2019年08月24日

『水の古道』八奨渓義渡−5

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【写真説明】嘉義市の古刹彌陀禅寺山門前の駐車場横に設えられた仮称「八奨渓義渡」公園内に起立する事蹟は全部で四基、「八掌渓義渡記念碑」、「義民塔」、「義民神位碑」、「土地公像」、この内、日本時代建立のものは、前者二基である。左写真はその二基も含め、同写真右側に写る義民神位碑を含む三基が写り込んでいる。義民神位碑はレプリカだと思われる。右写真は、彌陀禅寺の駐車場から義渡公園への階段を登り切った場所に建つ渡しの絵が入った洒落た案内板(中・英文)と土地公像。土地公像は新しいがその土台は日本時代の神社の灯篭を拝借して来たように見える。
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2019年08月17日

『水の古道』八奨渓義渡−4

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【写真説明】彌陀映月橋途中から八掌渓右岸を望むと、その橋端より僅かばかり上流側の彌陀禅寺伽藍と共に二柱の直線のコンクリート製構造物が目に飛び込んで来る。刹那に日本時代の鉄線橋の橋柱を想起させるのだが、筆者の『台灣全覧』を見ると丁度同じ位置に二つ、記念碑が明記してある。それでも旧橋柱を利用し記念碑に仕立てた可能性もあるので、とにかく現場、彌陀禅寺迄出掛けてみた。二本の構造物は設計上は平凡そのもので、加えて一切の銘が無い。一体全体対岸の左岸には対になるべき橋柱は起立していない。それでこれら二本はやはり地図にあるように兎に角記念碑であろうと結論付けて彌陀禅寺を後にした。その後ネットを渉猟していたら、やはり、これら二本の構造物は日本時代竣工の鉄線橋の橋柱であることを確認した。その名も「八掌渓義渡鐵線橋」。現地にある鉄線橋に関わる事蹟は「奨」の字が「掌」に代わっている。何故右岸側に二柱あるのかは不明。左写真は八掌渓縁に建つ彌陀禅寺の山門と旧鉄線橋第一橋柱、中央写真は、彌陀禅寺山門脇に小高く設えられた筆者に依る仮称、八奨渓義渡公園から山門、橋柱越しに望む八掌渓と日本時代の鉄線橋に取って代わった忠義橋、右写真は義渡公園脇に起立する鉄線橋第二橋柱。幾ら何でも左岸から移動させて来たとは思えない。(続く)
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2019年08月10日

『水の古道』八奨渓義渡−3:道将圳−3

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【写真説明】道将圳取水口から取り込まれた八掌渓の水はごく普通の水路(左写真:「道将圳幹線」)を通り嘉義市街地に流れ込んで行く。取水口から忠実に水路を辿るのは住宅地の建て込みの関係で無理なので、少し回り道をして、シリーズ『台灣的古圳道』に掲載されている糯米(モチゴメ)橋をグーグルを利用し探した。グーグルが指したのはダイヤグラム上の福安宮(中央写真)横の小橋で、日本時代架橋の橋が下敷きになっているはずなのだが、見当たらず。代わりに発見したのは同橋の名前が「道爺圳橋」(右写真)であること。あれあれ、道将圳が何時の間に道爺圳に代わったのやら?と訝ったが、元々は道将圳は道爺圳と将軍圳の集合名詞なので、筆者が取水口から辿って来たのは幹線とは言え道爺圳だったらしい。いずれにしても、筆者が辿り着いたのは1864年(同治3年)架橋、今は嘉義市指定古蹟の芳草橋(又は草地尾橋、古名は、道爺橋、又は道爺圳橋!)では無いのは確かで、次回の機会に委ねることにした。(続く)
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2019年08月03日

『水の古道』八奨渓義渡−2:道将圳−2

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【写真説明】八掌渓右岸に位置する道将圳取水口を構成する構造物の二態。コンクリート製の奇妙な構造物は曲線を描き、加えて人が十分歩けるよう設計されており、実際今現在は錠の掛かった門がある。回廊に沿い草が生い茂っているのは古さを思わせるが、日本時代の竣工かどうかは判ら無い。何よりもまずこの構造物の機能が想像付かないのだが、筆者には優美なデザインを持つオブジェだ。筆者はこの奇妙な物体に遭遇し幸福を感じる始末。右写真は現代の取水堰。(続く)
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2019年07月27日

『水の古道』八奨渓義渡−1:道将圳−1

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【写真説明】嘉義市市街地南端、西側軍輝橋と忠義橋とに挟まれた八掌渓の両岸は親水公園として整備されている。これら二架橋は幹線自動車道であるが、その間八掌渓親水公園施設として彌陀映月橋が架けられている(左写真)。彌陀の由来は、この橋の北東、八掌渓右岸にある1752年(乾隆17年)建立、日本時代の嘉義八景の一つ、名刹彌陀禅寺である。中央写真は、親水公園内八掌渓左岸側から固定堰(と呼べるのかどうか?自信無し、『台灣全覧』には「道将圳攔水堰」)とその奥突端に位置する道将圳取水口付近(青いペンキ構造物)を望んだもの。同写真右に彌陀映月橋が写る。その道将圳取水口付近も公園仕立て(右写真)になっており、同写真中央に写るプレートに道将圳の紹介が記されている。以上の位置関係はこのダイヤグラムを参照にして欲しい。
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2019年07月20日

『水の古道』阿罩霧[土/川]−5

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【写真説明】左写真は阿罩霧圳新第一水門越しに旧水門を臨む。中央写真は第一水門南側の阿罩霧圳景観。同写真に写る簡易渡槽は日本時代のものか?更に阿罩霧圳を南に下ると、遊楽客を意識したと思われる手摺が現れ、その先に大きな水車が阿罩霧圳に掛かっている。曰く「下抄封支線水車/臺灣南投水利會/103.3」とあるので、観光用アトラクションとは思えず、灌漑を担う設備のように思えるが、2014年に竣功させたにしては何等かの機能を果たしているようには見えず。何処かで台湾一大きな水車とのキャッチフレーズを見たことがある。(終り)
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2019年07月13日

『水の古道』阿罩霧[土/川]−4

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【写真説明】烏渓治水工事竣功記念碑と省道3号線を隔て真向かいの象鼻路上に位置す阿罩霧圳第一水門、左写真右側が日本時代水門、左側に現代の水門がある。中央・右写真は日本時代水門を阿罩霧圳南側から撮影。下掲載写真は水門上の銘の拡大、並びに水門詳細。
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2019年07月06日

『水の古道』阿罩霧[土/川]−3

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【写真説明】左・中央写真は霧峰市街地南端、国道6号線高架下に佇む「烏渓治水工事竣功記念碑」。日本時代の記念碑石碑様式に拠っている。記念碑正面「烏渓治水工事竣功記念碑」の表題下に「昭和六年十月起工/昭和十四年十月竣功/工費金六百六萬圓餘」のプレート(右写真)が嵌め込まれ、背面には「昭和十四年關係地方民建立」のプレートが嵌め込まれているが、それらプレートの年号の部分はすべて削り落されている。
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2019年06月29日

『水の古道』阿罩霧[土/川]−2

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【写真説明】左写真は、台中市霧峰区区役所脇を走る民生路東側に沿う、嘗ての台湾五大家族の一つ、霧峰林家邸宅群の一部、一般に公開されている「霧峰林家宮保第園区」。中央写真は、その邸宅群の北側、同じ民生路路上にある、大正3年(1914年)設立の台湾基督長老教会霧峰教会の側面、既に百年を経た日本時代建築時の優雅なデザインがそのまま残っているが、古蹟指定にはなっていないようだ。偶々協会のトイレを拝借した際、気付いた。右写真は、同邸宅群南側に位置する霧峰区区役所脇、これも民生路路上の下水道マンホールに「阿罩霧」の文字を見付けた。これが阿罩霧山に続く「阿罩霧」との二度目の遭遇になった。暫くはこの下水道が阿罩霧圳の一部と勘違いしていた。
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2019年06月22日

『水の古道』阿罩霧[土/川]−1

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【写真説明】「阿罩霧」は現在の台中市霧峰区の古名である。阿罩霧山は同区東部にある朝陽科技大学の裏山で、この裏山一帯は農道がそのまま遊歩道になっており、地元の老若男女が専ら目指すのは、台湾小百岳の一座で二等三角点を持つ標高249bの阿罩霧山には非ず、福徳宮なる土地公が鎮座する近くに設けられた涼庁(左写真)、及び展望台である。この展望台の向かい側に平坦な山頂を持つ阿罩霧山が対座しその峰越しに台中市街地が拡がる(中央写真:三角点は平たい三つのピークの内、最も左側)。絶景である。他方、遊歩道上には阿罩霧山への指導標は一切無く、三角点迄辿り着くのはちょっとしたパズルである(右写真)。
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2019年06月15日

『水の古道』隘寮[土/川]−4

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【写真説明】本カテゴリーを閉じるに当たり、隘寮圳導水口水門二態を掲載した。これらが日本時代の遺構かと言うと、コンクリートの処理が素人目にも雑なのでそうではあるまい。(終り)
ラベル:台湾 古道
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2019年06月08日

『水の古道』隘寮[土/川]−3

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【写真説明】前回記事で紹介した日本時代架橋の小橋部分詳細三葉、昭和13年(1938年)作、精緻の一言。。。(続く)
ラベル:台湾 古道
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2019年06月01日

『水の古道』隘寮[土/川]−2

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【写真説明】左写真は水門橋から隘寮圳導水口側を望んだ。水門橋は戦後の架橋であるが、同写真中央に写る小橋は日本時代の架橋。日本時代に撮影された写真と比較すると、当時と変わらぬ姿で水を落とし続けているのが判る。中央写真は、左写真小橋右側に立つ屏東水利会に依る隘寮圳の由来を記した案内板。その由来はそのまま本文記事に翻訳した。その由来の中には日本、日本人、日本年号等日本時代に関わる記載は一切無し。右写真は水門橋から導水路下流側を望んだ。水車は観光用のアトラクションと思う。
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2019年05月25日

『水の古道』隘寮[土/川]−1

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【写真説明】屏東県内埔郷水門村の市街地内に隘寮圳の導水路が口を開けている。約1`のトンネルを経由した隘寮渓の水が豪快に落とされ市街地の真ん中を流れる。今も日本時代、昭和13年竣工のものがそっくり健在である。左写真はその導水路に掛けられた水門橋。導水路の両側は「水利休憩公園」として遊歩道が渡してある。その一部は導水口上部まで階段が付けられており、中央写真はその階段途中から望んだ水門村市街地と隘寮圳水門橋(同写真中央)。右写真は隘寮圳トンネル導水口から流れ落ちる水、恐ろしく鮮烈であり、整備のいい加減な公園仕立てとは対照的。
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ラベル:古道 台湾
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2019年05月18日

哈盆越嶺古道−6

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【写真説明】今回は哈盆越嶺古道カテゴリーを閉じるに当たり古道美三景を選んだ。。。(終り)
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2019年05月11日

哈盆越嶺古道−5

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【写真説明】「桶後越嶺古道−1」で書いたように、哈盆越嶺古道を表し誰かが「台湾のアマゾン」と呼んだ。同記事でその所以を南勢渓の渓谷美に在りと言い切ったのだが、実は自信が無い。かと言って他の所以を思い付かない。古道5〜6`と推察される地点にロープを結わえ付け南勢渓迄降りて行ける場所がある(左写真)。筆者の記憶する限り、歩道+古道上で実際川底に降り立てるのはここ一箇所だと思う。この点は、桶后渓川底すれすれに開削された桶後越嶺古道との大きな違いである。哈盆古道は南勢渓右岸沿いかなり高い地点に忠実に開削されている。鬱蒼と茂るオオタニワタリ(右写真)と組み合わされば、アマゾンのイメージか?(続く)
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2019年05月04日

哈盆越嶺古道−4

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【写真説明】今回掲載した三枚は「哈盆越嶺古道も日本時代は対タイヤル族管制の為の理蕃道として整備された」証左―一つは、平板な石を敷き詰め警備道を補強した路側石(左・中央写真)。もう一つはタイヤル族管制の為に警備道上に鉄線を渡し通電させていた碍子。碍子が樹木に取り込まれ年月を感じさせる。これらは嘗て日本人が整備した警備道(理蕃道)に残存する典型的な遺址である。(続く)
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2019年04月27日

哈盆越嶺古道−3

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【写真説明】カラモチ歩道の全長は福山村入口から2`乃至は3`程度のようで、後東側に伸びる部分は林務局設置の里程標が立つ哈盆古道となる。前回記事で述べたように、カラモチ駐在所は福山村からざっと5`と踏んだとすると、その跡地は歩道上で無く、古道上にあることになる。今回掲載した写真はその駐在所跡地らしき広場と石塁(左・中央写真)であるが、何の確証も無し。哈盆古道段5〜6`地点、丁度中間点になる(右写真)。コメントするのが遅くなったが、桶後古道と同じく、哈盆越嶺古道も日本時代は対タイヤル族管制の為の理蕃道として整備された。(続く)
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2019年04月20日

哈盆越嶺古道−2

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【写真説明】カラモチ歩道段の哈盆古道の景観を二枚選んだ(左・中央写真)。何故かこの段の古道脇の保護柵は黄色と緑の段々である。歩道上の指導標の材質も林務局のものとは異なる。恐らく福山村が自前で整理したのだろう。軈てカラモチ歩道と哈盆古道の分岐点に至る(右写真)が、前述したように歩道部分も古道である。指導標左側「福烏道路」とは福山村と烏来市街地を結ぶ幹線道路、西側古道起点、右側「哈盆露営地」とは林務局管理の古道東側起点、福山植物園の西側である。
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2019年04月13日

哈盆越嶺古道−1

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【写真説明】左写真は新北市烏来区福山村内で見掛けた「哈盆」と「阿玉」(前回投稿「桶後越嶺古道−5」で紹介済み)の記載がある看板。阿玉は同区孝義村の日本時代の旧名。但し、同看板に何故二つながら並んでいるのか?その由来は分からず。中央写真は村内に立つ観光用指導標。「福山植物園」の方向が古道入口である。左写真は同村内の福山1号橋の袂にある哈盆越嶺古道登山口付近の案内板。実際は卡拉莫基歩道の入口で同写真右奥に赤い鉄製の手摺が見えている。
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2019年04月06日

桶後越嶺古道−7

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【写真説明】古道として整備された起点(或いは終点)付近は種々建造物があったはずだが、今残っている写真はここに掲載した三枚のみ、吊橋を除いて撮影した対象(中央・右写真)が何であったか?皆目見当付かず。ここには日本時代の遺構と思えるような物もあり、そうであればカメラを向けたはずだが、復路を急いだと云う記憶も無いので、もう少し写真が残っていそうなものだ。手元の『台灣全覧』に依ると、この古道起点付近には以下の公共施設があることになっている。即ち;台湾電力保線所、苗圃管理員宿舎、林務局新竹林管理処烏来工作站招待所。日本時代、同地には「製脳会社仮泊所」があったことが、『烏来的山與人』(鄭安睎・許維真訳著、2009年10月出版、玉山社)に記載されている。「製脳」とは「樟脳」製造の事で、同書の記述から推察するに三井系の会社で、社員の宿泊施設があった。中央写真はその跡地か?右写真は保線所施設か?桶后渓の渓谷美を読者の方に存分に味わって貰おうと書き起こしたが、如何せん筆者の記憶が余りに乏しく、古道全線を走るようにして紹介するに留まってしまった。(終り)
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2019年03月30日

桶後越嶺古道−6

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【写真説明】桶後越嶺古道の烏来出入口が近くなると、川幅が拡がるに連れ、水深の深い鮮烈な淀みが現れる(左写真)。又、コンクリートの人工物も見え始める。柳杉植林帯を抜けて仕舞うと、第三渡渉点に出会い、古道起点(0`ー7`)(右写真)まで1`余り(中央写真)。。。(続く)
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2019年03月23日

桶後越嶺古道−5

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【写真説明】第二渡渉点を過ぎてから烏来側古道出入口に向かい3`程は、杉の植林中の路程となる。尤も『Tony的自然人文旅記』絵図からの推測であり、筆者の記憶には無く、自身の撮影した写真に残っていたのが、左写真。絵図には柳杉林と記されているが、柳杉をそのまま日本語サイトで検索すると、上位に出てくるのは、木材会社のサイトで、その中の一つをそのまま拾うと以下のような解説があり、どの木材会社のサイトも似たような説明が供されている:
「柳杉(リュウスギ/ヤナギスギ)は、ヒノキ科スギ亜科スギ属の常緑針葉樹です。第二次世界大戦後、中国にて日本のスギの苗を大規模に植林したものとされています。その為、中国・四川省原産ですが、日本のスギとDNAが同じとされており、色味、材質、肌触りなど、ほぼ日本のスギと同じ性質を持った材として知られています。」日本語の杉と漢語の杉の違いまで踏み込んでしまうと煩わしいので、この程度の説明に留めておく。中央写真は、その杉木立が続く古道右岸側に架かる第二吊橋とその脇に立つ指導標(3`−4`)。同指導標中に、三座、大礁渓山(標高1,161b)、小礁渓山(同1,147b)、烘爐地山(同1,166b)、に加え、阿玉山(同1,420b)は日本時代からよく登られてきた烏来地区の山々だが、標高こそ引くけれ、渓谷沿いに登山口があると云うことは、落差が大きいと云うことになるので、今後筆者がそれらの一座でも登る機会があるかどうか?自信無し。右写真は、第二吊橋を越えた先の古道景観。(続く)
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2019年03月16日

桶後越嶺古道−4

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【写真説明】既に「桶後越嶺古道−2」からそうなのだが、宜蘭県礁渓側出入口から歩き始めたので、その順番で古道の風景を紹介している。但し、林務局設置里程標の距離表記は、新北市烏来側からなので、投稿記事中の距離表記に戸惑う読者もいると想像されるので、全長7`のマイルストーンを列記し、今回も含め以後の写真掲載の便宜を図りたい。実はこの作業を通じて、起伏の少ない古道故、歩行1`1時間を目安に割り振りしてみないと、当時撮影した写真が凡そ何処なのか?見当が付けられなかったからだ。当時往路は、0715に出発し、0945に到着、この間2時間半。今回掲載の写真は第二渡渉点(5`−2`)前後で撮影されたものと想定されるが、渡渉点で撮影したものはどれか?判別出来ず。(続く)

礁渓側古道入口(7`−0`)

(第一渡渉点、萱草原)

古道最高点(6`−1`)

(第二渡渉点、柳杉林)

第二吊橋(3`−4`)

大礁渓山登山口(第三渡渉点)(1`−6`)

桶后吊橋、烏来側古道入口(0`−7`)
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2019年03月09日

桶後越嶺古道−3

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【写真説明】礁渓側古道出入口から1`、烏来側から6`地点が古道最高点、古道の起伏と云う意味では、変化の少ない本古道中のマイルストーンである。この最高点に至る前に最初の桶后渓との渡渉点が顕れる(左写真)。実際は左写真に見る通り、桶后渓源頭に近い。そこを抜けると、古道中、萱(茅)が最も美しい段である(中央写真)。右写真は古道最高点付近。尚、古道全段の案内図は、『Tony的自然人文旅記』(867)掲載分が非常に分かり易いので、参考にして欲しい。尚、ウィキペディアの「ススキ」の項を閲覧したら、実に興味深い説明があったので、そのまま「追加」記事とした:
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2019年03月02日

桶後越嶺古道−2

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【写真説明】左写真は、前回紹介した地鶏料理店から産業道路を5`程度遡った場所にある指導票。そこではコンクリート道路が地肌を露出させており、まだ車で入り込めそうだったが、駐車し歩き出した地点(中央写真)だと思う。林務局が古道として整備した出入口は更に500b程入り込んだ場所(右写真)で広場になっており、「7`」の里程標が立つ。烏来側古道出入口からの距離である。台湾高山の和(なごみ)は玉山箭竹のうねる様な草原であるが、台湾低山の和は、中央・右写真に代表される萱(茅)の大群、ススキの穂が靡き出すと格別である。(続く)
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2019年02月23日

桶後越嶺古道−1

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【写真説明】桶後越嶺古道には、東側は宜蘭県礁渓郷匏崙匏村、西側は新北市烏来区孝義里からアクセスする方法があるが、筆者は東側から入り往復する方法を選んだ。左写真は、同古道の林務局に依る里程標が最初に建つ小礁渓の地鶏料理店で、宜蘭市街地を流れる宜蘭河の支流、小礁渓を遡った場所にあり、古道入口を目指すドライバーの目印となる。同写真内の青地の警告板には、2008年に台湾を襲った二つの台風で古道が損傷を受けている旨、注意が喚起されている。この地点から歩き出す筋金入りのハイカーもいるかと思われるが、通常はそこから更に6`弱産業道路を車で辿り、歩き出す。但し、車で辿る産業道路部分も古道である。右写真は車で辿る越嶺下部を小礁渓の中から望んだもの。
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2019年02月16日

関山越嶺古道−20

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【写真説明】向陽国家森林遊楽区入口脇の関山分局向陽派出所は、日本時代の向陽駐在所を襲ったものと筆者は考えており、「台湾百岳」ブログでもそう紹介した。ところが、今回嘉明湖を目指すに際し『台灣全覧』を眺めていたら、遊楽区内の観景平台(展望台)に括弧付きで「向陽駐在所旧址」が付記されているのに気付いた。つまり、現在の派出所は日本時代の駐在所の跡地では無く、実際は台湾二葉松保護林を利用した森林遊楽区内にあったと云うことだ。遊楽区は基本的に向陽山、三叉山、嘉明湖まで足を延ばさない観光客向けであり、東側(試しに日本語読み)に松陽(しょうよう)、向陽(こうよう)、向松(むかいまつ)、西側に松景(まつかげ:左写真)、松涛(まつなみ)の合計五本の遊歩道で構成され、何処を辿っても最後は向陽山への登山口に辿り着く。件の展望台(中央写真)は松涛歩道上にあり、ハイカーは専ら松景―松涛を登山道として利用している。この展望台(標高2,500b)までの登山道(1.5`)の部分が古道と重なる部分と想像されるが、展望台以降は右写真のような具合で藪に隠され皆目見当が付かない。(終り)
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2019年02月09日

関山越嶺古道−19

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【写真説明】リトーマテングル(摩天)間の標高差は丁度500b、古道概念図で明確に判るように、この間、南横公路(省道20号線)が正に九十九折りで高度を稼いでいるのに対し、古道は一気に駆け上がっていた。古道と南横の交差点(或いは接触点)は三箇所、車窓から注意して沿線を観察するがリト側下二箇所は全く見当付かず。唯一三箇所目は自動車道が大きくカーブした付近(左写真)に市販地図帳でも公路総局(正式には交通部公路総局)関連施設(公路総局向陽監工站と摩天道班房:班房とは限定、管理された物理空間なので、道路工事基地の意か?)が明記されているので付近に車を停めて、キャベツに埋め尽くされた谷側斜面を見下ろし、凡そのコースと微かな痕跡を探した(中央写真)。同写真中央を斜めに横切る疎らな杉木立が見えるが、古道はこの線に沿って開鑿され、公路総局監工站の後方の山裾を次の駐在所であるカイモス(栗園)を目指したと想定される。右写真は公路総局監工站越しに何気なく撮影したものであるが、後になり、日本時代、監工站付近に砲台が置かれていたことを知った。実際の設置場所は左写真辺りか?偶々当時の兵士が俯瞰していた風景と相成ったわけだが、リトで民宿の方に、この辺りで砲台が置かれていたのは何処かと質問したら、ブルブル(霧鹿)だけだと云う答えだった。尚、向陽監工站は新装(改装?)間も無い状態に見え、新装の際、摩天道班房を取り込んでしまったようだ。(続く)
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2019年02月02日

関山越嶺古道−18

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【写真説明】リト部落の西側外れに利稲基督長老教会(左写真)があり、古道が南横を横切り部落への降り口はその辺りだろうと当たりを付けた。教会から出て来た老婆に日本時代の警備道の事を尋ねると、そう、ここら辺り(中央写真:怪しげな鶏舎地は古道を利用したか?)と言われたが、『台灣全覧』の古道線を忠実に辿ると、部落の中心方向、即ち東側に寄っている。当然、最後は駐在所へと辿る(右写真)。リトの場合、現在の派出所、小学校、衛生所は一か所に集中しているので、日本時代からこれら三機関は同地にあると想像出来る。(続く)
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