2024年04月06日

『水の古道』獅子頭圳-2:「獅子頭圳三幹線進水門」

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【写真説明】先ず、左写真は、四本の圧力鉄管を通じて落とされ発電を終えた水の放水口を発電所構内から撮影(2006年撮影)、現地では「尾水道」と呼ぶ。筆者の背中が発電所。中央写真は同じ尾水道を発電所構外(明治四十二年竣工記念碑と発電所正門の中間点南側の小橋)から撮影(東向き;以下全て2019年撮影)、その真逆側、即ち西側に獅子頭圳幹線最初のコンクリート構造物、四連の水門があった。当該水門上に「獅子頭圳三幹線進水門」のプレートが嵌め込まれていた。さて、これをどう解釈するか?因みに、同じ水流に対し発電所構内では放水と呼ばれ、構外で新しい機能をコミットし進水と呼ぶ。候補は二つ、第三幹線、或いは三幹線(一括)。。。もう一度この獅子頭圳幹線・支線配置図を見て欲しい。十穴まで幹線の分岐は無い、詰り後者の解釈が多分正しい。下段中央写真は、進水門を東側から撮影、右写真はその四連門を越した獅子頭圳最上流の荒々しい水量と水流、これが当該水圳の第一の特徴である。

最後に既出のダイヤグラムの更新版は以下の通り:

B)カテゴリー「獅子頭圳」投稿記事のタイトルとエピソード対比
C)B版拡大図(続く)
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2024年03月16日

『水の古道』獅子頭圳-1:竹仔門発電所(1)

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【写真説明】何はさておき古蹟としての竹仔門発電所を代弁する「明治四十二年」竣工記念碑の案内標識(左写真)と記念碑の現況(中央写真)、前回の投稿記事(『水の古道』竹仔門発電所(3))のものは2006年6月撮影、今回はそれから13年後の2019年11月撮影、右写真は発電所正門。尚、「子」と云う漢字の取り扱いについて―発電所の正式名称は「仔」、獅子頭圳の場合は「子」、実際は二つの漢字の間に大きな意味合い上の差は無いはずだ。
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2024年02月24日

『水の古道』旗山圳;第一幹線取水口

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【写真説明】当該灌漑水路の全体俯瞰図は既に以前の投稿記事の中で紹介済みだ。灌漑設備の殆どはコンクリート製の水路なので、読者の興味を引くのは極めて難しいと考えている。勢い踏査の熱心さも冷めがちだ。それで筆者の場合、頭とケツだけを押え踏査を都合よく端折る手段に出るわけだ。旗山圳を踏査した当時、第一幹線取水口(らしきもの)まで特定していたと云う記憶は疾うに飛んでいた。かと言って踏査地付近で筆者自身で撮影した写真を利用し踏査地を正確に特定するに、筆者の記憶力は余りにも雑だった。それでも意図不明の写真群とグーグル・マップを睨めつけながらやっと探し出した。グーグル・マップからの切り貼りも貼り付けてあるが、発見の正当性をバックアップするものだ。

先ずは特定した旗山圳第一幹線取水口付近と思われるグーグル・マップから起こした地勢図。各点線は赤=旗山圳第一幹線、黄=楠梓仙渓(同河川主流からの取水用引き込み線?)、茶=日本時代構築の堤防(「ストリート・ビュー」から切り取り、何故ここに堤防が必要だったのか?未調査)、水色矢印=取水口設備の一部と思われる。但し、日本時代興建かどうか?未調査。

ここに掲載した筆者自身撮影の写真は左から:堤防上から取水口システムの一部と考えられるコンクリート建造物をバナナ畑越しに見る:(中央)左写真の近影:(右)中央写真の近影、設備上に「旗山圳一幹線4號制水門」の表札あり。このようなケースで大変な作業はストーリー作りとそれに沿った写真の選択、今回の僅かな投稿記事を認めるのに膨大な時間を費やしている。。。(続く)
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2024年02月03日

美濃古道−16:「原旗山上水道」−2

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【写真説明】ここで前に戻り、前回筆者未踏査に付き紹介が不完全のままになっていた日本時代施工の上水道遺構を紹介する。当該地が市街地内にある為、T博士に撮影者としてご足労願った。前回の投稿の中に、遺構現場に立つ案内板全訳を織り込んだが、その案内文は、これもコメントしたように旗山地区が高雄県政府に属していた時期のものだ。今は、文化部文化資産局の管理下にあるサイトが恐らく最上位と思うが、水道施設関連の歴史情報に関しては、日本時代のものは手厚く扱われているのは、これも以前紹介したが、このウィキペディア台湾のリスト(「台灣日治時期水道設施」)を見ると良く分かる。旗山の当該指定古蹟に含まれるものは;表彰記念碑、引水道、阻水閘門及び階段、濾過・浄水池関連建築物である、と説明済だが遺構の中心を為す左・中央写真はどう見ても量水器室なのだが、台湾側でそういう説明に出会ったことが無い。ところでT博士は現地に二度出向いたのだが、「表彰記念碑」は未だ探し得ていない。(終り)
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2024年01月13日

『水の古道』旗山圳:三大水橋−武鹿坑水橋(美濃古道−19)

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【写真説明】明けましておめでとうございます。今年も本ブログをご贔屓賜りますようお願い申し上げます。

さて本渡槽は旗山圳三大水橋の中で今現在最も人口に膾炙しており、グーグル・マップ上では高空水橋の名で観光名所として登録されているのは、灌漑水路としては特異な概観を呈しているからだが、幹線自動車道台29号線の直ぐ西側にその威容(異様)を晒している、詰り露出度が高いからだ。このような恐らく百年古蹟に成らんとするとは言い乍ら変哲も無いコンクリートの水路が話題になるのも武漢肺炎渦のお陰、要は暇人が増えたわけだ。何故ここに渡槽を掛けたのか?はパズル、素人には判らない。台29号線が武鹿渓を横断する地点には当然橋(武鹿橋)が架けられているが、その直ぐ西側には旧台29号線に架けられていた同名の橋がそのまま残してある。更にその西側にもう一本橋が架けられていたようで橋桁のみが残っており恐らく日本時代の武鹿橋かもしれない。この三本目の武鹿橋に並ぶように渡槽、即ち武鹿坑水橋が架けられている。この水橋を西側から望み且つ三本の武鹿橋との関係が判るようにグーグル・マップのストリートビューを調整したのがこのダイヤグラムだ。尚、グーグル・マップ上の渡槽位置は不正確、筆者の方で黄色4点でマーキングしたのが実際水橋が架かっている位置だ。

左写真は現存する旧武鹿橋より更に古い武鹿橋橋桁と水橋方面。中央写真は基本前出のダイヤグラムと同一方向から撮影。専門家が見れば構造上色々面白い箇所が見い出せると思うが、筆者の興味が向いたのはこの一箇所だけだったようだ。中央写真左側(武鹿渓北側、旗山方面、反対は高雄方面)に旗山圳の余剰水を落下させているように見えるがこれ以上の詮索は止めにする。いずれにせよ日本時代に組み込まれた仕組みだと思う。

三大水橋が旗山圳上の渡槽であると云う認識を2019年当時の集中踏査の際に持ち合わせていたかどうか?は実に怪しい。どのような媒体を通してその存在を知ったか思い出せない。西圓潭水橋と頭林水橋は筆者の方で狙いを定めて訪ねて行ったのだが、武鹿坑水橋の場合は事情が異なる:向こうの方から勝手に立ち現れたと言うべきだろう。と謂うのは旗山地区の幹線自動車道の一つである台29線(国道29号線に相当、旧省道29号線、通称旗甲公路)を走り武鹿坑橋を渡る際、ドライバーの目に大振りな渡槽が飛び込んで来るからだ。空中で総延長50bを超える渡槽を支える逆V字型の高架橋は今にも折れて倒壊しそうな危うさと戦後を生き抜いてきた逞しさが同居しているような印象を受ける。筆者が初めて遭遇した際は恐らく極めて少人数の人々の関心を引いていたに過ぎなかったはずだが、今はグーグル・マップ上で「高空水橋」の名を冠されて観光名所の扱いになっている。美濃・旗山地区には複数の高空水橋が今尚現役として残留しており、カテゴリー『水の古道』美濃水橋で紹介した一架はそれまでは南台湾では最も著名であったが、実は唯一のものではなかったのだ。(続く)
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2023年12月23日

『水の古道』旗山圳:三大水橋−頭林水橋(美濃古道−18)

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【写真説明】前々回の投稿で引用した『公民新聞』がリストアップした二番目の水橋は頭林水橋だ。水橋の高さ、延長は各々10b、56bの堂々とした構造物のはずで、グーグル・マップで俯瞰した西圓潭水橋の絵を掲載したように、大いに目立つはずなのだ。頭林水橋に対しても同じ作業を実行したのだが、見附け出せなかった。筆者が踏査した2019年当時、筆者の手元に地上10bの空間に渡槽が架けられていると云う情報を持ち併せていたかどうか?自信はないが、踏査区域−旗山市街地南部に隣接する雑踏地区。上段左・中央写真は今回の踏査区域内の旗山圳の風貌−は当時の手元情報に忠実だったと思う。筆者の利用している『台灣全覧』の縮尺は25,000分の一だが、頭林水橋の在処と思しき場所へのアクセスの手掛かりとして「過水橋」(水橋の意)と「魚市場舊址」(旧魚市場、右写真)が明記されている。それらのランドマークを含めたこのダイヤグラムは頭林水橋周辺の衛星写真で、ピンク実線部(=旗山圳)と点線部の交差地点に水橋があることになっている。確かに水橋は現場(下段三枚の写真)にあったが、公民新聞の報告にある水橋スペックに程遠いし、日本時代の遺物ではない。尚、右写真はミニ渡槽が掛けられている小川である。尚、前出のダイヤグラム上の右側、ピンク破線の終点は「旗山水利站」で『台灣全覧』からの転記だ。 ご覧のように大規模施設を抱合した地点なのだが、グーグル・マップ上に当該地点の記載はない。恐らく上水道施設かもしれないが、奇異の感じがある。テロ対策か?(続く)
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2023年12月02日

『水の古道』旗山圳:三大水橋−西圓潭水橋(2)(美濃古道−17)

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【写真説明】この最初の水橋紹介に関し一つの余談がある。どう云う切っ掛けがあったのかすっかり失念してしまったが、当時六張犂の住民と日本人が作った水路に関し話をしている。そしてお隣の内門区からの日本時代敷設の導水路が今でも現役だと説明を受けた。場所は六張犂巷を更に進み最後の人家を過ぎた所を右折(東進)し暫く行くと導水路のトンネルに出会うが日本人が作ったものだと謂う。このダイヤグラムの赤点線が筆者の進入ルート、本稿掲載写真上段三枚+下段左二枚参照。その通りに入り込んで行くと確かにトンネルに突き当たり、北側に水路を200b程進むと、水路の流れを二分している水門に突き当たり(下段右写真、筆者の撮影した構造物はグーグル・マップで確認出来る;前述のダイヤグラムの囲み写真参照)、それ以上は愈々軍管区(陸軍指揮部)となり入り込めないので引き返した。この謎の水路の取水口位置は六張犂の方に教えて頂いたような微かな印象があるがこれも思い出せず。いずれにせよ、この水路の日本時代との関わり合い、取水口位置、目的等々不明のまま。又、更に余談になるが、上段左写真後方に写る山は、大山(ダイサンと発音していたか?)、標高266b、日本時代の三角点が埋定されているはずだが未踏、これも筆者の宿題事項のままだ。(続く)
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2023年11月11日

『水の古道』旗山圳と三大水橋ー西圓潭水橋(1)(美濃古道−16)

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【写真説明】ここに掲載した写真は、本投稿中で引用したウェブ版『公民新聞』の記事中、最初に紹介されている「西圓潭水橋」である。正確な行政区画上の位置は、高雄市旗山区永和里六張犂巷。先ずは当該水橋部分のグーグル・マップの航空写真を埋め込んだ。口隘渓を渡河している部分のみならず水路全体が旗山圳第ニ幹線と成る(第一幹線は別途紹介予定)。口隘渓も旗山圳も北から南に流れる。上段左写真は、六張犂の集落入口付近、同写真中央の水路は正に水橋を通り抜けて来た水が流れる第ニ幹線。中央写真は水橋を西側から見る。後段で台湾のニュース記事を引用しているが、そこに描かれているようなのどかな水橋の風景とはいかない。一応立入・横断禁止だ。右写真は水橋上部詳細、六連のコンクリート製直方体筐体を組み合わせ、逆V字型の橋脚で支える。下段左・中央写真は口隘渓の川底に降り撮影、水橋を下部から観察。後段のニュース記事「底部を水流方向に沿って階段状の鉄筋コンクリート製の大小の楕円柱で固定、流れを作り、強くて丈夫な構造を保持している」様。右写真は水橋をたった今渡って来た圳水、台湾の圳水はどこでもそうなのだが、清烈だ。ここも例外ではない。
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2023年10月21日

美濃古道−15:旗山渓−1:「原旗山上水道」

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【写真説明】左写真は孔子廟駐車場(最下段)近く(と記憶する)で出食わした壽山古道−9:「哨船頭古道」−7:「打狗水道」中央写真と同じ浄水池上部構造物。所謂国家文化資産指定を受けた「原旗山上水道」核心部は、この写真の構造物より北側に有り、前述投稿記事右写真と同じ量水器室なのだが、筆者はどうも旗山のそれを少なくとも垣間見た印象はあるが、写真も無く、従って行き着いていない模様だ。旗山市街地内の関連遺構マップはこのダイヤグラム1を参照、又、楠梓仙渓+旗尾山まで含めたダイヤグラム2も参照の事。中央写真は旗山神社跡地南側に隣接する通称旗山太平寺の日本時代遺構の中の一つ、太平橋。同写真手前に写る水路(旗山渓、或いはその支流、ダイヤグラム1上で青線で明示されている)を流れる水の質に注目。いずれにせよ原旗山上水道は旗山渓を水源としていたはずだ。又、同写真後方の階段と石塁の出来栄えにも注目。右写真は太平寺構内に無造作に置かれた日本時代に使われたと思われる神社、或いは寺院の残骸、太平寺はまだ現役であることを考えると、旗山神社遺物かもしれない。旧上水道設備を追い掛けていたと察せられる水路、側溝の類の写真が手元に残っているが、何処で何故そんな写真を撮ったかはすっかり失念したのでここでの掲載は差し控える。
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2023年09月30日

特別投稿:新刊書発行『新・台湾紀行−硬派のためのエピソード集』

Kodou-2929.jpgAmazonのKindle Direct Publishing (KDP)を利用し、明日10月1日付けで発行する。筆者にとり生涯で最初の書籍出版体験だ。表紙のデザインのみをキンドル本カバー装幀ビジネスをメジャーとしているプロにお願いした。後は自力で何とか余り見苦しくない形に纏め上げた。誰でも自力で容易にセルフ出版が可能という謳い文句が溢れているが、実際は手強い!というのが筆者の初体験の感想だ。今回一番苦労したのはMS Wordと出来栄え確認アプリ(例:「Kindle Previewer」)の互換性だ。簡単に言えば、Wordの設定がPreviewerに正確に反映されないと云う問題だ。そのうちにこのブログでKindleの話をすることになるかもしれない。

この新刊書の内容、タイトルの意味等々をブログ上で詳細に説明する労は取らないことにする。アマゾンの商品案内中の書籍内容紹介、或いは、フリーサンプルの冒頭の前書きを読んでいただければ十分なはずだからだ。唯一繰り返しておきたいのは、本書は、令和2年〜4年の三年間に渡りメルマガ『台湾の声』に投稿、配信された13編の記事を集め構成されている。詰まり筆者のブログ読者の中には同時に『台湾の声』読者もいらっしゃるかもしれない。今回本書に所収するに当たり、マイナーな更新以外は行わず、出来るだけオリジナルの記事を保持した。当時の記事と今回書籍化した文章の大きな相違は、後者にはルビを振ったことだ。特に、台湾の地名をどう発音するか?に注力した。

表紙の写真は台湾第二の高峰、日本時代の次高山(つぎたかやま)直下の嘗て火災に遭遇した玉山圓柏だ。表紙写真説明は奥付に僅かばかり入れ込んであるが、詳しい紹介は本文中であり、フリーサンプルでもカバーされていない(但し、『台湾の声』に投稿・配信済み)ので、ここに抜粋しておく:
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2023年09月16日

美濃古道−14(旗山三祠:旗山神社、旗尾神社、旗尾山祠)

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【写真説明】左写真は、旗尾山連峰の最南端の二つのピーク(右側北旗尾南山と左側無名峰か?)の鞍部越しに覘く通称台糖旗山糖廠、このカテゴリー「美濃古道−0」の中央写真と同じ角度からの撮影で典型的な日本時代建設の製糖工場、煙突と緑色の工場屋根が目印だ。中央と右写真はその製糖工場内で目撃した嘗ての構内神社だった旗尾神社の残骸を利用した例。撮影時(2017年8月)は神社遺物であることはすぐさま判ってもそれらがどこから持ち込まれたのかは知見が無かった。

台湾サイト上では「旗尾山祠」の由来に関わる明確な情報は提供されていないというのが筆者の前回までの結論だった。ところがもう一つ旗山人士と思しき有志に依る秀逸なサイトに往き当たった。サイト名は『旗山奇』、主宰者の古写真コレクションがこのサイトの主要財産のようだ。丁寧に見ていくと以下のようなものが見えて来る;

1)旗山神社―旗尾山神社―旗尾山祠の三社が嘗て旗山地区には鎮座していた。
2)旗山神社は戦後すぐに排斥されたのではなく、少なくとも1972年以降の排斥と思われる。
3)旗尾山祠は元々典型的な石製の祠だったようだ。
4)旗尾神社とは現在の台湾製糖旗山廠の構内神社であり、筆者もその残骸を目撃したことがある。。。序(ついで)に加えると;
5)旗尾山祠、即ち旗尾山頂に至る現在の登山道は941段あるとは云え鉄筋コンクリートで防備されているが、以前は吹き曝しの無防備な急斜面に登山道が開鑿されおり、何故か山腹が丸裸だ。(続く)
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2023年09月02日

美濃古道−13:擔横山(鼓山)(2)

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【写真説明】日本時代も恐らく鼓山公園と呼ばれていたか、旗山神社の為の鎮守の森であったかもしれぬ。当時の地形図には単に「公園」の表記あるのみ。左写真は、旗山神社を襲って興建された壮大な孔子廟下の階段踊り場から対岸の旗尾山連峰を望む。無論最高点が旗尾山であり最後方稜線左側が月光山である。天を突くような山容は何時見ても気分の良いものだが、筆者が足を主に伸ばすのは美濃側、即ち楠梓仙渓左岸側である。圧倒的に旗尾山方面から孔子廟を含む旗山市街地を見下ろしているのである。中央写真は担横山山頂より東側、旗尾山連峰最南部を旗山市街地越しに俯瞰する。阿里山山脈最南部はそのカウンターパートである玉山山脈最南部に比較すると標高は低くだらだらと標高を落としているのが良く分かる。右写真は担横山山頂に埋定された二基の測量基点、何れも国民政府のもの。嘗ては地籍三等も埋定されていたとのこと。(続く)
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2023年08月19日

美濃古道−12:月霊旗縦走(9)−擔横山(鼓山)

【写真説明】このダイヤグラムは旗尾山(きび・さん)を含む玉山山脈最南部、美濃(みの)と旗山(きざん)を分け隔てる楠梓仙渓(なんしせん・けい)、そして旗山市街地とその後方に迫る阿里山山脈の最南部の関係を表したものだ。二つの山脈が楠梓仙渓の両側で競い合っているような感がある。楠梓仙渓の現在の正式呼称は旗山渓(きざん・けい)、最後は、荖濃渓(ろうのう・けい)と合流、台湾にて最大の流域面積を誇る高屏渓(こうへい・けい)を形成し台湾海峡に注ぐ。このパノラマ写真に写る阿里山山脈中央部は若干隆起を見せているが、標高215bの擔(担)横山(たんおう・さん)、古名が「鼓山(こさん)」である。鼓山と云う山名は、佐藤さん、鈴木さんと同じくらいポピュラーかもしれないが、逆に由緒正しき山ではないだろうか?台湾のみならず、中国大陸、日本にもある。鼓は楽器以外にどう云う意味があるのか?未だ調査中。台湾南部だと、同じ鼓山の表記で高雄市の区名として存在することは、既にこのブログの中でも相当回数言及して来た。旗山の鼓山も高雄の鼓山と同じように現代の行政区画名としてまだ現役だ。里名(鼓山里)と公園名(鼓山公園)として残っており、行政単位としては、旗山の行政単位である区よりは下位になる。担横山の山名の由来もまだ調査中。西側、さして目立たぬ阿里山山脈最南部の山の中から更に目立たぬ担横山が、誰の目にも一際目立つ旗尾山の対抗馬として選ばれたのには何らかの由来があったのではないか?例えば、山と川と全体の地勢、詰まり風水である。そこら辺りを再確認しようと「美濃古道−7:月霊旗縦走(4)−旗尾山(4)」の寄稿の際に見付けたサイトを閲覧しようとしたが、何故かアクセス出来ない。それで、ここに当時のブログ記事から再録して読者の便宜を図ることにした:
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2023年08月05日

美濃古道−11:月霊旗縦走(8)−月光山(2)

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【写真説明】既に紹介済みだが、月霊旗縦走路中、林務局管理下の国家歩道に属するのはこの月光山と霊山のみだ。初めて月光山へ取り付いた際は、国家歩道の指導標のスタート(最下段)より遥か下にあるこの土地公(上段左写真)の空スペースに駐車し歩き始めた。実際、ハイカー向けの駐車場はまだ上にあり、スタートゼロ地点は更に上だ。土地公〜スタートゼロ間の距離はざっと2`、しかも急坂、まるで筆者の要領を得ぬ人生の如し、苦労するが何も得られず。反省を込めて何の変哲もない台湾の廟を差し挟んだ。その国家歩道ゼロ地点に立つ案内板(上段中央写真)、正規の歩道長丁度3`であることが判る。月光山と双峰山との分岐点に立つ指導標を過ぎると、月光山方面は直に稜線に出る。右写真は稜線に出る前に出合うガジュマルの大木。筆者にとり稀有な快適さに襲われる月光山東側稜線だが、筆者の技術では何の変哲もない坂道に変じてしまった(下段左写真)。その稜線の頭から月霊旗縦走路を俯瞰(中央写真)、旗尾山ピークは最奥。月光山頂上の光景(右写真)。登山道はここで終りというわけではなく、実際まだまだ東進が可能だ。今回掲載した写真は、2016年12月、2017年11月、2019年10月の三回に渡る山行中撮影したものから選んだ。

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2023年07月22日

美濃古道−10:月霊旗縦走(7)−月光山(1)

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【写真説明】月霊旗縦走路の内、西半分の「霊旗」間の紹介は終えたので、東半分の「月霊」間の紹介を行い、この国民的南台湾縦走路の紹介を了えることにするが、実際紹介するのは、「美濃古道」の部分で同縦走路の一部を紹介済みと云うこともあり、雙峰と月光山の二座のみだ。

雙峰はその名の示す通り双耳峰で美濃市街から良く見えている(左写真)。同写真手前の建物は日本時代の美濃警察分駐所警吏宿舎の復元、同地は美濃文創中心(美濃文化センター、ウィキペディアでの紹介は中文のみ)と呼ばれこの警察機関遺構を中心に再開発された区域で、美濃市街地の中では最も賑やかな界隈だ。美濃市街地と縦走路の近しさが感得出来ると思う。この頂上に至るには複数のルートがあるが、最も判り易いルートは、国家歩道指定の月光山歩道が月光山頂上へ至る稜線にマージする際、そのまま産業道路を歩くとその産業道路が雙峰頂上まで繋がっている。この産業道路は雙峰頂上に設けられた通信施設の建設・運用に供されたもののようだが、途中道路が大きく崩壊しているので、今は極上の登山者専用休憩所(中央・右写真)に変じている。雙峰頂上は月霊旗縦走路上には無いので、縦走路からのちょっとした空身の往復が必要だ。(続く)
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2023年07月08日

美濃古道−9:旗霊縦走(2)

Kodou-2914.jpg【写真説明】霊山と云うピークは複数箇所あり、筆者の方でそれらのネタを準備し読者の皆さんにシェアさせていただきと考えていたが、発展的な情報と云うには遠く、一般的な情報の押し売りになりそうなので冒頭でお断りしておく。市販の地図でカバーされるのは以下が一般的で、この他にも様々な形態のコンクリート製石柱が埋められており、それらを借りて山の頂きと看做し山名を提供する作業は戦後、台湾人ハイカー達に依り「遊び」として為されて来た。筆者は或る程度それら背景不明の石柱に反応する方だが、山登りに興味の無い者にしてみれば単なる古ぼけた石柱群に過ぎない:

1)霊山雷音禅寺−雷音寺を核とする霊場、林務局国家歩道霊山歩道の起点。
2)霊山歩道−林務局設営の国家歩道、雷音寺起点、人頭山迄の僅か1.5`に過ぎないが、月霊旗縦走路中のピーク中僅か二基の日本人埋定の三角点の一基が終点人頭山山頂にある。
3)霊山基点峰−台湾人の謂う基点峰とは、測量標準点のことだが、この一座頂上にある基点の測量との関係の有無は筆者には不明。
4)霊山東峰−最も新しい霊山のピーク。「新しい」とは最近頂上に転用出来る石柱を発見したと云う意味だと思う。
5)霊山(標高最高点)−霊山山域と看做される縦走路のピークの中の最高点。台湾サイトを見るとこの地点には頂上を示すマーカー等が残されているが、筆者が歩いた2016年当時は見た記憶が無い。見落としていないとすれば、この縦走路がハイカーで溢れ返るようになったのはつい最近のことだということだ。この地点の別名を旗尾山とも呼んでいるようだ。

今回掲載した写真は、筆者唯一の月霊(月光山-霊山)縦走時の霊山域の登山道脇の石柱で、最高点の北側、石柱には「承租人簡致」と刻まれているそうだから明らかに山登りとは関係無い。(続く)
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2023年06月24日

美濃古道−8:月霊旗縦走(5)−旗霊縦走

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【写真説明】旗尾山(祠)と全縦走路の中間点、霊山の間のメジャーなピークは、西から福美山、(大)金字圓山、人斗山(人頭山、霊山)である。筆者がこのコースを試みたのは二回しかない:2017年2月、旗霊縦走、完走出来ず金字圓山まで至らず、2021年2月、霊旗縦走、漸く完走。。。と云う具合だ。完走した際、車は旗山製糖工場に停め、タクシーで霊山登山口まで赴く方式を取った。上段左写真は霊山歩道出入口の霊山雷音禅寺、相当回数お世話になったが、これ一枚しか残っていない(撮影2006年6月)。中央写真は、霊山歩道を縦走路まで登り切った所に立つ指導標、同写真奥は月光山方面に東進する登山道が続く。背中側、西進すると旗尾山方面に辿ることになる(同2020年7月)。右写真はその背中側にある土地公、福徳祠で休むハイカー、ハイカーの交通量としては台湾南部のトップクラス。上述した「全縦走路の中間点」とはこの地点を指す(2006年6月)。下段左写真は、霊山歩道終点、人斗山山頂の地籍三等三角点。霊山歩道の縦走路と重なる部分は僅かに500b強しかないが、非常に快適な山登りが約束されている(同2006年6月)。中央写真は金字圓山山頂から人斗山の眺望。右写真は福美山山頂から旗尾山(祠)の眺望(以上二枚は2021年2月撮影)。
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2023年06月10日

美濃古道−7:月霊旗縦走(4)−旗尾山(4)

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【写真説明】上段左写真は、前回の投稿で掲載した下段左写真の撮影者背中側に位置する、「昭和十四年二月十一日建立」の銘を持つ「旗尾山祠」、残念ながらどのくらいの規模とデザインで存在し、それはどれ位の期間であったのか?台湾ネット上で関連情報を未だに見出せていない。その間に石碑表面の剥落は進む。左写真は2017年2月、右側二枚の石碑表裏写真は2004年4月撮影。この間の摩耗、剥落の進み具合が判るかと思う。下段写真は2019年3月撮影、筆者自身は約15年間気付かず妻が見出した石造仏像残骸。上段左写真右側に写る金属製手摺を伝い降りて行った場所である。当初は前々回に掲載した不動明王の彫り込みとの関係で地蔵菩薩かもしれないと勝手な想像をしていたが、トレードマークの髪の毛らしき意匠も見える。連日多くのハイカーが行き来する場所に露出している遺物だが、この石造物を紹介した記事を未だに目撃したことが無いと云う摩訶不思議。
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2023年05月27日

美濃古道−6:月霊旗縦走(3)−旗尾山(3)

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【写真説明】前回、前々回は旗尾山第一登山口と第二登山口から入山した際遭遇する植相と岩盤を紹介した。旗尾山第三回目の投稿は第三登山口からの極めて特異な登山道と登山である。その特異さ とは。。。。。900余段の階段は登山口からいきなり設えられているわけではない。先ずは緩い登りの産業道路を15〜20分程歩く必要がある。そこから階段が始まり健脚なハイカーは15分内外で登り切ってしまう。詰まり片道半時間の登山ということだ。この階段登りを日課としておられる方が居るそうだ。筆者の場合、登りの苦しさを心理的に軽減する為に、100段毎に声を出している。この子羊生活遊戯方式は効果がある。上段左写真は第一・ニ登山口から登って来たハイカーが第三登山口からのハイカーと出会う三叉路で、850段辺りの踊り場だ。同写真左奥に見える岩場は前回「旗尾山(2)」に掲載した右写真の岩場と同一だ。中央写真は旗尾山頂上の鉄筋二階建ての大東屋への入口、右写真は旗尾山山頂への最後の一段状にペイントされた段数。下段左写真は、三等三角点、筆者は長い間地籍三角点、詰まり日本に依る台湾領有初期臨時土地調査局が埋定したものと思い込んでいたが、台湾ネット上では戦後、水資会、或いは水資局なる国民政府機関に依り埋定されたということになっている。今現在だと台湾自來水公司の一機関だと予想されるが筆者自身は特定出来ず、又、明確に過去の当該機関の成立・背景を記したものに出会えていない。従って「水資局高屏64号三等三角点」のような情報提供には不足はないが、残念ながら出所が全く示されていない。
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2023年05月13日

美濃古道−5:月霊旗縦走(2)−旗尾山(2)

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【写真説明】月霊旗縦走を魅力的なものにしている要素として、二つの景観の取り合わせ−外側に広がる美濃・旗山の豪快にして緻密な眺望と、内側の登山道に取り込まれた泥と岩石の取り合わせの妙―が自然にして絶妙と云う点があると思うが、筆者の筆力と撮影術ではそれを披歴するのには無理がある。旗尾山第二登山道と主脈の第一登山道が出会った後は、登山道を形成する岩石の塊が次第に大きくなり、第三登山道と第一登山道が出遭う旗尾山頂上直下迄、岩石との格闘、或いは会話が続く。又、これら岩石群は高度を上げるに従い、外側の眺望に対する露出度が大きくなる。今回は、上記区間に鎮座する巨石を三例紹介することに留めたい。然も無くば相当数の写真で埋めなければならない。第一登山道と第三登山道の出会い、即ち旗尾山頂上直下にある右写真の巌(いわお)に不動明王と刻んだのは日本人だと思う。頂上には「旗尾山祠」の碑があるのだが、旗尾山を取り巻く今は散乱し尽しているように思える日本時代の宗教施設の調査報告書の類に出会えていない。三枚とも2017年8月27日撮影。(続く)
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2023年04月29日

美濃古道−4:月霊旗縦走(1)−旗尾山

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【写真説明】先ずは月霊旗縦走路西端の旗尾山第一登山口の風景写真を掲載することにしていたのだが、幾ら探しても見付からない。その登山口からいきなりハイカーを興奮させてくれる登山道風景と情況が連続する。二つのピークと各々の三角点に出遭えるのは申し分無し。その先で第二登山口からの登山道が出遭う部分の森の様相は格別だ。左写真は、第二登山口から登り始め、第一登山口からの主脈登山道との出遭い直下で撮影。同写真に写る大木は、(筆者の記憶が正しければ)マンゴーの栽培木である。中央写真は上記の三叉路の風景、主脈登山道が三叉路を過ぎた辺りでの撮影。三枚とも2019年10月6日撮影。
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2023年04月15日

美濃古道−3:美濃古道(3)

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【写真説明】初回のトライアルだったので、月光山−霊山縦走路に出会うまでは長く難儀な登山を強いられたと云う感が強かったが、台湾ネット内で提供されているGPX情報に依ると、月光山トンネルの南北端を結ぶ古道部分総延長は約3`程度しかない。ここに掲載した写真上段は、古道景観、基本赤ペンキの矢印が、中段左・中写真のような純手製マーカーと共にハイカーを誘う。中段右写真は、月霊縦走路から美濃越嶺道北側の高雄市杉林区の眺望。掲載写真下段は縦走路越嶺点付近の景観。但し、実際の越嶺点は縦走路をもう少し西側に辿る必要があり、その知見を持ち合わせていなかった為、月光山トンネル北側出入口に到る下降ルートを見付けられず。そのまま辿って来たばかりの未整備状態の古道を折り返すのは体力的に負荷が大きいと誤判断、月霊縦走路を月光山方面へ辿り駐車地に戻って来たが、6時間を超す歩行となり疲労困憊、そのまま折り返していれば恐らくその半分以下の時間で済んだはずだ。(終り)
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2023年04月01日

美濃古道−2:美濃古道(2)

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【写真説明】美濃古道南端へのアクセスは、月光山隧道南側出入口付近から西側に開鑿された産業道路を辿ることになる。美濃第四公墓とナンバリングされた共同墓地の中に在る。上段左写真は、市道181号線となる月光山トンネル南側出入口と、古道南端に至る産業道路との分岐点。中央写真は、古道南端地点に鎮座する土地公、この裏に土地公に参る人々の為に設けられたベンチがあり、その脇にて正真正銘の美濃古道出入口に迎えられる。そこには、下段左写真に写る二基の指導標残骸が置かれていた。左側には「美濃百年越嶺古道登山口」、右側には「美濃古道莿桐坑登山口」の表記が見える。中央写真は、古道登山口より入り込んだ所で振り返り登山口側の古道状況を撮影、右写真は同地点の進行方向側の古道状況。2019年10月時点でさえも美濃古道へのアクセス密度は低いものだった。筆者はそれ故興奮したのだ。(続く)
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2023年03月18日

美濃古道−1:美濃古道(1)

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【写真説明】月光山と旗尾山を結ぶ縦走路中、手作り指導標は豊富に配置されている。左写真の電柱上の指導標はその一例。中央写真は同縦走路中に繰り返し表れる「月旗」のマーキング。右写真は縦走路中初めて遭遇した「美濃古道」のマーキング。詰まり東西に走る月旗縦走路と南北に交差する越嶺点である。

壽山古道と云う固有名詞の意味する所は極めて包括的な呼称だった。美濃古道も壽山古道と同じく美濃地区の古道の総称と思い込んでいたのだが、実は独立した所謂越嶺道である。月光山から霊山を目指し、月旗縦走路を初めて穢した2016年12月に、「美濃古道」のマーキングを目撃、改めてこの縦走路を歩くことを誓った。それから約三年後の2019年10月にこの越嶺道を南側からアクセスしたのだが、月旗縦走路から外れる越嶺点が判らず、美濃古道経由の完全な越嶺を逸してしまった。それでも久々に古道然とした旧越嶺道を踏査する機会に恵まれ興奮した。古道発生機序の第一は越嶺道である。美濃古道とは現在月光山隧道に襲われた月旗稜線を乗越し、現在の行政区画では美濃区と杉林区を繋ぐ交易道だ。このダイヤグラムで嘗ての越嶺道が現代のトンネル開鑿技術の恩恵を被り古道に転じた背景が良く分る。月光山隧道のトンネル部分は灰色表記になっているが、現代の古道歩きはこの灰色表記の南北両端を結ぶ線に沿う。(続く)
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2023年03月04日

美濃古道−0:概観

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【写真説明】美濃を代表する文物を一つだけ挙げよと問われれば誠に難しい問題だ。筆者は生涯(願わくは)一ハイカーと云う立場から、玉山山脈最南端を形成する月旗(縦走)稜線(月光山−旗尾山)を提案することにする。このGoogle Mapから起こしたダイヤグラムは、高雄市街地と旗山区を結ぶ高速道路10号線が旗山市街地に近付くに連れ眼前に立ち現れる大山岳の容貌を呈する稜線のシュミレーションである。左写真は旗尾山山頂の展望台から北側を望んだ(2019年6月撮影)。中央写真は旗尾山山頂直下から南側、前述稜線の最後尾を望んだ(同撮影)。右写真は、月旗稜線を美濃側から望んだもので、月光山(右側)と旗尾山(左側)共に写り込んでいる。畑の作物、誠に申し分けないことに失念した(2019年11月撮影)。
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2023年02月18日

壽山古道−37:半屏山(9):半屏山地下水庫(配水池)

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【写真説明】今回紹介する遺構のみ、肉眼に依る確認が未達である。高雄市が調査・研究・報告を委託した高雄市舊(旧)城文化協會(会)が、戦後70余年封印されていたとされる、この「地下水庫(配水池)」(「地下貯水施設」)を「発見」したのは、2017年12月である。台湾メディアが騒ぎ出したのは翌月、2018年初旬だと想像されるが、筆者のアンテナには掛からず仕舞いで、昨年前半に半屏山に関し調べ物をしている途上で知る事になる。従って、当該ニュースが実際台湾メディアの報道合戦の様相を呈したかどうか?一般人の反応がどうだったのか?は実は筆者には判っていない。加えて、「発見」(旧城文化協会作成の報告書中の単語)と云う単語が適当かどうか?も筆者には判然としない。壮大な地下貯水施設の少なくとも配水管の大部分は今は台湾中油の管理下にあるはずで、戦後の国民政府の接収時に引き継がれたはずだ。『半屏山日治時期戰備設施先期調査計畫成果報告書』(70〜75n)中掲載の各ダイヤグラムを見ると筆者の使った「壮大」の意味が朧気乍ら見えてくると思う。「地下水庫 半屏山」でユーチューブ検索した結果を埋め込んだが、各タイトル何れも扇動的だ。序でに貯水タンクの規模が視覚的にイメージ出来る絵を右側に配した。

メディア関係者以外の一般人がこの新発見の現場をシェアして貰うにはどうすればよいのか?中油幹部とのコネクションがあれば良いのだろうぐらいは考えつくが、それ以上のアクションを起こしていない。地下ダムの配水管の延長線が偶然かどうか?は判らぬが、半屏山脊梁最高点の展望台に突き当たる(前出論文70n掲載写真参照)ので、地下50bに設営された巨大貯水タンクの在処を想起させる何物かが地上に突き出ているのではないかと云う原始的な想像に尽き動かされ、勝手に半屏山脊梁西側を徘徊し撮影したのが今回掲載した写真である。北砲台へ至る旧軍備道沿線に中油がフェンスを張り巡らせているのは既に述べたが、#2ゲートの中油側にカメラが据え付けられていた。又、同じゲートの自然公園側の間道にはロープが引っ張ってあった。右写真は防火設備の様で日本海軍とは何の関係も無し。詰まり、結局何の収穫も無かったのだが、今はこの程度でお茶を濁すしかない。そのうちに壽山国家自然公園と中油とで外部向けの常設示を企図する可能性があるかどうか?筆者の感覚では中油が同意するとは思われないが。いずれにしても、極めてユニークな『水の古道』だ。

以前同カテゴリー内で「打狗水道」として、その取水から給水までのインフラを紹介したことがある。今現在の高雄市への原給水システムである打狗水道と、旧日本海軍の半屏山地下ダムへの給水システムは同一かどうか?というのは筆者の素朴な疑問だったのだが、旧城文化協会論文では、後者の水源地は大泉浄水場(Googleマップ上には「政府機関」のマーキングあり、軍管理下と云う意味だろう)、打狗水道の水源地、竹寮取水站の同じ高屏渓右岸沿いの約3`北方に位置する。その後、現在の自來水仁武浄水場を経由し半屏山まで運ばれていた。どちらの浄水場も筆者はまだ足を運んだことがなく、宿題が積み上がったが、それはそれで良いことだ。(終り)
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2023年02月04日

特別投稿:薩摩藩大口筋白銀坂

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【写真説明】前回の投稿の日付けから二日後、1月23日早朝に、筆者の妻、台湾人「龜龜」(北京語読みで「グェイ-グェイ」)は逝ってしまった。筆者の過去の投稿の中で、時折「G博士」として登場願った。子供の頃、動作がのろかったのでそういうあだ名を付けられたと云う風に記憶している。亀ちゃんと云うわけだ。昨年六月にその妻を帯同し筆者の実家、鹿児島に引き上げて来た。1988年に日本を離れ爾来日本に定住したことはなかった。国史跡に指定された白銀坂は著名な古街道なのでご存知の方が多いのではないかと思う。この古道ブログでも将来独立したカテゴリーを設け紹介するかもしれない。

白銀坂は妻と歩いた最後の古道となってしまった。昨年12月初旬と年初3日の二回に分けて歩いた。それから約三週間後、失神、昏倒、全身痙攣を同日に二回繰り返し、顔が腫れ上がって来たので脳内出血を疑い救急車を要請、診断の結果、脳に損傷は無かったが頸椎損傷あり、但し、肝臓がボロボロの状態であることが発覚、医師には非常に危ない状態であることを知らされた。救急車で搬送後24時間も持たず心肺停止、朝6時30分が死亡時刻となった。48歳、死亡届の医師の診断書には「肝不全」と「敗血症」の二つの病名が並んだ。

お正月、二回目の白銀坂踏査の際、二人で写した写真があり、それが二人で写した最後の写真となった。さすがにその写真をここに掲載することは差し控えるが、二回の踏査中、先を往く妻が写る写真が三枚あった。

筆者が台湾古道、台湾山岳にのめり込み、過去二十余年、台湾全土を縦横に歩き廻れたのは妻のお陰である。月並みな文句に聞こえてしまうが、筆者の方から妻に対し何の恩返しもしてやれなかったのは痛恨の極みである。これから、何処の古道でも山道でも良いのだが、そしてそれを日本でもやろうとしていたのだが、妻と手を取りながら歩き続ける術(すべ)は本当に無いものだろうか?(終り)

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2023年01月21日

壽山古道−36:半屏山(8):半屏山北砲台

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【写真説明】旧戦備道を半屏山北端迄詰めると学術調査上は「北砲台」と呼称される三層構造の大砲台遺構に至る。最初に目に飛び込んで来るのは三層構造の内中層の砲口(左写真:パノラマもここに埋込み)で、当時南進政策の最前線基地左営港を睨んでいる。その上の上層構造物は中央写真に写る観測所で、ロッククライミングを思わせるハングオーバーの構造物(パノラマもここに埋込み)だ。右写真はこれらの北砲台遺構を擁する半屏山北峰を南側から望んだ。同写真右側に写る軌道は台湾高速鉄道。
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2023年01月07日

壽山古道−35:半屏山(7):半屏山機槍堡

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【写真説明】明けましておめでとうございます。今年も弊ブログを御贔屓賜りますよう御願い申し上げます。持病に依る体力低下に加え、タイプ等の細かい作業に対する生理的・心理的抵抗が次第に大きく為りつつあることを考慮し、本年年初より本ブログの更新頻度を二週間に切り替えさせて頂きますので御了承お願い致します。

前回紹介した防空壕を過ぎ北側に僅かばかり辿ると、当該遺構に行合う。試しに「機槍堡」をグーグル翻訳に掛けてみると「機関銃砦」と返された。恐らく別な専門用語があるはずだが、今はこれで良い。左写真はサンゴ石を利用したプリミティブな塹壕と、サンゴ礁内に開鑿された戦備道と併せ南側から撮影、台湾南部のユニークな軍事インフラ遺構だ。中央写真、右写真は同じ塹壕の正面、並びに内側。現在迄の所、同種の塹壕遺構は半屏山内でここ一箇所の模様。(続く)
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2022年12月31日

壽山古道−34:半屏山(6):半屏山防空壕

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【写真説明】脊梁西側の最も北側の登山口は左営慈母慈恵堂と云う廟堂である。ここの登山口は二つのルートに分かれており、一つはメインストリーム、もう一つはメインストリームより標高の低い場所に開鑿されており(左写真はその登山口、鉄条網は軍事施設)北側でマージするのだが、狭いサンゴ礁中の登山道で嘗て軍用道路(戦備道)だったと考えられる。中央写真は防空壕全体、約7bの長さで同写真画面を斜めに横切っている。又、同写真右側に排気口が突き出ている。その他の部分はカモフラージュされており構造物が見えない。右写真は防空壕出入口。台湾にはまだまだ多くの防空壕が存在するのだが、その効能は如何に?(続く)
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