2017年02月04日

磯崎越嶺古道−5

Kodou-1877.jpg Kodou-1878.jpg Kodou-1879.jpg
【写真説明】市販地図帳には富田付近に「アミ文化発祥紀念碑」の表記があったので、それを目指した。車道の先に大きな門が出て来たが、その最上部に掛かった「太巴塱引霊祭祖儀場」、つまり祖霊祭儀場の看板を見るに及び、その門を潜ることが躊躇されたが、小走りで入場し写真を数枚取り即座に退場してきた。同場に立つ一基の記念碑には「阿美族祖先文化発祥聖地/ ○○遺址紀念碑」と刻まれているが、「遺址」の上側、並びに左側の署名部分の一部が故意に削り取られているので、ますます尻込みしてしまいそうな塩梅である。同碑から判ることは、当地が考古学的なアミ族発祥地であると同時に、アミ族の旧社の一つ、SakSakayの跡地であることだ。この後、同じタバロン社内で写真撮影が憚られる二つの聖なる物に遭遇する。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 磯崎越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

磯崎越嶺古道−6

Kodou-1880.jpg Kodou-1881.jpg Kodou-1882.jpg
【写真説明】左写真は花蓮県光復郷北富村富田にあり通称「富田納骨碑」と呼ばれる納骨碑入口。プレートのローマ字表記は花蓮県観光局の公式サイト内では「Kakita^an」とか「Kakita’an」とか表記されている。タバロン社内で祭祀を司っていた家系名だそうだ。その下の篆書体は筆者は読めないが、恐らく納骨碑と書いてあるはず。中央写真は小屋掛けされた納骨碑、右写真は碑正面の刻字。後の面の撮影は憚られたので無い。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 磯崎越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月18日

磯崎越嶺古道−7

Kodou-1883.jpg Kodou-1884.jpg Kodou-1885.jpg
【写真説明】今回紹介するのも予期せずに出食わした日本時代の遺物である。アミ族文化発祥紀念碑の在処を探している際、富田市街地東側の車道兼観光道(下掲写真:花蓮県道193号、嘗ての磯崎越嶺古道の一部のハズ)を走っていると、何の変哲も無い小さな湖に出た。その名前は何処かに標示されてはいたかと思うが、記憶に無い。手元の市販地図には、「浚哪水庫」と「安富水庫」が並んでいるが、その畔まで至り日本時代の紀念碑に遭遇したのは、前者である。ネットで調べると「俊哪池」の方が一般的に使われている呼称のようで、ウィキペディアにも独立した項目で紹介がある。アミ語のSenaの漢音訳で、元々は日本時代の最晩年に建設した貯水池である。紀念碑の頭部は当時のものでは無さそうだが、基部はそのままで、当時の碑文が読める上に、碑文の一部は新しいプレートを嵌め込み紀念碑の由来が判るよう便宜が図られている。日本時代、富田は鳳林郡に属していたことが判る。『水の古道』に組み込んでも良かった投稿記事になる。(続く)

Kodou-1886.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 磯崎越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

安通越嶺古道−11

Kodou-1887.jpg Kodou-1889.jpg Kodou-1888.jpg
【写真説明】花蓮県玉里鎮楽合里、アミ族の部落入口に立つアミ族のモニュメント。同写真後方に移る家並みがハロウワン部落。中央写真は同部落内南側に残る鳥居、そこを潜り緩やかな坂道を登ると右写真の碑があり、その後方の高台が嘗ての神社境内で今は公園になっている。下掲載は左右の灯篭。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 安通越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする