2007年08月03日

崑崙拗古道−6

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【写真説明】左写真はチカタン社入口付近を望んだもの。後方の山は石可見山(標高1,621メートル)への稜線。この稜線の反対側に、力里渓を挟んでリキリキ社(旧力里)があった。残り二枚の写真はチカタン社の内部。今回のブログのタイトルにあるように、チカタン社は、現存するパイワン族最大の伝統集落遺構と謂われている。ここで「現存」という意味は、旧住居が完全な形で残存しているということだ。「遺構」或いは「遺址」と云う意味では、この旧社より規模の大きなものは存在するのだが、それらの地には屋根(パイワン族住居の場合は石板)が残った住居が殆ど無いという差異がある。尤も、チカタン社は既に廃棄された村だが、いまだに何人かの人々が暮らしており、更に民宿も備わっている。然もなくば、このように完全な形で残りようが無い。
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2007年08月10日

崑崙拗古道−7

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【写真説明】左写真は北大武山の山頂稜線上にある大武祠。右写真はその大武祠へ到る階段下に残る昭和19年3月15日建立の高砂義勇隊顕彰碑。基部に碑文は残るが、その上は既に脱落。標高はもう殆ど3,000メートルある。さて、この大武祠、先日テレビの或る番組を見ていて、単なる日本時代の遺物として留まるのではなく、新しい命を帯びつつあることを知った。このブログでも何度も紹介したが、北大武山はパイワン族、ルカイ族の聖山である。原住民族の伝統的な成年式の精神を、原住民の子弟に限らず広く一般の台湾人にも開放しようという主旨で、十八歳になった男女学生が、ここまで登山してきた後、緑の幕を巻いた祠に向かい、一人一人将来の誓いとか夢を宣誓、その後原住民の頭目の方から成年式を無事終了したことを証明する猪(いのしし)の牙の首飾りを掛けて貰うという場面であった。参加した殆どの学生が、首飾りを掛けて貰う時、感極まって泣き出すのには驚かされた。
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2007年08月18日

崑崙拗古道−8

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【写真説明】左写真は台東県太麻里郷金崙全景。崑崙拗古道の東側起点である。金崙はパイワン語でアナドン、台湾語ではカナルン([虫/干]子崙)と呼ばれており、明治、大正期の地図では「[虫/干]子崙」の表記が使われていた。金崙(かなろん)という日本語読みに近い地名に改められたのは昭和に入ってから。現在でも金崙渓の河口近くに掛かる今は廃棄された橋桁に「[虫/干]子崙橋」の名が残る。中央写真は、「太麻里郷金崙村温泉」、金崙温泉郷。同写真左下に写る建物は林務局の施設である「大武山自然教育中心」、右側上の岡に立つ教会は「温泉長老教会」であるが、この教会を含む岡の上の集落は、金峰郷歴[土/丘]村に属する。右写真の左側に写る橋は金崙温泉のランドマークである金崙温泉大橋。
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2007年08月25日

崑崙拗古道−9

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【写真説明】左写真は、台東県達仁郷パイワン族の土坂部落(日本時代のトアバル社)入口にある公園。残りの写真は同部落内で見掛けたカタカナ表記の事物。「モリヤ舎」とは「マリア舎」の誤表記と思う。「チュラカブ」とは、写真左奥に写るローマ字表記のパイワン語のカタカナ表記で、家族の出自を表している。以上は現代のこの部落の人々に依るカタカナ表記。右端写真は日本時代に掛けられた「トアバル橋」遺構で、日本人に依るカタカナ表記。
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posted by 玉山 at 15:59| Comment(1) | TrackBack(0) | 崑崙拗古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする