2009年09月05日

パイワン族秘道−22:森丑之助「生蕃行脚」の世界-10

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【写真説明】左写真はボガリ蕃童教育所がその始まりだった国民小学校跡地に残る国旗掲揚台。中央写真はその教育所の校庭から旧ボガリ社越しに屏東市方面を望む。右写真は旧ボガリ社の住居跡。

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2009年09月12日

パイワン族秘道−23:森丑之助「生蕃行脚」の世界-11

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【写真説明】左写真は或るボガリ社住居跡に今でも掛けられているもの。ボガリ社は日本人が台湾を引き上げる時に同時に低地に移遷したわけではない。戦後長い間この地で暮らしていたわけで、その当時は望嘉村二十五号という番地だったわけだ。今は望嘉村は遥か低地である。もう一つは戦後長らくカタカナが使用されていた証左である。中央写真はボガリ社の祭場の中の祭壇の一つ。旧教育所の下にその校庭と同じくらいの平坦地があり、そこが祭場だとの説明を受けた。そこに祭壇が八つぐらいあって、写真で見るものは一番完全なものだそうだ。左写真はその祭壇を囲む石壁の一面に刻まれたレリーフ、ボガリ社の守護神というべきものであろう。

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2009年09月19日

パイワン族秘道−24:森丑之助「生蕃行脚」の世界-12

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【写真説明】左写真はイノシシの足跡、これは現代の日本人でも珍しくないものだと思う。イノシシが増えすぎて農作物の被害が甚だしい地域が日本には多数あるようだ。なにせ日本のイノシシは海を泳いで島に渡り繁殖するそうだから。台湾のイノシシもそんな話を聞けば驚くと思う。中央写真は、以前の記事で紹介したイノシシの産褥。ボガリ社の頭骨架前で写したもの。右写真は、古びた掘削機と思しきもの。この説明は本文を読んで欲しい。

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2009年09月26日

パイワン族秘道−25:森丑之助「生蕃行脚」の世界-13

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【写真説明】右写真は産業道路沿いに残るブツンロク社旧住居。これは偶々草の陰から垣間見れたもので、道路沿いに並ぶ殆どが草莽に覆われてしまっている。中央写真は現在のブツンロク社、文楽村前景。左写真はパイワン族の主食里芋を燻製にしたもの。私自身は非常に気に入っており、酒のつまみには最高である。

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