2012年09月01日

ルカイ族秘道−7:コツアボアン社(旧好茶)−5

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【写真説明】旧好茶国民小学校跡の三枚。その前身はコツアボアン蕃童教育所。左から、校庭、国旗掲揚台、旧校舎。部落の入口から入りそのまま進みやがて校庭跡に出食わすとその校庭の突き当たりに一基の石碑がある。その石碑の裏に廻ると、「昭和九年」の文字が刻まれていたので、日本時代に建てられた碑であることだけは認知していた。

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2012年09月08日

ルカイ族秘道−8:コツアボアン社(旧好茶)−6

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【写真説明】コツアボアン社最後の記事になる。前回紹介した南幡重助記念碑の裏は沢になっており、その碑の直ぐ下に滝壺がある。それが左写真、更にその沢を渡り暫く進むともう一つの沢に行き当たり、ここにも滝が掛かり滝壺があった。中央写真である。台湾サイト内ではどちらかの滝壺を「太陽池」と呼称した紹介が多い。ルカイ族の命名か?約七百年前に雲豹に導かれこの地に居住を定めたのは宜(むべ)なるかな。時代は下り同地に鉄線橋を掛けたのは日本人、その残骸が右写真、但し、具体的に何処で撮影したか思い出せない。というのは、その鉄線橋を架橋遺構として意識して撮影した記憶が全然無く、寧ろそんな写真を撮影していたことに驚いている有様だ。

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2012年09月15日

合歓山越嶺古道−36(蓮花池歩道)

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【写真説明】まずA案を実行すべく、「合歓山越嶺古道−22」で紹介した梅園竹村歩道の入口の廻頭湾までやって来た。同じ入口を共用する前回は入山を見送った蓮花池歩道を辿るのが目的だ。すると、左写真の警告板が目に飛び込んで来た。そのまま眼を歩道奥に移すと、橋柱の周りのみコンクリートの土台を残され、橋そのものも含め後はすべて崩落した歩道中最初の吊橋である清渓吊橋(前回「合歓山越嶺古道−23」で紹介)の無残な様子が明確に観て取れた。途端にA案は引っ込めた。

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2012年09月22日

合歓山越嶺古道−37(研海林道)

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【写真説明】左写真は合流キャンプ場横にある岳王亭からタッキリ渓を渡る吊橋。対岸が研海林道へ至る登山口。吊橋の袂には豪快な滝が落ちており、登山道はこの沢に沿う。右写真は吊橋を渡り切り暫く登った場所の登山道の一景色。本文記事最後に掲載の写真は、吊橋を渡り切った場所に掲示されていた警告板。

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posted by 玉山 at 13:32| 台北 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 合歓山越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月29日

合歓山越嶺古道−38(霧社−1)

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【写真説明】左写真は旧霧ヶ岡神社入口、左側が参道、右側が中横、清境農場方面に至る。中央写真は、鳥居と階段、鳥居左隣は「山の郷」小館というホテル。右写真は、新装の徳龍宮、廟後方の松に注意。本文記事下掲載の写真は、階段途中に置かれた灯篭。今回と次回の記事を読み易くする為に霧社市街図を起こしたので参考にして欲しい。

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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 合歓山越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする