2018年12月01日

八通関古道竹山段−17:「化及蠻貊」碑

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【写真説明】2005年3月の一日、幻の「山通大海」も含め、「萬年亨衢」、「開闢鴻荒」、及び「化及蠻貊」を探し当てることに費やした。「化及蠻貊」碑(右写真)はこのダイヤグラムで判る通り、集集市街地中心(ダイヤグラム左端に台湾鉄道集集駅在り)東側程遠からぬ場所にあり、幹線自動車道上には新旧標示板が立つ(左写真)。幹線道路から外れ当該碑に至る小径(中央写真)は清代開鑿八通関古道との案内を、筆者は探訪前に見ていたらしい。当該碑の正面のおどろおどろしい四文字以外に、碑背面にも上下二段刻字があり、曰く、「欽命布政使銜署臺灣兵備道陳方伯撫番開墾處」、「大清光緒拾參年春雲林撫墾局委員陳世烈題」。これら刻字の正確な翻訳は筆者には無理だが、幾つかの字句を拾い上げ空想を逞しくしてみる。碑の建立は光緒13年(1887年)で、八通関古道完工の光緒元年(1875年)より新しく、古道開鑿と直接関係が無いはずだ。台湾のネット上では、他の八通関古道開鑿関連碑と一括りにして紹介されているケースが多いので、筆者も戸惑う。恐らく「撫番開墾」と「雲林撫墾局」がキーワードで、原住民族の撫順に儘ならず、開拓・開墾に艱難辛苦しているメッセージの発露が「蠻貊」の二文字であろうか?(続く)
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2018年11月24日

八通関古道竹山段−16:「開闢鴻荒」碑

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【写真説明】「開闢鴻荒」碑をテーマにした公園は木組みのテラスが集集攔河堰の下段自動車道(省道3号丙線)と同じ高さであり、刻字されている岩盤そのものはテラスの高さを遥かに突き抜けているが、刻字そのものは、テラスを階段で降りた地表スレスレの高さにあるので奇異な感じを受ける。理由は、集集攔河堰建設の際、この国定古蹟保存工事時に土砂が流れ込み地表が底上げされた為である。左写真はテラスへの最下段部、中央写真はテラス下から「開闢鴻荒」岩盤を望んだもの。右写真は刻字、「鴻荒(こうこう)を開闢(かいびゃく)す」と読めるか?2005年3月の撮影。因みに、先に紹介した「萬年亨衢」碑の刻字読み下しは「万年衢(みち)を亨(とお)る」と推察した。いずれも「開山」の意気込みと苦労が伝わってくる文字群である。
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2018年11月17日

『水の古道』竹山隆恩[土/川](2)

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【写真説明】前回記事にて掲載した左写真の、南投県指定古蹟隆恩圳の現存する、但し水源を失い枯渇した水路出口を模したモニュメントの敷設された辺りの地下に、172メートル残存した清代開鑿の水路が穿たれている筈だ。そこから程遠からぬ所、省道3号丙線に沿って旧水路は開鑿されているが、そこへの降り口に文字がすっかり褪せ落ちた案内板(左写真)があり、日本時代修復の部分が見えている(中央写真)。出口をコンクリートで補修したトンネル上部に長方形に縁どられた額状部があり、「(上段)第一号隧道」、「(下段)昭和三年十一月竣工」の殆ど損傷の無い流麗な文字が刻まれている。昭和3年は1928年なので、清代開鑿以来220余年後の改修と云うことになり、下掲写真のトンネルの中の丸石の精緻な石組が清代開鑿時のものとしたら驚くべき耐久性と言わざるを得ない。このトンネルは以前は電球が吊るされ入っていけたようだが、今は電線の残骸がトンネル壁面に残るだけ、しかも筆者が訪ねた時は、雨水が入り込み泥濘となっていた。(終り)

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2018年11月10日

『水の古道』竹山隆恩[土/川](1)

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【写真説明】左写真は清代開鑿の隆恩圳の今に残る日本時代改修部分を模したモニュメントで公園になっている。濁水渓を跨ぐ「集集攔河堰」(中央写真)の左岸部にあり、隆恩圳はこの現代システム建設に依り、文字通り枯渇してしまった(右写真)。同写真露出した石積み部は清代開鑿と思われる。
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2018年11月03日

『水の古道』長源[土/川](2)

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【写真説明】長源圳探訪を終えると直ぐに竹林村の市街地に戻り文昌国民小学校を目指した。目的は前回の投稿で訳出した長源圳所縁の碑を探し出すことである。紹介文原文は、「立有碑文於竹林村文昌國小東南側之水上」。小さな街故、同小学校は直ぐに見付けられた(左写真)。これも郷道55号沿線に在る。さて、悩ましいのは紹介文の「小学校東南側」の解釈である。学校構内に在るのか、然も無くば学校に隣接しているのか?或いは、学校から離れているとするとどのくらいの距離か?最初と二番目は暫く歩き回り、収穫無し。諦めて、郷道55号線を南側、市街地方面に歩き出したら直ぐに見付かった(中央写真)。これも同郷道脇、確かに小さな水路上(右写真)に、コンクリートで小屋掛けされていた。当時は「長源[氵/卑]圳」が正式名称だったことが判る(下掲写真)が、何故碑文が白ペンキで塗り潰されているのか?とか、何故碑正面が道路とは反対方向を向いているのか?或いは、碑文そのものは何が書かれているのか?等々、今は答えを用意出来ずにいる。(終り)
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2018年10月27日

『水の古道』長源[土/川](1)

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【写真説明】左写真は、小半天風景区の広告塔を担っているであろう、鹿谷郷竹林村の市街地内で見掛けた道路標示板、「長源圳」と「古戦場」の標示に惹かれ尋ねることにした。中央写真は、長源圳入口の鉄板牌、右写真は、長源圳の実際と「古道」とも称されている水路沿いの小径、この水路と小径はやがて「孟宗竹古戦場」へ導かれる歩道と出会う。
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2018年10月20日

八通関古道竹山段−15:「菸草站」

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【写真説明】まずは百科事典的な説明から―日本語の漢字変換では「たばこ」とタイプしても「煙草」(「烟草」は簡体字表記?)しか出て来ないが、台湾では相変わらず「菸草」が普通である。北京官話発音はどちらも「エン」である。但し、筆者が考えるに、「煙草」は紙巻たばこと云う製品、「菸草」の方は紙巻たばこの材料として刻まれる迄の乾燥させた葉迄の状態、つまり葉煙草を指すのではなかろうか?いずれにしても、日本ではもう使われていない。左写真も竹山市内で偶々見付けた指導標、「菸草站」とは専売公社と読み替えて良いと思う。同写真奥にその建築群の一部が写り込んでいる。1941年(昭和16年)竣工時の正式名称は「専売局台中支局竹山葉煙草収納場」、その後中国国民党が接収した後は「台湾省菸葉耕種事業改進社/台中分社竹山事業区」。既に操業はとうに停止されており(何時かは判らず)、筆者が訪ねた2016年7月当時は立ち入り禁止状態、それでも入り込んで撮影したのが中央・右写真。実際は建築物内部の木造構造が見事なのだが、各投稿に掲載する写真は原則三枚としているので、お許し願いたい。竹山市街地に残る日本時代の家屋・建築物は多いが、その中で産業古蹟として生き残って行くであろうと確信出来る保存状態を維持しているので紹介した。左写真青色指導標の「竹山鎮農会」の建物も日本時代のもの。(終り)
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2018年10月13日

八通関古道竹山段−14:「竹山郡役所」

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【写真説明】左写真は前回掲載した写真と同じ前山路と集山路交差点を時計台を背にして撮影した。手前のビルが竹山郵便局、奥のビルが南投県政府警察署竹山分局、「元標」案内板の紹介通り、日本時代に郡役所が鎮座していた場所である。これらのビルの裏手に廻ると郡役所時代の遺物が良く残っている。その代表は「椰子防空壕」(中央写真)と名付けられた文字通り立派なヤシが起立した防空壕跡で市内各地にコーヒー色の指導標が掛かる。その周りには日本時代の家屋が様々な補修状態で残り、元々の住人の役職が伺い知れる。右写真はそのような家屋の中から今は住人も無く朽ちるに任せたままの日本家屋。下掲の写真は、これも「元標」案内板紹介中にある、冬筍小売店、撮影したのは2016年1月。ところで、筆者は先に「元標」紹介文を先に読み、それから探索を開始したわけではない。元々「元標」すら偶々行き合わせたものだ。(続く)
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2018年10月06日

八通関古道竹山段−13:「元標」

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【写真説明】左写真は竹山市街地内の南投県政府警察署竹山分局と竹山郵便局が隣接する前山路(同写真正面)と集山路(同写真左側)の公差点に立つ時計台。その袂に、日本時代の地形図製作の為の測量原点「元標」(中央写真)が保存され、二段抜きの案内板(右写真)が立つ。同写真上に「100余年前(明治33年)の日本人は、どの様にして三角点を利用し山頂の海抜を算出したのか?」と読める。「元標」には「標高五百十四尺」と刻まれている。以上、2016年7月撮影。
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2018年09月29日

八通関古道竹山段−12:鹿谷段−4

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【写真説明】麒麟潭は元々「大水堀」と呼ばれた清代開鑿の貯水池である(左写真)。中央写真は、麒麟山の南側に隣接する麒麟潭を北側湖畔から望んだもの。西側湖畔に宿舎が集中しているが、人気観光スポットとは言い難い。湖畔は専ら地元民の散歩・ジョギングコースとして機能している。右写真は西側湖畔の宿舎群越しに望む凍頂台地、南投県有数の茶の栽培地、詳しくは「八通関古道竹山段−8」の記事を参照願いたい。
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2018年09月22日

八通関古道竹山段−11:鹿谷段−3

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【写真説明】開山廟の裏手に麒麟山への南側登山口があり歴史を感じさせる石段で始まる(左写真)。麒麟山の頂上は広々としており、豪華な眺望台が設えてある(中央写真)。日本時代の陸地測量部埋定の三等三角点と聯勤測量隊に依る一等三角点内補の二基が眺望台裏にある。筆者の背中側には更にテラスが延びており、鹿谷から鳳凰山山麓に向かう勇壮な地勢を堪能出来る(右写真)。同写真右側に写る自動車道が郷道56号線で、そのまま清代開鑿の八通関古道のルートだと考えて良い。古道に因む鳳凰山寺も萬年亨衢碑も同写真の中に収まる。尚、同写真右側下に写る湖水が麒麟潭。
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2018年09月15日

八通関古道竹山段−10:鹿谷段−2

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【写真説明】南投県郷道56号線はそのまま清代開鑿の八通関古道がベースになっていると言っても良さそうだ。鹿谷市街地と山越えで濁水渓岸の信義市街地を結ぶ、全長24キロ。鹿谷を出発、南投県の烏龍茶の名産地として知られる凍頂への登り口を過ぎると前方に麒麟山と呼ばれる低い山が見えて来る。郷道はその山の西側を巻くが、南北に各々廟堂があり、この麒麟山頂上を経る登山道で結ばれている。北側のそれは萬善堂(左写真)と呼ばれる小さなものだが、北側の廟堂は開山廟(中央・右写真)、光緒9年(1884年)創建、従って、八通関古道開鑿後の創建、しかも、この場合の開山は「開山撫番」ではなく、開墾、開拓の意味が強い。それでも開山の意気込みが伝わる。
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2018年09月08日

八通関古道竹山段−9:鹿谷段−1

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【写真説明】清代八通関古道開鑿の関連古蹟として名高い、鹿谷市街地を走る南投県県道151号線脇に保存されている三基。左写真は「聖蹟亭」(同治10年、1871年建立)、中央写真は、新寮福徳廟(「新寮」は鹿谷の旧名、土地公)脇に並んで保存されている、右「私入番撒禁告示碑」(光緒元年、1875年建立)と「徳遍山陬碑」(光緒2年、1876年)、右写真は福徳廟内部、同写真左奥にそれらの碑が写る。何れも2005年の撮影。尚、八通関古道の完工は光緒元年(1875年)。
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2018年09月01日

八通関古道竹山段−8

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【写真説明】清代八通関古道社寮段下段を汚した翌日、車で社寮段上段入口に乗り付けた。南投県鹿谷郷初郷村初郷国民小学校を起点とするアスファルト敷きの郷道93号線(左・中央写真)がそのまま古道の一部らしいのだが、その付近に古道であることを指し示すものは一切無し。不安に駆られながら兎も角歩き出す。すぐに「林鳳林挙人墓」なる案内板が郷道脇に現れるが、当時は今歩いているのが古道、或いは古道に導かれるのかどうか?の疑問に頭を悩ましており、そのまま無視した。が、この記事を起こすに当たりざっと調べたあらましは次の通りで、余裕の無さに少し後悔している:林鳳林(嘉慶24年〜同治4年・1819〜1866;と謂うことは八通関古道開鑿1875年時には既に去世)は現地初郷村出身、「挙人」とは郷試(ローカルの科挙)合格者、福建武夷山から茶の苗を持ち帰り鹿谷台地、凍頂烏龍茶栽培の魁(さきがけ)となった人、墳墓(実際は衣冠塚)が南投県県定古蹟。更に歩くと、三叉路に往き当たり強引に真っ直ぐ進むと休憩所になった「百年老榕樹」があった。最後は郷道93号線の終点2.703キロの標示板に到着(右写真)、そこでまだアスファルト敷きは続いているが二股に分れた左側を取ることをネット上の写真で確認、引き返した。ネット上の山行記録に依ると、そこから社寮段最下段登山口まで約1.5時間の歩行だ。(続く)
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2018年08月25日

八通関古道竹山段−7

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【写真説明】清代八通関古道社寮段の中でも蜈蚣崙と呼ばれる両脇から樹木が覆い被さる狭い稜線上の山道、日本風に言えば、ムカデ坂と謂う雰囲気だろうか?「崙」は維基詞典(Wiktionary)にも出ているが字義の解説が無い。音からしてくねくねした稜線がイメージされる。それだから「蜈蚣嶺」と置き換えたのだろう―と云うのが筆者の初期の考察、その後G博士に「崙」の意味を聞いたら、台湾語の漢音訳で平坦の意、納得。この稜線上には幾つかアトラクションがあり、今回の記事は少しでも狭い稜線とムカデを連想出来そうな景観を選んでみた。社寮段の核心部である。中央写真は「犂壁石」、右写真は「観音石」と名付けられている。(続く)
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2018年08月18日

八通関古道竹山段−6

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【写真説明】内暗坑土地公を過ぎ自動車道を暫く登り続けると養魚場に出る。養魚場の山側は広い平坦地になっているので、ここに車を停め、愈々清代八通関古道社寮段を下段から歩き始める。現在歩道として整備された部分の最下段になり、鹿谷方面に抜けられるが、昇り一方、社寮段を歩き通す場合、鹿谷から入るのが一般的であることは以前にも書いた。下段、上段、どちらから出発するにしても、全線歩き通すのでれば、車のチャーターが必要になると云う不便さがある。社寮段下段のみの歩行の場合、登山口(左写真)から急坂(中央・右写真)を稜線まで辿り、稜線伝いの古道を歩いた後は、産業道路に降り、産業道路伝いに養魚場まで戻って来る所謂O線ルートが八通関古道社寮段下段の一般的な散策方法だ。全行程約二時間。尚、前述の稜線は「蜈蚣崙」「蜈蚣嶺」と云うおどろおどろしい名前が付けられており、社寮段下段は蜈蚣崙段、蜈蚣嶺段と呼ぶ向きもある。「蜈蚣」とはムカデ(百足)のことである。(続く)
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2018年08月11日

八通関古道竹山段−5

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【写真説明】郷道43号線の起点まで引き返し、省道3号丙線を更に集集方向へ数百メートル進むと、同じく右側に湾仔巷と云う番号が振られていない自動車道が口を開けており、郷道43号線と同じ西側に広がる山に入り込んで行く。湾仔巷をどうやって探し当てたか?僅か二年前ぐらいのことだが記憶に無い。郷道43号線沿線と同じく、所処に「八通関古道」の標示板が掛かるが、郷道43号線のそれが「甘泉井、石頭公」だったものが「社寮古道」の表示に替わるので、社寮段の登山口に確実に向かっている手応えがある。途中幾つか土地公を通過するので一度ならず社寮段を目指すのでれば目印になる(左写真)。中央写真は道しるべの一例。横断幕は新廟建立の案内だが、ここら一帯では「八通関古道」が人口に膾炙しているのが判る。右写真は社寮段登山口に到る最後の土地公、内暗坑土地公。(続く)
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2018年08月04日

八通関古道竹山段−4

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【写真説明】最後はバナナ畑にぶつかり、ご丁寧にそのバナナ畑の中に付けられた農道を暫く辿ると云う念の入れよう、結局は諦めて郷道43号線の起点まで引き返したのだが、収穫もあった。前回投稿記事往復の途中に散在する古道の標示板には「甘井泉」と「石頭公」が併記されているので、これら二つの古蹟が清代開鑿の八通関古道関連のそれであることが判る。実は自動車道がカーブする部分(左写真)で囲い込むように各々に相当する井戸と廟が並列(中央写真;右側円錐屋根掛けしたのが甘泉井、左側福泉宮内部に石頭公)している。と謂うことは、左写真に写る自動車道は八通関古道の末裔だ。二つ乍ら当地の住民に護られて来たのだが、1999年の九二一震災以来井戸の方は草叢に埋れてしまったものを、翌2000年になり、竹山鎮公所、社寮文教基金会、紫南宮管理委員会、文建会委託雲科大重建工作隊の協力で井戸を復活させ、今に見る観光資源としての体裁を整えたのが、九二一震災の丁度一年後(右写真)であることが、当地に立つ二基の案内板で判る。井戸自体は兵営の施設として掘られたのは乾隆帝末年(1790年代)、光緒帝初年(1875年)、八通関古道開鑿時に総兵呉光亮麾下の兵士が喉を潤したそうだ。ところで、石頭公とは、読んで字の如く、自然石を信仰対象とした土着信仰と謂うことになるのだろうが、台湾内に千か所以上あると、台湾政府内政部サイト「全国宗教資訊網」に詳しい。(続く)
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2018年07月28日

八通関古道竹山段−3

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【写真説明】省道3号線を竹山から集集に向うと3号丙線に切り替わり、暫く走ると右手に南投郷道43号線の起点がある。社寮小学校と中学校の真ん中を走る。そこには誰でも判る清代八通関古道社寮段の標示板が立つ(左写真)。郷道43号線の一部が旧八通関古道と重なる部分があるのかもしれないが、現代のハイカーが目指すのは、「古道登山口」の標示板だ。途中確実に同様の標示板(中央写真)に出会い勇気付けられたが、最後に行き付いたのはバナナ畑(右写真)、引き返した。
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2018年07月21日

八通関古道竹山段−2

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【写真説明】清代八通関古道の開鑿起点は「九十九崁」と呼ばれ、レプリカ成らぬコンクリート製の九十九段の階段である。階段の最上下段は現代自動車道に面している。左写真は最下段、中央写真はその階段、右写真は最上段の点景である。南投県竹山鎮の行政センター鎮公所から歩いて行ける距離にある。
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2018年07月14日

八通関古道竹山段−1

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【写真説明】竹山市街地最西端に位置する旧竹山神社跡は、壮大な鳥居が省道3号線を見下ろすように起立している(左写真)ので見逃すことは無い。但し、この鳥居を潜ると直接参道に導かれるのではなく、まず竹山役場(鎮公所:中央写真)に到る。旧神社跡地は竹山公園と呼ばれ役場に隣接している。九二一震災の際、参道の灯篭(右写真)が軒並み横倒しになった写真を目にしたことのある読者も多いと思う。旧竹山神社跡は台湾内に残る神社遺構としては良く知られているとは思うが、この公園を訪れる人が多いとは思えない。清代八通関古道開鑿起点との位置関係はダイヤグラムを参照して欲しい。役場が行政中心になるのだが、実際の竹山市街地は役場の東側に拡がる。
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2018年07月07日

出磺坑古道(法雲寺古道)−5

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【写真説明】左写真は出磺坑古道終点、法雲禅寺境内に保存されている「大湖開闢紀念」碑。日本時代の建立であるが、漢人に依る大湖地区開拓顕彰碑。中央写真は碑本体正面、右写真は碑文の最終部分で「大正」を「民国」で改竄してある。
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2018年06月30日

出磺坑古道(法雲寺古道)−4

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【写真説明】越嶺部から法雲寺までは下り一方の山道で、古道終点(左写真)は、日光を正面から浴びていたこともあり、碧色に輝く屋根瓦を戴く豪華な構えの法雲禅寺(中央写真)の裏側だった。木陰の中にハイカー、参拝者の為の休憩所が設けられている。当日の古道探索の際にはこの寺院が日本時代の創建であると云う予備知識があったものと思われる。従って、寺院本殿を正面から写した写真が三葉もある。現在の伽藍が戦後の再建であるのはその真新しさで判るのだが、日本時代の面影が無いかどうか?探してみた。左写真の階段は当時のままのように思われた。
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2018年06月23日

出磺坑古道(法雲寺古道)−3

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【写真説明】地元には「出磺坑古道」の表示は案内板にも指導標にも無い。当該越嶺古道は陸軍歩道の最高点と思われる稜線直下の胡天宮までは指導標も里程標も敷設されておらず、それを過ぎると、「法雲寺古道」の案内板、指導標、里程標が出て来る(左写真)。中央、並びに右写真は法雲寺古道の景観。五月末の撮影なので草深いのは当然かもしれないが、要はハイカーが少ないのだ。胡天宮から実際の越嶺部までは暫く登りがあり、そこから法雲寺に向かい下りに掛かるのであるが、越嶺部は十字路になっており古道とは別に稜線伝いに小径があり、東西の低山への登山道になっていたが、足を延ばしてみる体力的な余裕無し。(続く)
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2018年06月16日

出磺坑古道(法雲寺古道)−2

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【写真説明】左写真は出磺坑古道即ち陸軍歩道北側入口に立つ案内板。ネット上の紹介では全長1.8キロメートル、中油南側の山と山との鞍部を乗り越して法雲禅寺まで下る山道が古道、陸軍歩道に相当する。中央写真は旧越嶺道の原型を留めていると思われる段。この段を登り切ると、越嶺部に掛かろうとする場所に胡天宮と云う廟があり、当日は樹木の伐採作業をやっていた。
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2018年06月09日

出磺坑古道(法雲寺古道)−1

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【写真説明】左写真は、中油の敷地を巻くように走る一般車道脇に立つ架橋記念碑「永安橋」、「出磺坑永安橋復造喜助芳名」。「昭和八年」の銘あり。同写真奥に快速公路72号線の高架橋が映る。中央写真は明らかに日本時代建立の家屋。独特の棟上げだが当初何だったかは想像が付かない。右写真は、中油を見下ろすような形で立つ出磺坑城隍廟、同地に神社が建っていたのではないかと云う雰囲気が漂うが、確証は無し。後方に写るのは、苗栗県公館郷と同大湖郷の郷堺に聳える尖山(507メートル)に連なる山塊。
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2017年05月06日

古油井歩道−10

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【写真説明】『古油井歩道−6』の下りを一部採録する:「この終点は記念碑広場と呼ばれ、工殤記念碑、即ち殉職碑が建つ。元の碑は日本石油時代のものではないかと勘繰ってみたが、固より戦後のもののようだ。その広場にもう一基現代油井の鉄塔が立っているが、これら二基の油井、もう操業を停止しているようだ。」古油井歩道の最高点にして終点である記念碑広場の風景二枚を掲載した。右写真は地上ケーブル軌道の終点である。全長一キロに満たない古油井作業道の紹介に十回を割いたが、旧日本石油株式会社の敷地内外にまだまだ日本時代の遺物は残る。例に依り駆け足の探索だったので漏れているものは幾らでもあるはずだが、筆者の目に触れたものを追って二三紹介する予定である。(続く)
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2017年04月29日

古油井歩道−9

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【写真説明】最後に出会うのは第29号油井。開坑時間は1923年(大正12年)8月25日、廃井時間は1974年(昭和49年)年8月4日。第18号油井と同じ頓鉆式(C式)。歩道が平坦になった見通しの良い場所にあり、丁度その横に立つバス停を思わせる建造物と合さり興趣をそそる。第29号油井の鉄製遺物は第18号油井のそれと同じく「井心」であることが判る。陳列館に実物(下掲写真)があった。「鑽井生産(Drilling & Production)」のパネルが掲げられていたので、要は油田開鑿の為のドリルと云うことであろう。(続く)

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2017年04月22日

古油井歩道−8

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【写真説明】次に出会うのは第93号油井。開坑時間は1939年(昭和14年)8月17日、廃井時間は2002年(平成14年)年7月2日。テラスが組んで展示されている。油井の汲み取り方式が種々あるようだが、筆者には分からない。案内板に依ると、前回紹介した第18号の鑿井方式が、「頓鉆式(C式)」、第93号は「旋転式(R式)」で何と無く違いが判るような気もする。今世紀初頭まで現役だったが、廃棄したのは山腰の経常的な崩落に依るものだと案内板に謂う。(続く)
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2017年04月15日

古油井歩道−7

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【写真説明】前回記事で述べたように、古油井歩道上には三基の古油井が残されている。最初に出会うのが、第18号油井。竹藪の中に朱色の流線形の鉄パイプが覗いている(左写真)。出来るだけ近くまで踏み入ってみたが、鉄パイプ下部の全文字は判読出来ず(中央写真)。傍には、台湾の熱帯雨林故苔生した案内板(右写真)が敷設され、以下の基本データが列記されている:開坑時間・完成時間・深度・海抜・加深開坑時間・加深完成時間・深度・廃井時間・鑿井方式・動力来源・封井原因。開坑時間は1922年(大正11年)7月22日、廃井時間は1936(昭和11年)年5月31日。後五年もすれば百周年である。(続く)
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