2021年02月27日

壽山古道−16:「柴山部落越嶺古道」−2

Kodou-2411.jpg Kodou-2412.jpg Kodou-2413.jpg
【写真説明】繰り返すが、壽山の西側は台湾海峡に臨む美景の海岸線である。中山大学キャンパスの最北端の大学施設である文学院脇から海岸への降口が設けられており、海岸に降り立ちそこから北側約3`の海岸線は歩行が可能である。海岸線を含む古道として著名な台東県の阿朗伊古道に肖り最近は「柴山阿朗伊古道」と呼ぶ向きもあり、この呼称が人口に膾炙するにつれネット上での紹介数も市民権を得つつある。筆者自身も柴山漁港以外はこの新歩道に踏み込んでみたことは無かったので、先日その起点の海岸まで降りてみた。驚いたことが二つあった。一つは海岸の漂着物、詰りゴミが非常に少ない事、二つ目はそれも手伝って海岸線は非常に美麗である事。左写真は、自動車道柴山大路脇の柴山阿朗伊古道への降口直下の光景、中央写真は降り切った海岸の光景(同パノラマ写真)、右写真は前回投稿写真と同じく、柴山西側最高点付近からの海岸線俯瞰。(終り)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月20日

壽山古道−15:「柴山部落越嶺古道」−1

Kodou-2408.jpg Kodou-2409.jpg Kodou-2410.jpg
【写真説明】壽山の西側は台湾海峡に臨む美景の海岸線である。この海岸線から立ち上がる壽山西面はサンゴ岩が露出した絶壁を擁しており、登山に興味の無い人には、実は市街地側東面程では無いが、登山道が縦横に張り巡らされているのを想像するのは難しい。中山大学キャンパスの最北端の大学施設である文学院脇から登り始めるのが一般的である。前回紹介した内惟越嶺古道越嶺点=柴山部落越嶺古道越嶺点から台湾海峡側へ下ると2百b程で鉄門で登山道が遮断され軍用道路に突き当たる。そこから軍用道路は海岸線の小漁港、高雄市鼓山区桃源里柴山部落まで降りて行くのだが、軍管制区内なので軍用道路に襲われた古道部は大っぴらに歩けない。但し、柴山部落自体は軍管制区内に有り、明末〜清初代に掛けての創建である柴山山海宮、漁港(2020年撮影)、居住地、畑地、果樹園を含む。嘗ては壽山西面側は頻繁に登り多く撮影した記憶があるのだが、やっと探し出して来たのが今回掲載した三枚である。左写真は地元ハイカーにA、B、C線と呼ばれる西斜面主要登山道の内のどれかの登山道風景、中央写真は西側最高点付近のサンゴ岩絶壁、右写真は西側最高点付近より俯瞰した柴山部落。何れも2003年撮影。(続く)
posted by 玉山 at 15:17| 台北 ☀| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月13日

壽山古道−14:「内惟越嶺古道」-2

Kodou-2402.jpg Kodou-2403.jpg Kodou-2404.jpg
Kodou-2405.jpg Kodou-2406.jpg Kodou-2407.jpg
【写真説明】龍泉禅寺登山口から龍門亭(東屋)を経て小坪頂方面へ向かう壽山北側の登山道目抜き通りが中心亭に至る分岐点手前で内惟越嶺古道と交差している(上掲左写真)。上掲中央・右写真はその古道部の情景。古道は中心亭上部で目抜き通りと交差(下掲左写真)する。その後、雅座方面へ登山道目抜き通りを辿ると雅座下で古道は越嶺点に至り古道を離れる(下掲中央写真)。越嶺点以降台湾海峡へ抜ける古道部は柴山部落越嶺古道と称されている。下掲右写真は柴山部落越嶺古道の越嶺点から暫く入り込んだ部分の情景。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 🌁| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月06日

壽山古道−13:「内惟越嶺古道」-1

Kodou-2398.jpg Kodou-2399.jpg Kodou-2400.jpg
【写真説明】「内惟」とは地名であり台湾鉄路(鉄道)の駅もある。ウィキペディア中文版の「鼓山区」の項には日本時代の高雄地区の行政区画の変遷が詳述されているが、日本語版は僅か一行、「日本統治時代の田町、寿町、山下町、湊町、新浜町、哨船町、大字内惟が戦後統合され鼓山区が誕生した」とだけある。ところで「惟」は「思惟(しい)」という日常語があるように「おもう」が訓読みだ。そんなことを知り始めたのは、前回投稿で紹介した幻の高雄山一等三角点の行方を捜索している途次、標高70bの「内惟山」なる三角点が埋定された一座が存在することを確認(中央・右写真)してからである。三角点と言っても戦後のもので、台湾省政府圖根補点である(下掲写真)。戦後も点の記が引継がれたとすれば点名は「内惟山」では無く「内惟」では無いか?と筆者は勘ぐっている。「山頂」は壽山登山口としては最も伝統的な龍泉禅寺(龍目井)脇から登り始め、木製階段の最初の坂を登り切った踊り場から左手に辿った、大振りのガジュマルが纏わりついたサンゴ岩礁の上である(左写真)。最初はネット上で得たGPS座標を携帯に仕込んで出掛けたが見付けられず、二回目の捜索で行き着いた。最も伝統的な登山道であるだけにハイカーの往来は壽山の中で最も激しい。この登山道は壽山北側最高点付近まで木製或いは疑似木製階段が付けられており万人が歩けるようになっているが、その登山道の一部が内惟越嶺古道を襲っているはずだと容易に想像された。その通りだった。(続く)
Kodou-2401.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月30日

壽山古道−12:「哨船頭古道」−10

Kodou-2395.jpg Kodou-2396.jpg Kodou-2397.jpg
【写真説明】嘗ての壽山山頂は、陸測一等三角点が埋定された標高355bの点名「打狗山」或いは「高雄山」(筆者自身は未特定)だったが、その山頂は今は消失しているので、台湾小百岳の一座としての壽山は嘗ての高雄山の南側にある、標高337bの通称「南壽山」を代理壽山としている。但し、行政院体育委員会(台湾小百岳の選定母体)の登録では355bの標高を残してある。左写真は南壽山山頂直下の東屋(涼亭)、山頂が軍管制区内にあるのでこの東屋を公式の台湾小百岳の代理山頂として認定されている。中央写真は、山頂の高雄市政府に依る主控点、目的は判らず、ハイカーは三角点と称している。右写真は山頂から南側の俯瞰、裕仁親王の歩かれた「皇太子殿下御登山記念碑」から哨船頭古道の北側起点の大坪頂砲台方面を見降ろす。哨船頭古道の壽山館附近より上部、大坪頂砲台までの区間は全て軍管制区内なので一般人が肉眼で確認するにはこのような方法しかない。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月22日

壽山古道−11:「哨船頭古道」−9

Kodou-2392.jpg Kodou-2393.jpg Kodou-2394.jpg
【写真説明】哨船頭古道に関する最後の二回の投稿は東西の古道起点を簡単に押さえておこうと思う。左写真は登山街が哨船街と交わり南下、高雄港に出会う部分でカーブし西子湾方面に抜けるが、そのカーブする辺りに設けられた哨船頭公園。こうして哨船頭の古名が維持されている。中央写真は哨船街が古道西側起点雄鎮北門と出会う地点、筆者の背中右側が打狗英国領事館文化園区である。右写真は現時点では工事中の北門砲台。(続く)
posted by 玉山 at 23:38| 台北 ☔| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月14日

壽山古道−10:「哨船頭古道」−8:「打狗英國領事館及官邸」と「登山古道」

Kodou-2387.jpg Kodou-2388.jpg Kodou-2389.jpg
【写真説明】哨船頭古道の西側起点(古道最低点)である著名な国定古蹟「雄鎮北門」砲台の僅かに東側は「打狗英國領事館文化園区」として整備されている。元々丘の上にある英国領事館官邸が高雄市指定古蹟として開放されていたが、丘の下の領事館も修復・復元された。これら二つの遺構を結ぶ通用道は今は「登山古道」として修復され、三つながらにして国定古蹟である。掲載した写真は左側から領事館側古道出入口、その上部、更に領事館官邸側古道出入口の景観。埋め込んだパノラマ写真は、サンゴ礁の中をうねるように伝う古道途中の白眉部分。実際この古道、登りでも五分程度で歩けてしまう。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 23:28| 台北 ☀| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月09日

壽山古道−9:「哨船頭古道」−7:「打狗水道」

Kodou-2371.jpg Kodou-2372.jpg Kodou-2373.jpg
【写真説明】左写真は、旧打狗水道浄水池入口。団体で見学申請すれば入れて貰える。同写真右側に覗くドームは浄水井戸の上部構造物。中央写真は浄水池。右写真は、浄水池下方の市街地内に残る打狗水道量水器室、浄水池同様市指定古蹟だが、全く保護されている気配無し。文化資産局の登録申請文の中には、西洋古典様式とかトスカナ柱とかの単語が散りばめてある。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月02日

壽山古道−8:「哨船頭古道」−6:「壽山館」−2

Kodou-2376.jpg Kodou-2377.jpg Kodou-2378.jpg
【写真説明】左写真は、前回投稿記事「壽山古道−4」の右写真に写る登山道階段を軍管制区側から見たもの。中央写真は、実際の登山道階段、直に百年を越そうとしているが、残存状況は驚く程良好だ。右写真は東屋の遺構状況。同写真奥の樹木が切れた部分から中山大学職員宿舎が望める。同東屋は裕仁親王高雄巡啓時に撮影された写真にも写り込んでいる。ここでは、「登山街60巷歴史場域」内の案内板Iに掲載されたものを転載、マーキングを加えた。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月26日

壽山古道−7:「哨船頭古道」−5:「高雄温泉」

Kodou-2368.jpg Kodou-2369.jpg Kodou-2370.jpg
【写真説明】左写真は、寿山国家自然公園北寿山駐車場出入口脇にある土地公「石頭公」、この下に青泉街に沿いに渡した側溝があり同駐車場との間に小さな橋が架けてある。その下に嘗ての高雄温泉ETtoday新聞雲、2019/01/08記事より転載)の冷泉(鉱泉、又は冷鉱泉)が湧き出している。中央写真は、その湧水が冷泉である証左であろうと思われる水泉花と呼ばれる麺状の白色物質が側溝を覆っている様子。呼び名は雅だが、昔、何処の溝川でもお目に掛かれたような気もする。右写真は、高雄温泉の露頭と思われる附近の側溝の景観、中央写真と同じ側溝で、前記の駐車場出入口から龍目井方向へ100bぐらいの場所。同写真右側に温泉館が建っていたかもしれない。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月19日

壽山古道−6:「哨船頭古道」−4:「龍目井」

Kodou-2364.jpg Kodou-2365.jpg Kodou-2366.jpg
【写真説明】左写真に写る柴山こと寿山への最も伝統的な登山口は鼓山区龍井里にある万寿山龍泉禅寺横にある。ハイカーの登り降りの洪水の切れ目を狙って撮影したら、却って高雄人のこの山への愛情が霧散してしまった。この登山口は寿山古道の内、内惟越嶺古道の東側起点ではないか?と筆者は睨んでいる。その登山口脇(左写真の日傘下)に格子状の蓋を被せた水路(中央写真、登山口を背にして撮影)があり、通常はそこを「龍目井」と呼んでいるようだが、実際の水源地は山中のはずだ。右写真は登山口に至る道路の一つ、「青泉街」の指導標、その意味する所は本文記事を参考にして欲しい。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月12日

壽山古道−5:「哨船頭古道」−3:「打水」水源地

Kodou-2361.jpg Kodou-2362.jpg Kodou-2363.jpg
【写真説明】「歴史場域」が中山大学敷地と接する最上部の直ぐ下にG番案内板「打水湾の水路跡」が立つ。即ち、壽山の中で希少な水源地から流れ出た湧き水を、嘗ての打水湾まで誘導するサンゴ石を積んだ水路が残っている。その付近はその湧き水が染み出し、水生植物の群生が見られる(左写真)。中央写真はG番案内板附近の景観、カヤツリグサが群生している。右写真は、G番案内板から下り、F番案内板「サンゴ石の排水溝」が立つ辺りの景観、水生植物が繁茂する排水溝とはG番から流れ落ちて来た飲料水の水路である。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月05日

壽山古道−4:「哨船頭古道」−2:「壽山館」

Kodou-2358.jpg Kodou-2359.jpg Kodou-2360.jpg
【写真説明】左写真は、「壽山館」跡地に立つ中山大学職員宿舎B棟西端から裏側に抜ける自動車道、筆者の背中左手から宿舎裏の山域に入り込んだ。そこは小さな空き地になっており、国軍管制区域警告板が立っている。中央写真左奥にサンゴ石の石塁が覗いている。この写真を撮影した際は意識していなかったが、右写真に写るコンクリートの階段を支えている。即座に、壽山館後方に開削された登山道、前回投稿で紹介した「展望道」の一部、裕仁親王も歩かれた古道だと判断した。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月28日

壽山古道−3:「哨船頭古道」

Kodou-2354.jpg Kodou-2355.jpg Kodou-2356.jpg
【写真説明】左写真は、「登山街60巷歴史場域」内の清代古道部分の丁度中間地点、F「サンゴ石の排水溝」の案内板が有る辺りの古道の景観、南側を振り返った。中央写真は、歴史場域内で最高点で最後の案内板、10「清代の古道と日本統治時代の展望道」(同写真右奥)越しに嘗ての打水湾、現在の高雄港側を望んだ。右写真は、中央写真とは反対方向から、登山街60巷方面を望んだもの。旗津-鼓山往復フェリー上からの撮影だが、清代古道を意識していたわけではなく、同写真上側の真っ直ぐな稜線上に写る白色の建物群の内、中央やや左側に写る黒っぽい屋根をいただいた建物(日本時代設営のゴルフクラブと謂われる。高雄人は「小白宮」、ミニ・ホワイトハウスと呼んでいる。国軍管制区域内に付き進入不可)を確認するのが目的だった。清代古道の目的地、大坪頂砲台は同じ稜線左側、裕仁親王が足を運ばれた最高点(「登山記念碑」が建てられた)は逆に同稜線を右側に進む。同写真中央奥のレンガ色の建物群は中山大学構内。そのまま右側に辿ると、裕仁親王のご宿泊地である「壽山館」なのだが、今は同大学職員宿舎に襲われている。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月21日

壽山古道−2:「壽山清代古道」

Kodou-2350.jpg Kodou-2351.jpg Kodou-2352.jpg
【写真説明】壽山清代軍事道路の一本である「哨船頭古道」の「歴史場域」内段、登山街60巷の入口付近の景観を三枚掲載する。住宅街の路地の登り一方の階段である。左写真の左側に写る日本式家屋は歴史場域のトイレ、詰り登山街60巷は歴史場域の西側に沿った路地。中央写真は、歴史場域内の4番目の案内板「壽山清代古道」の案内板が立つ辺りの景観。右写真はその案内板を過ぎ更に登山街60巷上方を望んだ。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月14日

壽山古道−1:「登山街60巷歴史場域」

Kodou-2347.jpg Kodou-2348.jpg Kodou-2349.jpg
【写真説明】左写真は行政区画では高雄市鼓山区壽山里に属する登山街60巷(巷は丁等に相当する住所の単位)入口を登山街西側から望む。中央写真はその登山街60巷に入り込み、そこに最近になり(2017年9月)設営された「登山街60巷歴史場域」を背にして撮影。右写真はその歴史場域の最下段を一望したもので、パノラマ写真も添付した。この広場は元々高雄築港出張所官舎跡地だったと現場に説明がある。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月07日

出関古道−11

Kodou-2341.jpg Kodou-2340.jpg yn004.jpg
【写真説明】通称「南湖遥拝所」は、南湖派出所より台3号線を僅か(恐らく100b程度)に北上、東側に登る自動車道を登り切った辺りの平坦地にあったはずだ。左・中央写真はその台3線との三叉路とその地の字(あざ)、右写真は日本時代建立の「遥拝所建設記念碑」、但し建設日、碑建立日の刻字無し(或いは故意に剥落?)。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月31日

出関古道−10

Kodou-2337.jpg Kodou-2338.jpg Kodou-2339.jpg
【写真説明】私事で恐縮であるが、昨日は筆者の62回目の誕生日だった。このブログ、何時まで書き続け、どう結末を付けるのか?考えあぐねる日々が続く。。。出関古道の周辺点景として後二箇所だけ紹介を続ける。出関古道東段北側起点を確認する為に、台3線から西側に郷道60号線を4`程辿ったと紹介した。この道中、往路か復路かは忘れたが、古ぼけた附近の名所案内板を見付け、そこに日本時代古蹟として石橋と駐在所が書き込まれていた。石橋の方は見付けられず。駐在所跡の方も殆ど諦め掛けていたが、復路、台3号線との三叉路まで降りて来た時、その交差点越し左手に明らかにそれらしい遺構が見えた。郷道60線を基準にすれば台3線の僅かに北側である。その時はそのまま高雄に戻るべく台3線を南側に下り遣り過ごした。後日、同じ苗栗県の一座に登った際、現地を時間を掛けて巡った。現在の苗栗県大湖郷南湖村南湖派出所に隣接していた。派出所勤務の警官は驚くべきこと(?)にこの遺構に関し何の知見も無かった。しかも、この遺構部分は派出所の敷地外のプロパティーとの由。但し、台湾ネット上で、この遺構の紹介を見付けられず、筆者の拠り所は、郷道60号線上の案内板のみである。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月24日

出関古道−9

Kodou-2334.jpg Kodou-2335.jpg Kodou-2336.jpg
【写真説明】出関古道東段、十份[山|東]段の北側起点の点景三枚。左写真は、台3線から自動車道である郷道60号線を西側に辿った末に往き当たる同道の最高点にある古道との分岐点。中央写真はその峠の自動車脇の意匠。この意匠の中心は、伝統様式に拠る「茶亭」、日本風に謂えば峠の茶屋である。右写真はその峠の茶屋。完全復元なのか修復なのか?は筆者は判断出来ず。但し、大正年間の建立である。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月17日

出関古道−8

Kodou-2327.jpg Kodou-2328.jpg Kodou-2329.jpg
【写真説明】新百二份山を越えさらに古道を北上すると産業道路、農道が一条の古道と数箇所で交差している部分もあり、台湾電力に依る工事現場とか意味不明の構造物と相まみえたりし、興が削がれると言えないこともないが、印象的だったのは、眼前一杯に広がった生姜畑であった。このカテゴリーの最初の投稿記事で紹介したように、この地は生姜の一大(?)生産地との触れ込みなので、ちょっと驚いたのである。実は霧が張り出して来て良い塩梅になったのだ。畑の西端は古道がそのまま農道なのだが、この部分の南側出入口(上掲写真)と北側(下掲写真)のそれを並べた。栽培状況が判るように、このパノラマ写真を添えた。(続く)
Kodou-2330.jpg Kodou-2331.jpg Kodou-2332.jpg

posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月10日

出関古道−7

Kodou-2323.jpg Kodou-2324.jpg Kodou-2325.jpg Kodou-2326.jpg
【写真説明】雲洞山眺望台から約700b地点にある東屋「百壽亭」と、その脇にまだ立ち続ける新百二份山(847b)の三角点、正式には圖根點(地籍四等三角点)である。台湾ネット上に、この山名の別称として「菜寿凸」の表記を見付けたが、こちらが点名かもしれない。余談だが、地籍三角点の埋定、測量は、一等三角点に代表される陸測三角点のそれより早い。第三代台湾総督児玉源太郎治下、民政長官後藤新平の指揮で、臨時土地調査局(左写真に銘有り)を設立、ドイツの測量方法に拠って、地籍(土地戸籍)調査目的で三角測量を開始したのが、明治31 年(1898 年)、明治38年(1905年)に測量を完了させている。当時埋定された三角点標石は約3,300基、その一基なのだが、どんなに新しく見積もっても優に百年を越えている。それにしても「新」を冠したこの山名は悩ましい。では旧名、即ち新無しの山名がありそうなものだが、手元の地図を眺める限り見当たらない。序でに山名の中の「份」に言及しておく。安倍明義の『臺灣地名研究』に依ると、「份(分)」とは、「もともと脳灶(十灶を一份という)を設けた地に因んで名づけられたという。一説には份とは開拓した土地の股份(持分の意)の義であるともいわれている。」「脳灶」の読みは「のう・そう」、「灶」は「かまど」(竈)の意、樟脳の煮窯の事だと思う。尚、竈は「灶」の異体字である。要は附近は日本人が入り込む以前から樟脳精製の小屋が点在していたと謂う歴史点景だ。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月03日

出関古道−6

Kodou-2317.jpg Kodou-2318.jpg Kodou-2319.jpg
【写真説明】本古道の最初の投稿記事にて、古道東段(十份[山|東]段)4`、西段(聖関段)2.5`、現在歩道として整備されている部分の総延長は従って6.5`。この東段4.5`の距離は、どうも県道130号線を起点とし、雲洞山頂上の眺望台迄の距離も含めているようで、東段の実質的出入口は眺望台の北側に口を開けている(上掲写真)。そこからだと、東段の距離は約3`、筆者は時間の関係で凡そ三分の一だけを歩いてみた。古道入口から暫くの間は、古道然としており筆者を喜ばせてくれた(下掲左写真)が、直ぐに古道修復工事に往き当たった(下掲中央・右写真)。(続く)。
Kodou-2320.jpg Kodou-2321.jpg Kodou-2322.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月26日

出関古道−5

【写真説明】出関古道の最初の紹介記事の中で、古道東西段の分岐点を一応苗栗県県道130号線上としたが、実際古道東段の出入口は雲洞山最高所の眺望台(下掲写真)北側にある。県道からこの眺望台に至る迄は、「大湖薑麻園休阡_業区」(通称「薑麻園」)が横たわり遊歩道が付けられているので、ハイカーの好みによりコースを選べるのだが、総じて退屈な遊歩道だ。但し、眺望台からの眺望は先の投稿で紹介したように、腕に自信のあるカメラマンが群がる様が保証してくれている。その眺望台から撮影した写真二枚と聖衡宮横の民宿二階から撮影した写真を以下に掲載しておく。■マークをクリックして欲しい:

眺望台から南西方向、関刀山とその稜線。この方向からだと大人しい山勢である。
眺望台から北東方向、即ち出関古道東段を望んだものだが、実際古道がどう延びているのか?までは判らない。同写真左奥に写る小山は、古道東段のマイルストーンの一つ、新百二份山(標高856b、ネット上で「菜寿凸山」の別称を見付けた)。
聖衡宮横の民宿二階から撮影した南東方向に望む雪山山脈と雲海。2019年11月3日、朝約6時。(続く)

Kodou-2313.jpg


posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月19日

出関古道−4

Kodou-2309.jpg Kodou-2311.jpg Kodou-2312.jpg
【写真説明】左写真は出関古道西段を登り切った際に最初に目にする関刀山頂上の広々とした景観、三角点は同写真奥に埋定されており見えない。中央写真は古道東西段の分岐点方向、即ち関刀山登山道出入口方面に鎮座する雲洞山を望んだ。右写真は地籍三等三角点、筆者の手元にある『台灣全覧』には括弧付きで(「挿旗[山|東]」)の表記もあり、どちらが点名(点の記に記載された基点名称)なのか?は判然とせず。三角点は左写真奥のもう一つの広場脇に埋定されており、その三角点を含む▲パノラマ写真、同写真に写るカップルが居る場所が三角点。同写真に写るコンクリート構造物の残骸が元々何であったのか?は想像が付かず。いずれにしても、平坦な山の頂上はこの上無く気持ちが良い。関刀山頂上は絶品である。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月12日

出関古道−3

Kodou-2303.jpg Kodou-2304.jpg Kodou-2305.jpg
【写真説明】出関古道西段の後半部分の景観。この段の古道の魅力は雑多な植相を楽しめることだ。上段左写真では判り難いのだが、古道両側の木立は古い蜜柑の木である。とうの昔に打ち捨てられたものだが、古道沿線の嘗ての畑作の名残である。中央写真は関刀山山頂山塊を撮影したものだが、古道西段沿線からはこの程度の眺望が精々である。雲洞山頂上からの関刀山及び稜線の写真は後日紹介する。右写真は茅藪の中を潜り抜けるような感触の一段。下掲左写真は野生と思われるバナナ畑を過ぎる。中央写真は関刀山頂下の竹林、野生と謂うより筍栽培目的に植え込んだもののはずだが、美しい。右写真は関刀山頂直下、前回投稿中の下段右側に写る石段と同様の石段だが、古道本来のものかどうか?(続く)
Kodou-2306.jpg Kodou-2307.jpg Kodou-2308-r.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月05日

出関古道−2

Kodou-2297.jpg Kodou-2298.jpg Kodou-2299.jpg
【写真説明】今回と次回投稿は出関古道西段(聖関段)、即ち関刀山頂上に至る迄の古道景観を殆ど写真のみで紹介したい。今回は当該古道前半、次回は後半部と大まかに分けることとし、時間、距離等の細かい数字は省くことにする。古道と呼ぶにしろ、登山道と呼ぶにしろ、この段は筆者にとっては非常に気持ちの良い景観の連続だっただけに大いに満足した。上段左写真は、関刀山への実質的な登山口、丁度階段の修復作業中だった。中央写真は、出関古道東西段の分岐点附近、即ち筆者が出発した関刀山登山口方向を振り返ったもの、同写真右奥に聖衡宮が見えている。右写真は、更に高度を稼ぎ中央写真と同方向を望んだもの。前回の記事で紹介した無基点峰の雲洞山とその平たい頂上稜線上に眺望台が覗いている。この眺望台下が出関古道東段の実質的な起点となっている。詰り出関古道西段から東段方向を望んでいることになる。下段の三枚は西段前半部の古道の光景。下段右写真は古道が関刀山に取り付く鞍部附近で産業道路と交錯している場所、右側が取り付き地点、左側の階段は古道上に元々設えられていたものか?登山道として整備された時付けられたものか?は判然とせず。筆者としては前者だと思いたいのだが。(続く)
Kodou-2300.jpg Kodou-2301.jpg Kodou-2302.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月29日

出関古道−1

Kodou-2294.jpg Kodou-2295.jpg Kodou-2296.jpg
【写真説明】左写真は苗栗県中でも著名と思われる聖衡宮、台湾小百岳の一座関刀山への登山口への格好の道標(みちしるべ)である。出関古道は、この聖衡宮がその脇に鎮座する苗栗県県道130号線で交差、便宜上東西段に分けられているが、中央写真は県道脇の東段起点附近の賑わい。右写真は、逆に出関古道西段、即ち関刀山登山道入口である。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月22日

虎頭埤−8:新化国家植物公園(新化林場)

Kodou-2290.jpg Kodou-2291.jpg Kodou-2292.jpg
【写真説明】嘗ての台湾総督府付属の台南演習林は、今は新化林場、或いは新化国家植物園として中興大学実験林に受け継がれている。左写真は、その正面ゲート。中央写真は正面ゲートを潜った場所に置かれた今年2020年度が林場開場百周年を意味するオブジェ。右写真は林場内の最高点に設置された休憩所「自在亭」と地籍三等三角点、通称礁坑子山、正式点名は畚箕湖山。「畚箕」は見慣れぬ漢語であるが、(箒と)「塵取り」の事で、中文では日常生活用語だ。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 『水の古道』虎頭埤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月15日

虎頭埤−7:鹽水埤

Kodou-2287.jpg Kodou-2288.jpg Kodou-2289.jpg
【写真説明】今回から新たな古道紹介に移る予定だったが、虎頭埤のバックアップとして建設されたダムがその北側に存在することを知り最近実地検分に出掛けたので、簡単に報告しておく。バックアップとは虎頭埤の水量が乏しい時に放流すると云う意味であろうが、このバックアップ・ダム、鹽(塩)水埤と虎頭埤とは繋がっており、鹽水埤から虎頭埤へ放流されるのか?或いは鹽水埤は独立したダムで虎頭埤と同じ灌漑水経路に放流されるのか?そこら辺りまでは調査未達。二つのダムの地理的関係はこの俯瞰図を参照にして欲しい。いずれにしても、どちらのダムも、現在の台南市の行政区画内で完結し台湾海峡に流れ込む鹽水渓の支流を堰き止めたものであるが、八田與一の嘉南大圳が完成した後は、灌漑水配水システムの機能性は減衰していったそうだ。手元の地図では鹽水埤の周囲に車道があり、然程苦労せずとも行着けると踏んでいたが、鹽水埤に北側からアクセスした関係で、台南市郷道を離れてから埤畔に至るまでの数`の車道は、バイクが対抗して来ても同時通行は不能、釣客が車で入り込んで来たら逃げ場皆無、おまけに、右写真に写る警告板二基を目撃、実に緊張のしぱなっしで、現地に着いた後も、復路の心配ばかり、ここに掲載した写真(何れも埤北畔から南畔を望んだものであることを事後Google Mapで確認)撮り終わると、中央写真奥に写る閘門は確認せずに帰途に就いた。埤面には太陽電池発電用のパネルが浮かんでいたが、一体全体機能しているのかどうか?と云う疑問より、これらのパネルをどう運んで来たのか?と云う疑問が先に立った。結果は往復路で各々一台のバイクと行き当たっただけで済んだ。尚、台湾人なら「鹽水」と聞けば、同市鹽水区の旧暦一月十五夜の気違い染みた年中行事「蜂炮」を想起するが、この鹽水と云う地名と鹽水渓はどうも関係ないようだ。(終り)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 『水の古道』虎頭埤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月08日

虎頭埤−6

Kodou-2284.jpg Kodou-2285.jpg Kodou-2286.jpg
【写真説明】以上、これまで紹介して来た日本時代の名残りは埤の南側に集中している。日本時代に既に景勝地として整備、臺灣日日新報が「台湾八景十二勝」を募集、虎頭埤は第九勝に選定されている。今は「ミニ日月潭」の呼称有り。当時は周囲7`あったそうだが、今は最も長いコースで4.5`程、現在の遊歩道とどの位の重なりがあるのか?筆者は判らない。兎も角右回りで一周してみたが、北側は見るべきものは無かった。虎頭埤で遊楽客に最も人気のあるアトラクションは、これも南側にある埤岸と埤中の小島を結ぶ「虎月吊橋」であろう。日本時代遺物8号、前回紹介した閘門と同じく明治38年の構建であるが、現在あるのは2005年に橋柱を含め新装されたと推測される。埤畔側に一条、埤畔側橋柱(中央写真)にプラスチック製プレートが貼られているが、どちらも日本時代の吊橋の呼称が記載されていないので、当時から虎月吊橋と呼ばれていたかもしれない。もう一つ埤畔側に「重修台南縣新化虎頭埤名勝記」と題した記念碑(左写真)が立つが、異なる意趣の日本時代建立の記念碑をそのまま使い、記念碑プレート自体をすり替えたのでは?と思われる。右写真は小島側から望む同吊橋全容。虎頭埤中の吊橋の位置については、本ブログ左側メニューの「俯瞰図」を参照にして欲しい。(終り)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 『水の古道』虎頭埤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする