2012年08月04日

ルカイ族秘道−3:コツアボアン社(旧好茶)

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【写真説明】右写真は、井歩山−シャデル山間鞍部にあるシャデル社−コツアボン社間間道入口、2004年10月撮影。中央写真は同入口、2008年5月撮影。右写真は、同地点、シャデル山登山口にある登山路標、「霞迭爾山」の表示が見える。

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2012年08月10日

ルカイ族秘道−4:コツアボアン社(旧好茶)−2

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【写真説明】今回を含め四回の記事に掲載する写真は、当時の新好茶経由で初めて旧好茶=コツアボアン社を訪ねた時に撮影されたものである。左写真は新好茶全景、今は消失した風景。中央写真は当時の集落内派出所のプレート。右写真は、集落から隘寮渓右岸を上流に向かい高度を上げる産業道路を車で進めるだけ進み駐車、歩き始めて暫くして畑の中に出て来た指導標。

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2012年08月17日

ルカイ族秘道−5:コツアボアン社(旧好茶)−3

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【写真説明】好茶古道と通称されることもある新好茶(モーラコット台風で壊滅、現在は三地門郷に移遷)と旧好茶間の連絡道は、その後休憩所としては絶好の沢を渡り、そこからは立ちはだかる岩盤の壁を伝う道となる。左写真は、その岩盤を登り切った場所にある広場で、ここから、連絡道には石板が敷かれた歩道に替わる。それが中央写真、何故このように広い板を切り出し道に並べたかは不明。右写真は、この連絡道を歩くハイカーが必ず写真に収めていた竹に依る吊橋。「収めていた」と過去形にしたのは、この橋を渡してあった沢は旧好茶部落の脇に何条かの滝とそれに応じた滝壺があるが、そこを水源にしていたはずだ。台風後はこのような沢沿いがまず大きく崩壊するので、当然この吊橋は今は消失している。

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2012年08月24日

ルカイ族秘道−6:コツアボアン社(旧好茶)−4

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【写真説明】国家二級古蹟内の三枚。左写真は「ルカイ族秘道−4」でプレート写真を掲載した派出所の前身、旧好茶派出所で、日本時代の駐在所をそのまま襲ったそうだ。中央写真は、遺棄された住居跡。右写真は、教会跡、向日葵の黄色との取り合わせが独特の雰囲気を醸し出していた。ところで、私にはこの教会が天主教(カソリック)なのか?、長老教(プロテスタント)なのか?はまるで無知。東インド会社によるオランダ占領時代(1624〜1662年)中に、台湾でのキリスト教(カソリック)布教は開始されるが、その後の鄭氏時代、清朝時代を経てどれ程生き残っていたのか?更に、山路勝彦氏(註)に依ると、日本時代は台湾でのキリスト教の布教は禁じられていたそうで、今に見る台湾原住民社会の中でのキリスト教の隆盛は戦後の布教活動の結果ということだ。つまり、遺棄された原住民集落の中に教会跡(例:「浸水営古道−14」)が残っていれば、戦後の設立→廃棄ということだ。(続く)

(註)宗教情報サイト「RELNET」内にある講演録に依る。「第32回高雄大会(2006年)特集」『台湾先住民の歴史と現在
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