2015年08月01日

パイワン族秘道−84:馬児村(マヌル社)

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【写真説明】上段左写真は馬児村に通じる郷道脇に立つ何ともチグハグな像。同中央写真は、同村行政中心地にある生活体験館前にある同村石碑、これでパイワン族の集落らしくなった。同右写真は、馬児社区発展協会弁公室。下段左写真はその隣に設けられた公園脇のオブジェ。同中央写真は「殺」の字が生々しい、屠殺ならぬ「狩猟猪殺文化」公園。同右写真は、同村最上部で見掛けた、簡易自来水廠、廃棄された上水道場。
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2015年08月08日

六亀特別警備道−9

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【写真説明】高雄市茂林区、ルカイ族が集中する同区の入口に位置する茂林村(マガ社)は六亀警備道の最南端になる。今回掲載した写真は、同村の北側に位置する南真我山と更に北側の真我山間の稜線上で撮影した六亀警備道の現状と、既に約百年を経ても当時の精緻な工法を今に伝える警備道両端を補強する石塁である。本ブログ掲載写真は480x360ピクセルで統一されているが、今回は600x450ピクセルの縮小で掲載した。尚、「真我」はそのまま「マガ」と日本語漢音読みす可き。
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2015年08月15日

六亀特別警備道−10(マガ社)

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【写真説明】高雄市茂林区茂林里茂林村は、ルカイ族旧マガ社(現代漢音表記は「瑪雅」)が母体、大津から荖濃渓支流濁口渓に掛かる大津橋を渡り茂林区に入ると最初に通過する村である。その村の最高点にキリスト教信浸会があり、そこから山側を辿る姿沙里沙里歩道(ズシャリシャリ)が真我山への登山口である。但し、そのような表示は現地には一切無し。知る人ぞ知る登山口であり、台湾のネット上でやっと見付け出した。その入口から数百メートルの高台に茂林生態公園が敷設されているが、荒れ放題、恐らく2008年のモーラコット台風以降、そのような惨状に帰したのだと思う。
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2015年08月22日

六亀特別警備道−12(土山駐在所?)

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【写真説明】南真我山登山口は当初は真我山登山口と勘違いしていた。この登山口から南真我山頂上まではほんの五分程度である。同登山口は平坦地で、且つ石塁が残るので筆者が勝手に日本時代の駐在所跡地と特定したに過ぎない。当たらずと雖も遠からずか?
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2015年08月29日

六亀特別警備道−11(南真我山)

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【写真説明】真我山登山口に至るには、茂林生態公園への数百メートルの道路を起点とした急勾配の農道を延々と辿る必要がある。一般車両は侵入禁止なので法律に忠実な輩は約五キロと想像されるこの道路を歩き通す必要があり、茂林村から真我山を目指すハイカーはそうしている模様だ。この農道は一本の単純な九十九折では無く、途中多数箇所で分岐しており、その分岐点ごとに、農道に沿った畑に栽培されているマンゴーの樹木に下がった登山布条(左写真例)を注意深く探す作業が必要だ。中央写真はコンクリートが敷かれた農道、やがて右写真のような土石が露出した路面に替わると真我山へ至る稜線も近くなる。
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