





【写真説明】この最初の水橋紹介に関し一つの余談がある。どう云う切っ掛けがあったのかすっかり失念してしまったが、当時六張犂の住民と日本人が作った水路に関し話をしている。そしてお隣の内門区からの日本時代敷設の導水路が今でも現役だと説明を受けた。場所は六張犂巷を更に進み最後の人家を過ぎた所を右折(東進)し暫く行くと導水路のトンネルに出会うが日本人が作ったものだと謂う。このダイヤグラムの赤点線が筆者の進入ルート、本稿掲載写真上段三枚+下段左二枚参照。その通りに入り込んで行くと確かにトンネルに突き当たり、北側に水路を200b程進むと、水路の流れを二分している水門に突き当たり(下段右写真、筆者の撮影した構造物はグーグル・マップで確認出来る;前述のダイヤグラムの囲み写真参照)、それ以上は愈々軍管区(陸軍指揮部)となり入り込めないので引き返した。この謎の水路の取水口位置は六張犂の方に教えて頂いたような微かな印象があるがこれも思い出せず。いずれにせよ、この水路の日本時代との関わり合い、取水口位置、目的等々不明のまま。又、更に余談になるが、上段左写真後方に写る山は、大山(ダイサンと発音していたか?)、標高266b、日本時代の三角点が埋定されているはずだが未踏、これも筆者の宿題事項のままだ。(続く)
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