2007年04月06日

能高越嶺古道−3

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【写真説明】現在の台湾電力雲海保線所、元々は日本時代の尾上駐在所である。標高は2,360メートル。尾上の名は、この保線所後方にある尾上山(標高2,652メートル)として残っている。古道歩きの一つとして古道入口からこの尾上山頂上までの往復日帰りという方法もある。雲海保線所は西側古道入口から約4.5キロの距離にあり、2時間程度の歩行、最初の大きな休憩地となる。保線所の建物は日本時代の駐在所からはすっかり改築されてしまったが、日本建築を受け継いだ木造である。日本時代の遺物としては建物後方に貯水槽がる。広い庭が保線所の前に広がり、能高山に臨む。正に雲海の名の通り、台湾3,000メートル峰の絶好の展望所である。又、この庭での露営は自由である。
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2007年04月14日

能高越嶺古道−4

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【写真説明】能高駐在所跡地にある天池山荘とその近くに残る日本時代の弾薬庫。当時は神社もあった。今は、観光局、林務局、南投林区管理処の共同管理となっている山荘は元々は台湾電力の天池保線所。山荘前は広場になっており、休日はハイカーのテントで埋まる。この写真は2004年当時のもので、その翌年100人ぐらいが宿泊可能な一大山荘を建てる計画が発表されたが、今現在でも工事は始まっていないようだ。毎年台風の度に古道西側は崩壊を繰り返している為だ。2005年には鉄砲水による土砂崩れでハイカーの遭難・死亡事故も発生した。山荘の標高は2,860メートル、能高越嶺古道の最高点である。古道入口の標高が2,000メートル少しなので、この間の標高差は800メートル、他方距離は13キロあるので、この古道の勾配は緩やかである。尚、天池と呼ばれているのは、この山荘の上部、能高・奇莱連峰稜線上に池塘(ちとう)が存在するからである。
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posted by 玉山 at 10:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 能高越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月20日

能高越嶺古道−5

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【写真説明】天池山荘の後方に聳える南華山(能高山北峰、標高3,184メートル、台湾百岳75号)頂上稜線より、北側稜線(左写真)と南側稜線(右写真)を望んだもの。左写真右側一番奥が奇莱主山(標高3,560メートル、台湾百岳20号)、そのすぐ左側が奇莱主山南峰 (標高3,358メートル、台湾百岳41号)である。右写真の右側尖峰が能高山(標高3,262メートル、台湾百岳58号)、その頂の奥に雲に掛かった玉山連峰(最高標高3,952メートル)が僅かに写っている。これら写真の撮影地点である南華山、また奇莱主山南峰までなら少々足に自信があれば、天池山荘をベースにして一般のハイカーでも登山は可能である。
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posted by 玉山 at 21:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 能高越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月28日

能高越嶺古道−6

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【写真説明】左写真は南華山稜線から霧社方面を望んだもの。写真では少々判り難いが白い雲の下当りの白い粒粒が町々である。同写真右の山肌を天池山荘に至る古道が走る。写真右下の白い部分が天池山荘と広場である。中央写真は、天池山荘から南華山稜線に登り切った所にある天池(池塘:写真やや右下の白い部分)。すっかり干上がっている。右写真は中央山脈を横断する高圧電線架。同写真下方に稜線を東側(花蓮側)に下っていく古道が見える。稜線最下点に小さく送電線完成を記念した蒋介石の筆になる「光被八表」の石碑が写る。写真の一番奥の尖峰が能高山。
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posted by 玉山 at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 能高越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする