
【写真説明】左写真はボガリ社入口近くで、旧警備道を離れ山側へ分け入り頭骨架を目指す様子。右写真二枚はその頭骨架の袂に日本時代に建てられた「ボンガリ頭骨塚」。まだはっきりと読める。森丑之助の「生蕃行脚」では「ボガリ」の表記だが、塚の文字は「ボンガリ」になっている。日本の墳墓様式なのだが、墓石の下は空洞になっている。まさか、そこに無造作に頭骨を投げ込んだとも思われない。納骨堂と考えた方が判り易い。台湾の原住民旧社に今現在このような頭骨塚が幾つ位現存しているのかは判らない。残っているとすれば大概はこのようなこじんまりとした墳墓様式のはずだ。実は最大の頭骨塚、というより文字通り見上げるように堂々とした納骨堂は実は宜蘭市街地中心に残る。それについては何時か紹介する機会があると思う。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
パイワン族秘道
|

|