
【写真説明】左写真は或るボガリ社住居跡に今でも掛けられているもの。ボガリ社は日本人が台湾を引き上げる時に同時に低地に移遷したわけではない。戦後長い間この地で暮らしていたわけで、その当時は望嘉村二十五号という番地だったわけだ。今は望嘉村は遥か低地である。もう一つは戦後長らくカタカナが使用されていた証左である。中央写真はボガリ社の祭場の中の祭壇の一つ。旧教育所の下にその校庭と同じくらいの平坦地があり、そこが祭場だとの説明を受けた。そこに祭壇が八つぐらいあって、写真で見るものは一番完全なものだそうだ。左写真はその祭壇を囲む石壁の一面に刻まれたレリーフ、ボガリ社の守護神というべきものであろう。
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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀|
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パイワン族秘道
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