2016年12月03日

安通越嶺古道−7

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【写真説明】安通越嶺道の海岸山脈稜線上古道は、二箇所の展望台(木製テラス)で結ばれている。西段起点の古道が海岸山脈稜線と出会う地点に設けられたテラスが第一平台、その南側の西段終点に設けられたテラスが第二平台と呼ばれている。その間僅か500メートルなのだが、平坦な上に、人工物が存在しない。とにかく美しい、古道美の極致だとさえ思えた。何がそう思わせるか?恐らく植生だと思う。今回は、その間を往復する間に撮影した古道の風貌を1,000x750ピクセルでランダムに並べた。上掲一段目左写真は、第一平台を背中に撮影したもので、ちょっとした自然の広場になっている。第一平台からは太平洋が望める。下掲写真はその第一平台のテラスの手摺の上に上がり撮影した台東県長濱郷長濱市街地を含む東海岸、同写真突き出た部分は、日本時代は加走灣尾と呼ばれていた。(続く)

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2016年12月10日

安通越嶺古道−8

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【写真説明】安通越嶺古道の古名である「成廣澳道路」の由来と日本人・日本時代の一部を披歴してくれる、台東県成功鎮小港の忠孝国民小学校に今に残る日本黒松。本黒松の紹介文全訳は当投稿記事中に掲載。下掲写真は、同小学校に隣接する忠孝派出所。何故、こんな写真を撮ったか?二本の門柱が恐らく日本時代のものと踏んだからだが、撮影時は全く意識していなかった黒松が僅かながら同写真左隅に写り込んでいる。同じく、投稿記事中の日本黒松の紹介文を読んで欲しい。
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2016年12月17日

安通越嶺古道−9

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【写真説明】現在の忠孝国民小学校の日本黒松は「成廣澳」に関する歴史的な背景を一部物語る。忠孝国小・派出所は省道11号線を北に向かうと同道西側に位置するが、その向かい側、つまり同道東側には、更に明晰な由来を物語る清代の古蹟と展示物が存在する。安通越嶺古道が東海岸の何処まで南下、到達していたかも暗示していることを、この稿を起こしながら思い付いた。当該古蹟を撮影した記憶があるのであるが、残念ながらなかなか見付け出せず諦めた。捜し出せた後、或いは再訪する機会があった際、新に記事を投稿することにし、省道30号線、玉里ー長濱公路の東海岸降り口、省道11号線と合流する地点に戻ることにする。その合流点には僅那鹿角(日本時代表記「キナスカ」)渓が太平洋に流れ込む地点で11号線上に平坦な寧埔橋(左写真)が架かる。台東県長濱郷の最南端の寧埔村(日本時代「石寧埔」)に属するからだが、安通越嶺古道東段起点は、その北隣りの竹湖村(同日本時代)にある。東段起点だけでも確認しておこうと、適当に当たりを付けたコンクリート敷きの産業道路を闇雲に車を走らせている内に出会ったのが、中央写真の水牛牧場である。この時点では安通越嶺古道東段起点を暗示するものには出会えず。右写真は竹湖村を過ぎ省道11号線を更に北上する途上、長濱郷の行政中心である長濱村市街地内の長濱国民小学校校庭で、アミ族の舞踏会に出会った。『安通越嶺古道−7』で掲載した安通越嶺道最高点の稜線から太平洋岸を望んだ写真に写った部分である。長濱郷は日本時代の行政区画である、台東庁新港支庁加走湾区をそのまま襲ったものである。(続く)
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2016年12月24日

安通越嶺古道−10

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【写真説明】国家歩道としての安通越嶺古道西段の開通は2008年、東段開通は2014年12月である。『安通越嶺古道−2』で具体的に東西段の距離をリストアップしたが、東段の整備が遅れたのは明らかに山深いからである。丁度東段開通と時を同じくして、即ち、2015年の元旦に東段の起点だけを探し出そうとして竹湖村に入り込んでみたのだが、国家歩道を示す一切の標示物に行き会え無かった。但し、東段が開通したと云う知見は一切無かった。偶々である。水牛牧場を後にし、走り回っている内に、竹湖村の中心地と思しき場所に入り込み、そこで或る住居の壁に手書きの竹湖村案内図を見掛けた。仔細に眺めていたら安通越嶺道の記載を見付け、大いに満足した。筆者の土地勘を喜んだのだ。既に夕方、その地図に沿い暫く車道を走らせ適当な場所で折り返して来た。下掲右写真に写る最後方の稜線が海岸山脈。それで第一回目の安通越嶺古道東段の踏査を完了した。(続く)

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2016年12月31日

六亀特別警備道−30:「大津」

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【写真説明】左写真は台湾小百岳の一座尾寮山登山道途中から望んだ六亀特別警備道最南端「大津」に到る警備道を抱合する稜線、同写真下部に写る河(濁口渓)から立ち上がる山稜の最高点が南真我山、頂上直下に第四十九宿「土山」分遺所があった。そこから同写真左下方向、稜線伝いに警備道は開鑿され、最下点が大津である。中央写真はその最下点部の拡大写真、濁口渓に渡された大津橋右側に集まる建築群は茂林国家風景区ビジター・センター、その下に写る赤い屋根は大安禅寺と呼ばれる廟堂、大津分遺所跡地と思しき場所。右写真は同じく尾寮山登山道途中から望むルカイ族マガ社と真我山、第四十六、四十七宿「亀山」、「関」分遺所付近。
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