2009年06月06日

『水の古道』美濃水橋(5)

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【写真説明】このシリーズの(1)と(4)に掲載した美濃水橋自体の写真は雨の日に撮影されたものである。そこで何時かは晴れた日に撮影したものを掲載したいと望んでいたが、今はそうそう機会がない。そこでT博士にお願いした。今回掲載の写真二枚はT博士撮影のものである。今後はこのように、自身で出掛けられず他人に調査・踏査をお願いする機会が増えてくると思う。それはそれでよいことだと思う。

まず水橋と云いながら、どんな形をしているか、シリーズ(1)の写真では想像が難しい。その種明かしが左写真である。繰り返すが昭和3年(1928年)の竣工で、その当時のままである。水橋改築記念碑が写真右奥、橋の向こう側の右袂に写っている。

左写真は、シリーズ(4)の右側写真と同位置、水橋を背にして撮影したもの。奥に人頭山(標高390メートル)が写っている。獅子頭[土/川]が今現在どういう利用の仕方をされているか、その一端を示している。(終わり)
ラベル:台湾
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2009年06月13日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−24

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【写真説明】嘗ての宜蘭庁長官舎で今は「宜蘭設治記念館」として一般に開放されている。何故いきなり恒春から宜蘭に飛んで来たかは、本文を参照。日本時代の木造建築物を修復・復元し、歴史遺産・文化遺産として保存している例は台湾の各地で見られるが、ここ宜蘭市中心に位置する宜蘭設治記念館とその周辺の整備状況は恐らく台湾で随一であると思う。有料だが、わざわざ中に入らずとも、当時のままの庁長官舎を囲む石塀が低い為、中の様子がよく見て取れる。これら二枚は塀の外から撮影した。右写真は、その石塀の模様。清朝営盤に見られる典型的な「人」文字型の石組みであるのだが、何故それが台湾総督府下の日本人顕官の宿舎の壁に使われているかは判らない。同地の清朝役人の邸宅敷地を襲って庁長舎にしたのかもしれない。

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2009年06月20日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−25

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【写真説明】左一枚目は、2003年2月当時、宜蘭庁長官舎周辺に残されていたぼろぼろの日本家屋の一例。二枚目は、復元された宜蘭庁庶務課長官舎、2009年5月の撮影。同じ家屋かどうかは自信が無い。三枚目は、宜蘭庁長官舎付近に残されていたもともとは日本時代建設の監獄の外壁。奥は監視塔。同じく2003年2月撮影。付近の再開発にも拘わらずこの監視塔は廃棄されずに今はモダンな多目的コンプレックスの横に移されていて驚いた。同じく2009年5月撮影。

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2009年06月27日

『水の古道』二峰[土川](4)

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【写真説明】來義国民小学校の図書館に仮安置されている鳥居信平の銅像。今週火曜日6月23日、T博士の撮影である。

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ラベル:台湾 台湾古道
posted by 玉山 at 08:29| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 『水の古道』二峰[土川] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする