2008年05月03日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−5

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【写真説明】左写真は、古道北側入口であるパイワン族の小村、南田。同写真奥の突端は観音鼻。右写真は海岸に遊ぶ水牛、海と水牛の取り合わせはおもしろい。
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2008年05月10日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−6

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【写真説明】台湾の国立公園第一号である墾丁国家公園は少なくとも海岸線を離れて海の色を眺めている限りは美しい。同公園の喧しさは年々酷くなるばかりで、それに関しここで特に筆を起こす気力は無い。これら三枚の写真は各々異なる時期に同国家公園の入口とも呼べる南湾を撮影したものである。いずれも南湾の海岸線と原子力発電所のドームが写る。発電所も立派に国家公園に包含されている。左写真は2001年9月、中央写真は2003年1月、右写真は2003年11月の撮影、右写真は大山母山(標高325メートル)の山裾から南湾を望んだものである。一時期、いずれも標高400メートル以下の低山である同国家公園内の山々を集中的に登ったことがある。墾丁国家公園は台湾の海洋公園の代表みたいなイメージがあるが、実は山側が麗しい公園であるというのが私の持論である。
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2008年05月17日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−7

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【写真説明】左写真の手前に写る石垣は、近代日本初の外征となった征台の役(1874年、明治7年)時に死亡した人々の霊を祀った「征蕃役戦死病歿忠魂碑」の台座。該碑の本体は既に遺棄されている。同写真の奥に写るのが嘗て「西郷都督遺績紀念碑」であったもの。今は「澄清海宇還我河山」(澄ミ清キ海宇、我ガ河山ニ還レ)のプレートに替えられている。「海宇」とは海と云うより国土に近い意味だろう。これら二つの日本時代の碑遺構は小高い丘の上に立っているが、一帯は征台の役の際の戦場、今に謂う「石門古戦場」である。台湾側の案内を見ると、この古戦場はこれら二つの碑が立つ標高370メートルの虱母山と同450メートルの五重渓山に挟まれた場所という説明がよく為されているが、もし碑の立つ小山が本当に虱母山であるのであれば、その標高は明らかに間違いである。
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2008年05月24日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−8

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【写真説明】左写真は征台の役(1874年、明治7年)の際の西郷軍上陸地点、射寮の海岸線。中央写真は国立海洋博物館の敷地内に立つ「明治七年討蕃軍本営地碑」。碑自体は明治7年当時の物だと想像されるが、碑の両面に刻まれた文字はその後故意に削られ殆ど判読不能。碑の基部には「昭和十二年三月改修 恒春郡」と刻まれている。写真に写っている側が碑の裏側、向こう側が碑の正面である。同写真奥に写っている別の碑は2000年に建てられた「日軍『討蕃軍本営地』記念碑記源」で牡丹社事件から碑の改建までを含む本営地碑の由来が説明されている。背景に写る小山は亀山。右写真は碑を囲む石塀で、昭和12年改修時のもの。当時の(陸?海?)軍様式に拠っていると思う。碑自体の大きさに比してその塀で囲まれた面積は非常に広くそっくりそのまま残してある。同写真の背景は海洋博物館の駐車場。
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2008年05月31日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−9

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【写真説明】左写真は、屏東県満州郷の郷公所(役場)付近の風景。2001年7月の撮影であるが、ここら一帯はそれ以降も全然変わらない。低い山々に囲まれた田園風景は実に落ち着く。満州郷内の景勝地を二つ;中央写真は満州郷内の最高峰、老佛山(674メートル)への登山口となっている七孔瀑布で撮影した一枚、名前の通り七つの滝壺を持ち、日本風に云えば七連の滝というところか。右写真は、墾丁国家公園内の太平洋岸の代表的な景勝地、佳楽水で撮影した一枚。層状砂岩と珊瑚石の海水に拠る侵食の妙が楽しめる。但し、海岸には漂着物が多く、当時はこの風景区への入口付近には猥雑な店舗が並びお世辞にも綺麗な観光地とは言い難かったが、今は整備されているのかもしれない。
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