2011年10月01日

合歓山越嶺古道−8

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【写真説明】「台湾八景」の選定は既に清の時代にも行われていた。又、現代版台湾八景も選定されている。但し、通常は日本時代、台湾日日新報募集・選定(1927年、昭和2年)のものが今でも定番だ。北から順に;基隆旭岡(台北市)、淡水(台北市)、八仙山(台中市)、太魯閣峽(花蓮県)、日月潭(南投県)、阿里山(嘉義県)、壽山(高雄市)、鵝蠻鼻(屏東県)。各所に日本時代に立てられた選定記念碑が残っているのかもしれないが、私がこれまで目にしたのは、鵝蠻鼻(左写真)と八仙山(右写真)のものだけ。但し、八仙山のものは、戦後同地に建て直されたものだ。

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2011年10月08日

合歓山越嶺古道−9

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【写真説明】左写真は合歓山東峰登山中に登山口方面(北)を振り返る。赤い屋根の建物は合歓山荘、日本時代の石門駐在所を襲った。同写真に写るピークは写真手前より、合歓尖山(氷河遺跡)、石門山、石門山北峰。中横は合歓山荘の右脇から続く白い線、写真奥で二つに枝分かれしているが、その右側の白い線は石門山頂上への登山道、台湾で一番短い台湾百岳登山道。石門山と石門山北峰との鞍部を中横は越えていくのだが、その鞍部は克難関と呼ばれる。元々は鬼門関、洞穴であり、その為に日本時代に石門山と名付けられたのだが、中横建設時に発破で吹き飛ばした。中央写真はその克難関横から石門山頂上へのショートカットを試みるハイカー。ここからなら頂上まで5分か?こんな場所には元々は登山道はなかったのだ。その克難関を逆側から望んだのが右写真。同写真右上に克難関を越える中横、その奥に見えている峰は合歓山東峰、左側大崩壊を呈しているのが石門山北面。

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2011年10月15日

合歓山越嶺古道−10

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【写真説明】「合歓山越嶺古道−2」で掲載した中央写真は武嶺から昆陽冬季派出所方面を望んだ写真だ。今回掲載した左写真も同地点から同方向を望んだものだが、もう少し武嶺寄りの合歓山主峰へ至る稜線斜面とそこを走る中横の様子である。掲載した写真では判然としないが、この中横の少し上に中横と平行して延びる踏み跡(今は登山道)があり、タロコ戦役時の軍用道跡である。同写真右に中横から分岐して稜線側に延びる道路が写っているが、合歓山主峰へ至る登山道。右写真は、やはり同じ斜面を合歓山主峰頂上近くの稜線から見下ろしたもので、同写真左下端のギザギザ線が中横、その中横と日の当たる斜面稜線の中間に写真上でかすかに確認出来る細い道が同軍用道である。尚、同写真左上の突き出た峰は能高山、写真右上奥に写る最後段の三つ瘤の稜線は玉山連峰。日本時代は、玉山(新高山)、雪山(次高山)、能高山を併せ「三高」と呼んでいた。

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2011年10月22日

合歓山越嶺古道−11

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【写真説明】左写真は天祥を見下ろせる中横脇に設けられた展望台「豁然亭」、その付近から実際天祥を見下ろした写真が二枚目である。豁然亭は天祥歩道と呼ばれる観光客に開放された遊歩道上部入口(出口)。その豁然亭直下に華表(門柱)が立ち、「峰路廻盤」その両脇に「竚雁」、「飛鴉」と書かれてあるが意味不明、無論、国民政府になる物。右写真は歩道の様子。

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2011年10月29日

合歓山越嶺古道−12

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【写真説明】左写真は九曲洞付近から錐麓断崖を見上げたもの。同断崖の中央部を横断する道が微かに見えているのであるが掲載した写真では判別が難しい。中央写真は同断崖をズームして撮影したもの。これだと道らしきものが見て取れる。右写真は錐麓駐在所跡付近から断崖を横断する旧警備道を望んだもの。

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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 合歓山越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする