


【写真説明】左写真は、徳文山頂上直下の登山道景観。中央写真は山頂と三角点。右写真は、実際は山頂からの眺望ではなく、郷道31号線から俯瞰した霧台郷方面。同写真手前、山影に写り込んでいるのは現在の徳文村に属するのだと思うが、日本時代の蕃地地形図に従うならば、キヌジヤロン社か?同写真中央は、神山集落、同写真左端に写るのは旧佳暮村、更に左側最奥は下大武集落である。このように、徳文村は、実は佳暮村に隣接している形になっており、日本時代地形図では、南からキヌジヤロン社、トクブン社、上パイワン社の三社が徳文山北東の山裾の狭い範囲に居住していたのだが、現在は徳文村で一括りに思える。筆者の予想が正しいかどうか?は時間が必要だ。
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