2006年08月01日

六亀特別警備道(扇平古道)−4

Kodou-4.JPG【写真説明】東海道第二十二宿の名を冠した藤枝国家森林遊楽区の中の一風景。高雄県では有数の観光地、週末には観光バスが多数乗り付ける。但し最近は台風に伴う大雨で閉園に追い込まれることが多い。園内に藤枝駐在所の遺構が残る。この遊楽区は石山林道、出雲山林道の入り口でもあり両者とも中央山脈南一段への登山道であり同時に嘗ての理蕃道の一部を形成するが、これらも崩壊することが多くしばしば入山を制限される。写真はオオタニワタリである。日本では観葉植物であるが台湾では山中ごく一般に見られ若い葉は食用に供され台湾料理の一つ。藤枝の名はこの外に部落名、山名として今でも残る。
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2006年08月04日

六亀特別警備道(扇平古道)−5

Kodou-5.JPG【写真説明】扇平森林生態科学園内に残る旧京都大学演習林場場長宿舎。戦後、「五木斎」と名付けられ今でも使われている。この他に明らかに当時の建築物と明確に言えるものは園内には最早少ない。台風等に因る大雨で科学園に到る林道が崩壊、しばしば閉園に追い込まれ園内は荒れており、林業試験場から科学園へと衣替えしたにも拘わらず一般大衆へのアピール度は年々減じているように思われる。従来は入園に際し定数に依る団体予約が義務付けられ、且つ入山証の取得が必要であったが、現在は両者とも要求されない。園内には一般行楽客を対象とした宿泊施設も併せ持つ。
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2006年08月12日

六亀特別警備道(扇平古道)−6

Kodou-6.JPG【写真説明】扇平森林形態科学園の中に残る「キナ」の樹。ペルー原産のこのアカネカ科の樹皮からマラリアの特効薬「キニーネ」が精製される。日本時代は「規那」の表記も。現在の台湾では「金鶏納樹」の音訳が当てられている。現在も園内に様々な丈のキナが残るが、成長しキニーネの精製に充てられるのがどの程度の大きさのものなのか私では全く想像が付かない。南方進出を目論んだ当時の日本にとってはキニーネの確保、即ちキナの栽培は戦略課題であった。戦況の進展と共に当時最大のキナの栽培地であったジャワ島等から日本への輸送が困難になるにつれここ旧京大演習林場扇平苗圃でのキナの栽培の重要性は非常に高くなる。戦後も当地は林業試験所六亀金鶏納試験場と名を換えてキナの栽培が暫く引き継がれた。
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2006年08月16日

六亀特別警備道(扇平古道)−7

Kodou-7.JPG【写真説明】東海道五十三次への最後の拘泥。写真は「森山」気象站又は測候所。「鳴海」山(第四十宿:標高1,411メートル)と「御油」山(第三十五宿:標高1,476メートル、写真左奥の一番高い山)の鞍部にある。木の柵はこの簡易の測候所を囲んでいるように見えるが、実は駐在所遺構を忠実に囲んでいるのである。駐在所の正面、即ち玄関は写真右側、門柱を受ける小さな土台が二つ見える。写真では見えにくいが、左側柵の奥には別な一辺約1.5メートル程の四角の柵が設けられており、祠が安置されていた場所と思われる。
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2006年08月20日

『水の古道』竹仔門発電所(1)

Kodou-8.JPG【写真説明】竹子門発電所のバロック式と称される建築デザインを最も色濃く残してる側面。写真上部に避雷針があるが日本時代のものがそのまま受け継がれていると思われる。撮影場所は発電所上部の水門へ到る道路の途中から。発電に要する落差は僅か数十メートル、発電所の概観、並びに内部を参観するだけで十分価値はあるが、余裕があれば発電所上部の水門並びに水管等も含めて見学することを推奨する。写真左側から水は流れ落ち発電、その水は写真右側に放出されやがて美濃一帯に配水される。
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2006年08月24日

『水の古道』美濃水橋(1)

Kodou-9.JPG【写真説明】美濃市街地の中に残る「水橋」。日本人岡田安久次郎の設計に拠る。昭和二年(1927年)竣工。写真奥の水橋の袂にはこの設計者の名を刻んだ「水橋改築記念碑」が当時のまま残る。現在市街地内にはこの水橋を含む日本時代に開設された灌漑水路を辿る「水[土川]の旅」と称されるサイクリング道も整備されている。
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