2008年06月07日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−10

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【写真説明】恒春から満州に向かい県道200号線を辿り満州の街が見え出す辺りの道路右脇にレンガ造りのかなり背の高い敬字亭(文字供養塔。実際には「聖敬亭」の額が掛かる)が佇んでいる。古色然とした建造物なのですぐに目に付く。敬字亭は本ブログの「浸水営古道−11」で既に説明したので、上掲写真と比較すると形状の違いがよく判る。浸水営古道上の敬字亭は清代の建造であるが、満州のものは明治時代の建造である。この敬字亭は次回のブログで紹介する「国語伝習所之跡碑」と田圃を挟んで向き合うように立っている。左写真は敬字亭の全身、中央写真はその基部の拡大、以前は鮮やかな色彩を誇っていたようだ。右写真は、敬字亭の前に敷設された寄進者名を刻んだ石版中の「明治丗七年」の銘、但し、日本人の名前は無い。

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2008年06月14日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−11

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【写真説明】屏東県満州郷里徳にある「恒春国語伝習所猪労束分教所之跡碑」。満州郷公所前から県道100号線を右に折れ里徳橋を渡り暫く行くと見えてくる。今はコンクリート製の涼亭(1997年製)に手厚く守られている。パイワン族の村落である里徳の旧社名は猪労束、今は山名として残る。森丑之助の回顧録「生蕃行脚」[簡便には、風響社出版「幻の人類学者森丑之助」(楊南郡著、2005年発行)を参照]では恒春テラソク社として僅かに登場する。左写真は、その碑と涼亭を裏側から撮影したもの。「手厚く」保護されている様子が判ると思う。奥に写る山が猪労束山(標高410メートル)である。
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2008年06月21日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−12

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【写真説明】右写真は最近になり整備され「恒春古城西門城文化広場」と名付けられた場所に立つ古城俯瞰図。プレートには「恒春県城」と記されているが、牡丹社事件以降、清朝は遅まきながら恒春県を設置、築城したものである。二枚目の写真は西門城文化広場の少し高い場所から恒春市街を俯瞰したもの。同写真左側に写るのが西門、その門より手前駐車場側が城内、反対側が城外。一枚目の古城俯瞰図と併せて見ると判るが、朱雀、白虎、玄武に相当する山々が写り込んでいる。これらの呼称は日本では高松塚古墳の壁画が発見された際、一般の人々の耳にも頻繁に入るようになったのではないかと思う。築城の際、その地を選ぶ際の謂わば験(げん)担ぎである。三枚目の写真は西門、同写真中の自転車の御仁は将に城外へ出ようとしているところ。四枚目の写真は南門と東門を繋ぐ復元された城壁。写真奥に写るのが東門である。即ち、写真左側が城内、右側が城外で、二枚目写真と同様に朱雀、白虎、玄武に相当する山々が写る。恒春県城の場合、東西南北の城門はすべて復元されている。この内、西門と北門は今でも一般道が通り抜けており、自動車も片側通行出来る。但し、東門と南門は通り抜け出来ないのは保存の為と言うより、片側一車線通行では現在の交通量を裁き切れないからである。
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2008年06月28日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−13

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【写真説明】前回の記事「恒春卑南古道(阿朗伊古道)−12」で紹介した「恒春古城西門城文化広場」に隣接しているのが、「恒春鎮石碑公園」で一枚目の写真はその入口。公園名の横に更に「原猴洞山石碑公園」と書かれているが、頭の「原」は旧の意味、以前は猴洞山石碑公園と呼ばれていた。同写真奥、階段の上に見えているのは忠魂碑、二枚目はその碑の拡大写真、「忠魂碑」の三文字は削り取られ深く抉れている。ここに集められた石碑はすべて日本時代縁(ゆかり)のものであるが、現代の日本人からすれば実に不気味な公園だ。以下の写真を見ていただければ判ると思う。石碑の墓場である。
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