2011年12月03日

合歓山越嶺古道−17

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【写真説明】緑水合流歩道の4枚。同歩道は錐麓古道の西側延長部に相当する。休息施設が各々完備された緑水(西側)と合流(東側)を結ぶその総延長僅か二キロ足らずの歩道で、両側出入口が中横脇にある為、誰でも気軽に散策出来る。左一枚目は、合流入口に近い古道の様子、左二枚目は、古道途中にある「弔霊碑」、日本人警官合計四名の合同殉職慰霊碑、当時の殉職とは殆どが馘首。右側二枚は、緑水に近い側の古道の様子。右端写真は、古道と現代自動車道たる中横の関係を見事に切り取った一枚。

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2011年12月10日

合歓山越嶺古道−18

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【写真説明】錐麓古道の段には二箇所、岩盤を刳り貫いたトンネルがある。その西側入口(慈恩橋方面)に近い方のトンネル(左写真)の慈恩橋側入口脇の岩盤に地蔵菩薩が安置されている。日本時代のものだ。逆の入口(錐麓吊橋方面)の断崖側側面に日本人に拠る落書きが残っている。それが右写真だ。「落書き」と書いたが、何処でそういう単語を拾って来たか想い出せないのだが、暫くは勝手に、戦前に当地を歩いた日本人遊楽客が記念に彫り込んだものだと逞しい想像をしていた。しかし実際に彫られた「大正」と「開鑿記念」の文字を拾い出してみると、この落書きは単なる余興ではなく、この段を開鑿した際に彫られたものではないか?と思わざるを得ない。落書きではなく、私家版開鑿記念碑だという意味だ。そうすると、地蔵菩薩の安置も二つの可能性が出て来る。即ち、開鑿後この段を行き交う人々の安全を祈願したものか?開鑿中の殉職者を弔ったものか?

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2011年12月17日

合歓山越嶺古道−19(文山歩道)

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【写真説明】左写真は、嘗ての合歓越道路支線、今は文山歩道と呼ばれる段の北側出入口に掛かる吊橋、タッキリ渓の支流の一つ、トウサイ渓上に掛かり、文山温泉(旧深水温泉)を見下ろせる。中央写真はその北側入口に据えられた立ち入り禁止の警告板。同内容の警告板が同歩道南側入口にもある。右写真は緑水側から同歩道に侵入し暫く進んだ場所で見掛けた村落遺跡と思しき石垣。もしそうであれば嘗てのドヨン社のものか?

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2011年12月24日

合歓山越嶺古道−20(旧深水温泉)

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【写真説明】左写真は中横脇にある文山温泉への入口で当時は立ち入り禁止、今も実際はそうかもしれないが、湯治客は後を絶たない。中央写真は同温泉の更衣室。五年以上も使われていないので荒れていた。右写真はトウサイ渓を対岸に渡り川底の温泉に降りていく為に渡された、その名も「温泉橋」。本文記事下の写真が文山温泉全景、入浴する場所は右側である。

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2011年12月31日

合歓山越嶺古道−21(金馬隧道)

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【写真説明】【写真説明】2011年最後の古道紹介は、人口に然程膾炙していない合歓越道路の生き残り部分である。左写真と中央写真はその旧警備道への降り口の目印となる金馬トンネルと同トンネルのタロコ渓谷側口に設けられた休憩所。この休憩所の奥はテラスになっておりそこを越えて谷側に降りていくと、右写真のように細いロープが渡されており、そのまま古道へと降りれるようになっていた。本文記事下に掲載した左写真は実際の古道の様子、右写真はこの段が嘗ての警備道だったことを物語る路側石、「浸水営古道−3」や「関山越嶺古道−14」(左写真)に掲載した写真に写る敷石と同様なものである。

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