2006年10月05日

霞喀羅古道(石鹿古道)−4

Kodou-15.JPG【写真説明】全長24キロある現在の古道のほぼ中間点に位置する白石(サカヤチン)駐在所跡。「白石」の名は戦後付けられたものではないかと思う。つまり、戦後も暫くの間駐在所として機能していたということだ。このように、当時の警備道上の駐在所は戦後すべてがいきなり廃棄されたのではなく、幾つかはそのまま引き継がれたようだ。但し、現在の古道上で戦後もそのまま引き継がれたのはこの白石駐在所だけだと思われる。写真の建物は戦後建て替えられたものだが、日本時代の風貌をよく伝えている。又、この古道上のかなりの部分で古い電柱と電線が残っており、これらも戦後の物とは云え、往時を偲ばせる便(よすが)となる。尚、建物後方には嘗て砲台が置かれていた。
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2006年10月13日

霞喀羅古道(石鹿古道)−5

Kodou-16.JPG【写真説明】サカヤチン渓に架かる白石吊橋、日本時代はこの渓谷と同じ名前が付けられていたかもしれない。橋長145メートル、橋と渓谷の落差は90メートル、大正十年(1921年)の架設。写真ではなかなかこの高度差を表現出来ない。橋桁は日本時代のものをそのまま使い続けているようだが、橋自体は何回も張り直してある。但し、日本時代、各地の警備道上に掛けられた当時の写真を見る限りでは、工法は変わっていないようだ。
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2006年10月21日

霞喀羅古道(石鹿古道)−6

Kodou-17.JPG【写真説明】石鹿駐在所跡。白石駐在所と同じく戦後建て直されそのまま暫く駐在所として機能していた。この遺構は現在の歩道上にあるのではなく、県道122号線沿いの清泉温泉(新竹県五峰郷桃山村:日本時代の井上温泉)から東側に延びる石鹿林道沿いに残っている。従って、石鹿林道も嘗ての警備道、古道そのものである。全長約15キロのこの林道は普通車でも歩道入り口まで容易に乗り入れられる。この廃棄された駐在所の庭では誰かがアヒルを飼っていた。
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2006年10月26日

霞喀羅古道−7:内湾

Kodou-18.JPG【写真説明】縦貫鉄路内湾支線の終点、内湾駅の山側に隣接した新竹県警察局横山分局内湾派出所、内湾の町を見下ろすように建つ。昭和13年(1938年)創建。最初から駐在所として建てられたのではなく、元々は「南河部落振興会」であった。いずれにしても現役の木造の警察関連建築としては台湾最古の物であろう。これだけ見事に保存され現役に供されている日本時代の木造建築物は台湾にはそう多くない。加えて、派出所の敷地内には観光客用にパラソル付きのテーブルが置かれ気楽に寛げるし、これも観光客用に外にトイレがあるが、このトイレのコンクリートの土台は日本時代から引き継がれてきたようだ。警察という厳しさからは程遠いユニークな派出所である。
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