2016年11月05日

安通越嶺古道−3

Kodou-1818.jpg Kodou-1819.jpg Kodou-1820.jpg
【写真説明】国家歩道としての安通越嶺古道は、まず主要自動車道からのアクセスが便利な西段が2008年に整備された。省道30号線富祥橋から西段起点に至るまでは分岐が多く狭い急勾配の産業道路で結ばれているが、コンクリート敷きなので、普通車でも無理をすれば、西段起点に設けられた駐車場まで辿り着ける。但し、それはそういう予備知識があればの話だ。四駆だとまず問題無い。筆者がこの産業道路を初めて辿ったのは2010年2月、この時は四駆車を利用した。今回約六年振りに普通車で入り込んだのだが、前回の印象が全く消失しており、大凡中間地点の急坂と急カーブに恐れを無し、駐車、歩き出した。歩き出したのが正解だったのは、その後台風に依る産業道路の崩壊部に遭遇したからだ。左写真は、産業道路から南西方面、ラクラク(楽楽)渓と玉里市街地南部の卓楽、安南方面、つまり八通関越嶺道東段起点方面を望んだもの。中央写真は安通古道西側起点に至る産業道路の崩壊部越しに望む海岸山脈、越嶺道らしさを増す。右写真は古道西側起点まで残り約八百メートル付近、一帯の傾斜地にびっしり植えられた檳榔越しに直上の海岸山脈を仰ぐ。国家歩道西段として整備された総延長は僅かに二キロ、産業道路歩きが遙かに長い。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 安通越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月12日

安通越嶺古道−4

Kodou-1821.jpg Kodou-1822.jpg Kodou-1823.jpg
【写真説明】2010年に初めて安通越嶺古道西段起点に到った時のイメージとは、緩やかな山腹が広く刈られ場所に駐車場があり、大振りで背丈の高い林務局設置の「安通越嶺道」の看板(上掲左写真)が起立しているものだった。それから七年振りに現地に戻ってみると広く刈られた山腹など何処にも見当たらない。駐車場もほんの数台停められる程度の広さ(上掲中央写真)。一瞬、初回探訪以降の台風で古道起点を移転させたのかとも思ったりしたが、古道西段起点で出迎える大きな看板はその間風雨に晒され続けて来た様相を呈しているし、駐車場脇の古道案内板も草臥れている。古道を実際歩き始めてみても、過去のイメージと重ならず、入口から1キロ程の場所に最初の休憩所である涼亭が設けられているが、記憶の箱から引き出せず。2010年当時撮影した写真を見直し、この涼亭が写っていることに気付いた。写真のデータは夕方五時過ぎを示しているので、ここで時間切れ、そこから已む無く引き返したのだ。つまり、すっかり記憶の彼方に飛んでしまっていた。上掲右写真は、古道西段起点、筆者背中側が古道、ここから車両進入禁止、2010年当時は横木が渡されていたが、消失していた。下掲左写真は古道表示板、下掲中央写真は古道入口から暫く入り込んだ付近の古道風貌、下掲右写真は0.5キロ地点の国家歩道里程標、0.5キロ毎に立つ。(続く)

Kodou-1824.jpg Kodou-1826.jpg Kodou-1825.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 安通越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月19日

安通越嶺古道−5

Kodou-1827.jpg Kodou-1828.jpg Kodou-1831.jpg
【写真説明】今回は読者の方々には少々退屈に思われるかもしれないが、古道中の国家歩道として整備された際に設えられた人工物群を紹介することに依る。本ブログの何処かで説明したことがあるかもしれないが、台湾島内の国家歩道として指定された部分は統一された所謂「生態工法」(自然に優しい設営方法)に基付き整備が進められている。2008年に整備が完了した安通越嶺古道も同様である。上掲左写真は前回投稿記事で紹介した約1キロ付近の最初の休憩所、そこを過ぎると、緩やかな勾配(同中央、右写真)が急坂に転じる。急登の段は海岸山脈の稜線、即ち古道最高点に到るまで木製階段(下掲左写真)でカバーされている。国家歩道西段として整備された起点−古道最高点標高は、640−930メートルで落差約300メートルである。4.2キロ表示のある省道30号線出入口地点の標高は215メートルなので、そこから歩き出すハイカーにとっての落差は700メートル強と云うことになる。下掲右写真は、西段終点に設けられたテラス、古道が海岸山脈稜線に到達するまでの距離は起点より1.5キロ、古道は平坦な稜線沿いに南側に約500メートル辿り、そこから太平洋側へ向かって下って行く。(続く)

Kodou-1829.jpg Kodou-1830.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 安通越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月26日

安通越嶺古道−6

Kodou-1832.jpg Kodou-1833.jpg Kodou-1834.jpg
【写真説明】安通越嶺古道が乗り越す部分の海岸山脈の標高は千メートルにも満たないが、古道沿線で観察される植生は豊富である。過去弊ブログの何処かで書いたのだが、年中海岸から吹き上げられる強い風で気温が然程上がらない為に、通常はかなりの標高幅に分布する植生が圧縮された標高幅に分布する現象は、恐らく海岸山脈沿線にも当たるのだと思う。それが影響しているのかどうか判らないが、西段沿線に台湾の冬季に開花している三種の蘭を見付けた。最近は山中で可憐な台湾野生蘭を見掛けても、カメラを向けるのが億劫になりつつある。二回目の安通古道西段踏査の際にも一応記録として撮影しただけ、この稿を起こすに当たり、萎み掛けた好奇心に火を燈そうと、気合を入れて、鐘詩文著『臺灣野生蘭圖誌』(2015年12月、猫頭鷹出版)、箱入りの990台湾ドル豪華版を購入した。台湾の野生蘭は数千種に及ぶと勝手なうろ覚えに任せていたが、実は「浸水営古道−8」で500種と云う具体的な数字を筆者自身で書き込んでいるのを確認した。台湾サイトを新ためて渉猟し、正確な数字を探してみたが、どうも400種前後のようだ。『臺灣野生蘭圖誌』に収録されているのは409種、57属380種と云う紹介も見たことがあるが、要は台湾特有種が400種前後で、外来も含めて500種ぐらいになると云う意味かもしれない。それにしても、大部の図鑑から僅か三種を特定するのは、骨折りな作業である。悪戦苦闘して何とか探し出した。上掲三枚の写真は樹上に繁殖する長葉羊耳蒜(学名にHayata:早田 文藏)である。下掲左写真は、阿里山根節蘭(学名にHayata)、根節蘭とは日本で謂うエビネのことだ。同右写真は、挿天山羊耳蒜(学名にFukuy:福山伯明)、開花前である。三種いずれとも、台湾山中に広く分布しているようだ。(続く)
Kodou-1835.jpg Kodou-1836.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 安通越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする