


【写真説明】饅頭山、荻坂山と連続するタッキリ渓右岸の山稜山腹に一直線に延びる合歓越道路が開鑿されていたが、元々はタロコ族が永年使用してきた連絡道だった。ここに掲載した三枚の写真は、今でも目を凝らしてみると嘗ての警備道の痕跡を辿れるという証拠を示したものだ。廻頭湾を後にし豁然亭(「合歓山越嶺古道−11」)を過ぎると中横は再びタッキリ渓上部に出て来る。そこでタッキリ渓対岸を撮影した。左写真の一番左側の瘤が饅頭山、その一個置いて右隣の瘤が荻坂山である。中央写真、並びに右写真は古道が走る饅頭山山腹を撮影、斜面を写真右上から左下へ横切る道路跡が確認出来る(と思う)。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...