2012年06月02日

パイワン族秘道−56:大亀文王国−8

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【写真説明】「南蕃騷擾殉職警官碑」―左写真は同碑の全体、中央写真は、小米酒(粟酒)で挨拶並びに慰霊の言葉を述べる筆者、右写真は碑の基壇の石積。本文記事末尾の写真は、同碑の水鉢。碑文は殆ど失われていたが、それ以外の部分に損傷、故意の破壊は見当たらず、南台湾のジャングルの中に忽然と起立していた。

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2012年06月09日

パイワン族秘道−57:大亀文王国−9

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【写真説明】「日本統治」―左二枚はパイワン族独特の石塁の立派な階段を従えたコンクリート製の門柱。右二枚は官舎群のコンクリート土台。門柱にしろ、土台にしろ、これらが嘗て何の建物だったのか?は、当時撮影された写真(が残っていれば)を丁寧に見ていけば判るのではないか?と思えるぐらいによく残っている。本文記事下に当時の内文駐在所の写真を掲載した。左から二人目が頭目、台湾ではよく知られた一葉である。門柱は官舎群のほぼ中央部に位置しているので、駐在所入口だったかもしれない。

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2012年06月16日

パイワン族秘道−58:大亀文王国−10

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【写真説明】「日本統治」(2)―本項は一回の記事で済まそうと考えていたが、数葉紹介したい写真が残っていたので、追加で記事を起こした。左写真は、前回掲載の門柱から入ると直ぐの場所にあった使途不明の石組み。同写真のように実際何かの樹木の鉢植え?中央写真は水搭。本ブログでもこれまで、ライ社ピュウマ社リキリキ社の水搭を紹介済み。右写真は、前回記事中で紹介した官舎群を支える高さ1.5メートル程度の見事な石塁で、紹介したように中央付近に階段と門柱がある。(続く)。
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2012年06月23日

パイワン族秘道−59:大亀文王国−11

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【写真説明】「内文祠」―「祠」とはつまり神社のことである。左一枚目の写真は参道を支える石垣。石垣が支える参道端から見下ろしたもの。全く崩壊した部分が無く、その頑強さは驚くばかりだ。左二枚目は、祠に至る参道と第一の階段。三枚目は、その第一階段を登り切り第二の階段、並びに基壇を望む。右写真は基壇の一部、石積みの精緻さは感動的ですらある。本文記事下の二枚の写真は、基壇全体と鉄筋が覗いている様子。

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2012年06月30日

パイワン族秘道−60:下パイワン社(排湾、筏湾)

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【写真説明】左写真は屏東県瑪家郷瑪家村入口。中央写真は、下パイワン社とチャリシ社を射鹿渓で繋いでいる吊橋。射鹿渓はやがて、隘寮(南)渓、荖濃渓、高屏渓の順で台湾海峡に注ぐ。右写真は下パイワン社旧社(筏湾、排湾)を、射鹿渓を隔てて対岸のチャリシ旧社(射鹿)直下から望む。白い斑点が住居跡。下パイワン社旧社の写真で残っているのはこの2004年に撮影された一枚のみ。旧社と云っても、周辺には畑地が残されておりそこでの農作業は継続されている為、旧社自体が今しがた引越しの為下山したように錯覚するぐらいに良く保存されていた。当時はまだ山登りに一所懸命で然程には原住民族旧社に対する興味を持ち得ていなかった時分で、撮影対象として興味が湧かなかったからか?それでも旧社内を暫く歩いたり、その際、時折カメラを向けた記憶があるのだが、見事に一枚も残っていない。尤も、この旧社を訪ねるのが目的ではなく、チャリシ社後方に聳える旗塩山(標高1,056メートル)に登るのが目的だった。台湾のサイトを覗くと、今現在は外からの遊楽客を更に意識した保存状態になっていることが判る。

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