2007年06月01日

霞喀羅古道−13:清泉温泉(旧井上温泉)

kodou-83.JPG kodou-81.JPG kodou-82.JPG
【写真説明】日本時代の井上温泉である新竹県五峰郷桃山村清泉温泉、霞喀羅古道西側の入口である。ここから現在の古道入口までは林道を通常、車で15キロ程辿る。左写真は、その林道入口から僅かばかり上がった場所から撮影した清泉温泉の全景。手前の橋は清泉大橋、写真中段の吊橋(清泉一号吊橋)の右端が日本時代から続く清泉温泉、左端が清泉派出所、嘗ての井上駐在所である。林道は最初の入口からいきなり高度を上げるが崩壊が激しく、同写真下段に見るようにやっと応急処置を施したような有様だった。小型マイクロバス程度の車両でも通行は難しくなっている。撮影地点は丁度嘗て張学良が蟄居していた場所(実は、この地は現時点でも意味不明の公園にはなっている)の上部に当る。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| Comment(5) | TrackBack(0) | 霞喀羅古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月09日

パイワン族秘道−1:帰化門社(キナリマン社)

kodou-84.JPG kodou-85.JPG
【写真説明】帰化門社に関しては既に本ブログで何度か紹介した。東京大学総合研究博物館所蔵の鳥居龍蔵の台湾コレクションの内、「帰化社」の説明の付いたものは二枚ある。その内の一枚が、ここに掲げられているもので、背景に明確な稜線が写っているので撮影地点を容易に特定できるだろうと勇んで出掛けたのだが、結果は判らず仕舞だった。私の撮影地点は以前紹介した現在帰化社跡と林務局が案内板を立てている旧社跡地である。私の撮影した右写真と見比べてみると、明らかに鳥居の撮影地点ではないことが判る。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 10:35| Comment(2) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月15日

パイワン族秘道−2:スボン(率芒)社(現屏東県春日郷士文村)

kodou-86.JPG kodou-87.JPG kodou-88.JPG
【写真説明】左写真は士文村の古華国民小学士文分校校庭にある台湾ニ葉松、樹齢百年を越えているそうである。同校は日本時代、率芒菜典公学校→率芒公学校→須本公学校と名を換えたと同校庭に設置されている案内板に説明されている。件(くだん)の二本の松は、当時、日本人教師「大橋」先生、「小原」先生、並びにパイワン族教師「李清吉」先生に依って植えられたと、同じく同校庭に設置された案内板に謂う。日本人が嘗て暮らしていた場所に植えられた樹木は今では台湾の古木として育ち続けている。楠と松はその代表である。中央写真は士文村全景、同写真中央の一番高い建物が派出所、右写真は村の一角、同写真上の山の右端に嘗て神社があったそうだが、今ではその空き地だけが残っているそうである。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月26日

パイワン族秘道−3:アママン社(現屏東県泰武郷万安村)

kodou-92.JPG kodou-91.JPG kodou-90.JPG kodou-89.JPG
【写真説明】左二枚の写真は旧万安社、パイワン族アママン社に唯一完全な形で残る石板屋、作業小屋・休憩所として使われているようだ。日本時代は同社には蕃童教育所も置かれていたので、村落の規模としては比較的大きかったはずだ。遺址内にはオオタニワタリが栽培され、近くには畑もあるので、廃棄されたとは云え人の出入りは現在でも頻繁にあり、旧社が藪の下に埋没するのは免れている。三枚目写真は、同旧部落内のオオタニワタリの栽培地。右写真は現万安村の万安国民小学校入口の彫刻と校舎壁に描かれた絵。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする