の亀山が挙げられている。左写真は亀山頂上付近から蓮池潭越に望む半屏山。中央写真は右写真と同位置から左営旧城北門方面の俯瞰。右写真は壽山をシルエットにした亀山。(続く)
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2022年11月05日

壽山古道−27:「日軍爐灶」(4)

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【写真説明】筆者の手元のネット情報だと「震洋特攻隊撤退點戰備小水庫」、詰まり貯水施設であるが雨水の収集・貯蔵システムと云うことになる。第2退避壕に近接し、左写真が入口正面の様子、中央写真はその下部構造、右写真は上部構造だが、素人にはこの構造の理解は難しい。それでも機能美は伝わって来る。以前の投稿記事で紹介したことがあるが、壽山はサンゴ礁が隆起して形成された山なので全山石灰岩、水持ちが悪いことは特記すべき事項だ。(終り)
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2022年10月29日

壽山古道−26:「日軍爐灶」(3)

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【写真説明】柴山登山を日課の宗としている向きには「四口灶」で通じる日本軍厨房遺蹟は以前から良く知られた場所なのだが、人口に膾炙している割には、何故日本軍が当時柴山山中に厨房など設営したのか?その由来は語られないのが通例だった。筆者が現地に案内を得たのは2017年4月、当時は一人での再訪も可能と考えていた。丁度五年後の今年、実際一人で辿ってみたのだが、GPS情報を持参しながら大いに迷い、再訪初回は現地に行き付けなかった。再訪二回目も初回と同じく遺構現地の直ぐ傍まで達しているのは理解できてはいても遺構への出入口が見付けられなかったのは初回と同じ。最後はその出入口の上空から侵入するような無様な塩梅になった。五年を経て再度四基の竈(かまど)が並ぶ遺構を尋ねる気になったのは、一つは厨房が震洋特攻隊の「預備撤退山洞」(退避壕とでも訳せようか?)であったと云う情報を得たこと。本ブログの読者には蛇足と思うが、ウィキペディア日本語版に曰く「震洋(しんよう)は、太平洋戦争で日本海軍が開発・使用した特攻兵器(小型特攻ボート)」。『壽山古道−16:「柴山部落越嶺古道」−2』にてさらりと「柴山阿朗伊古道」に言及したが、壽山の震洋格納庫・発進基地はこの新規のハイキングロードの延長線の海岸線上にある。因みに、「爐」の訓読みは「いろり」、「炉」は異体字、「灶」のそれは「かまど」、「竈」は異体字。二つ目の理由は厨房として独立した箇所に加え、三箇所の退避壕と一箇所の給水遺構も残存しているらしいとのこと。殊に後者は新規の『水の古道』の発現となるか?こんな情報、過去二十年柴山へ通い続けても入って来ず、従って、筆者自身の五年前の探訪時の知見は皆無。今になってと嘆きたくなるが、これも国家自然公園への昇格と武漢肺炎禍と無関係であるまい。上段は竈の詳細描写を11x9版で。下段写真は、厨房に近い方から退避壕1、2、3号(現地では「坑道」と通称)、各退避壕は百人近い人員を収容可能との記述を見たことがある。初回探訪時撮影された「壽山古道−19」に掲載の一番左側写真はどうも第1坑道入口の様だが、実はこれらの退避壕に遭遇した記憶が無い。第2坑道の近くに上述の素人目にも特殊な供水システム遺構がある。(続く)
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2022年10月22日

壽山古道−25:『壽山古道−19:「日軍爐灶」』(2)

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【写真説明】壽山国家自然公園はこのダイヤグラムに示された東側から壽山(地図上では柴山)、亀山、半屏山の三山を抱合する。左写真は亀山と半屏山の間に鎮座する蓮池潭の畔のアトラクションの一つ、巨大な龍虎の張り子(2002年8月撮影)。嘗ては国内外双方旅行者向け定番観光地だったが、当時からここに写る巨大な張り子は定番化と陳腐化を促進する道具建てだったと思う。実際蓮池潭は清の時代からの由緒正しき名所旧跡であり、国家自然公園として新たな装いを整えつつあると思う。中央写真は高雄空港へ着陸寸前の機内から撮影(2005年8月)した壽山(左側)と半屏山、亀山は標高が低く写真上では認識し辛い。右写真は壽山山中の展望台より望む蛇山(壽山北面、2017年5月撮影、亀山に対する風水上の命銘だと思うが今は殆ど死語、軍管制区域で一般人は入山禁止)、亀山、蓮池潭、半屏山。このように三山共々お互いに見通せる位置関係にある。
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2022年10月15日

内本鹿越嶺古道西段−9:藤枝林道段(2):「土[土|龍]湾]

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【写真説明】嘗て表題の地名で呼ばれていた現在の行政区画は、高雄市六亀区中興里興龍社区である。位置を最も簡便に言い表すには、「六亀市街地の荖濃渓に掛かる六亀大橋を隔てた対岸」、或いは「六亀大橋の向こう岸」で十分適当だと思う(埋込ダイヤグラム参照)。過去二十数年、何回この地を通過したことか。「興龍」への改名のパターンは二文字化(オリジナル地名三文字を「龍」で代表させた)と雅語(この場合は「興」)の組み合わせである。安倍の『臺灣地名研究』には残念ながらこの地名は採録されていない。日本時代の地形図を確認すると、龍の文字は、「つち・へん」、「つち・あし」、「さん・ずい」、龍ママの四つのバリエーションがあることが判るが、主流は土扁だと思う。この灯台下暗しの典型的なストーリーである土[土|龍]湾という地名が筆者の気を大いに引いたのは、これまで投稿して来た今年の六亀警備道踏査の延長である内本鹿警備道西段起点としてである。しかしそれは事の始めであって全てではない。本稿は本来『水の古道』とカテゴライズさせるかどうか少々悩んだ。
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2022年10月08日

内本鹿越嶺古道西段−8:藤枝林道段(1):「中心崙社」

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【写真説明】国立台湾大学の研究に依ると、現在の藤枝林道(荖濃渓林道とも、どちらが正式呼称か筆者は未だに定かならず)に内本鹿警備道の最西端として配置された駐在所は、藤枝から順に、「森濤」、「宝山」(原文は旧体字)、「土龍湾」(台湾側表記では通常「龍」は土篇)となっている。以上を筆者の手元の市販地図+筆者知見と合わせると、以下の通りで、先の投稿記事の通り、藤枝森林遊楽区入口に並立する派出所は森濤なので、台湾大学の「松濤」の取り扱いが判らない。以下表記の順番は次の通り。(「台湾大学表記」)、(市販地図帳表記)、(現代通称)、(藤枝林道`数)、(現代行政区画):

・「藤枝」、森濤、藤枝、19.5`、高雄市桃源区宝山里
・「森濤」、ニ集団/松濤、ニ集団、15`、同上
・「宝山」、中心崙(チュウシンロン)、宝山、11.5`、同上
・「土[土|龍]湾」、興龍、興龍、0`、高雄市六亀区中興里

又、『三十萬分一台湾全圖』第5版と現代地図帳の藤枝林道を重ね合わせて看ると、両者の接点は藤枝以降は「チュウシンロン社」だけであり、これも台湾大学の森濤存在、出所を疑う理由である。左写真は、宝山派出所、林一宏リストに依れば中心崙駐在所の後継と推測されるもの。どう写真に写る道路は藤枝林道。中央写真は宝山社区発展協会(右)と衛生室、日本時代からの遺留家屋の趣あり。右写真は前両写真と同じ場所から二集団方面を望む。大きく写る山は頭剪山。同写真左側の建物は、旧宝山小学校、今は台湾大学の森濤、即ち通称二集団の方へ移動している。(続く)
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2022年10月01日

内本鹿越嶺古道西段−7:バリサン段(7)

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【写真説明】内本鹿警備道のバリサン段支線の最後は陸地測量部に経緯を表し、バリサン山陸測三等三角点で締め括る。点名不詳。出雲山林道起点を登山口とすると、目指す頂上は標高マイナス450b、最後の頂上への林道のアクセス口(左写真右側)は、バリサン駐在所跡から約850b。(終り)
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