2017年04月01日

古油井歩道−5

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【写真説明】南寮の残りの宿舎群、即ち、四、八、十八号は所謂長屋であり、磺夫専用である。今回写真を掲載したのはその中で保存状態が最も良い第八号宿舎(左、中央写真)で、現在は一般の方の作業小屋、倉庫代わりに使われているようだ。1925年(大正14年)登記。その他の磺夫専用宿舎は傷みが激しく、後々修復・保存する積りかどうか?は判らぬが、鉄筋のスレートを被せ保護してある。右写真は、前回紹介した地上ケーブル軌道脇に残っている第二十三号宿舎の状態で、荒れるに任されている。(続く)
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2017年04月08日

古油井歩道−6

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【写真説明】さて愈々古油井歩道を歩くことにする。傾斜角60度の地上ケーブル軌道を中心にすると、この軌道を歩いて登れる部分の一番高い場所に現代の油井の鉄塔が一基立っている。以前書いたように、そこより上側にも軌道が残っているが酷い藪に覆われ歩行は困難、古油井歩道伝いに終点まで辿るしかない。この終点は記念碑広場と呼ばれ、工殤記念碑、即ち殉職碑が建つ。元の碑は日本石油時代のものではないかと勘繰ってみたが、固より戦後のもののようだ。その広場にもう一基現代油井の鉄塔が立っているが、これら二基の油井、もう操業を停止しているようだ。古油井歩道は、地上ケーブル軌道の下部、北寮旧弁公室袂から軌道北側に設けられ、軌道最高点まで至る。この間、凡そ一キロ弱、同歩道上に日本時代開鑿の古油井三基が残る。これら三基は工業古蹟としては一級品と筆者は思い込んでいるのだが、果たしてそうか?いずれにしても、古油井歩道を全行程往復する物好きは非常に少ないと即座に判る荒れようである。(続く)

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2017年04月15日

古油井歩道−7

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【写真説明】前回記事で述べたように、古油井歩道上には三基の古油井が残されている。最初に出会うのが、第18号油井。竹藪の中に朱色の流線形の鉄パイプが覗いている(左写真)。出来るだけ近くまで踏み入ってみたが、鉄パイプ下部の全文字は判読出来ず(中央写真)。傍には、台湾の熱帯雨林故苔生した案内板(右写真)が敷設され、以下の基本データが列記されている:開坑時間・完成時間・深度・海抜・加深開坑時間・加深完成時間・深度・廃井時間・鑿井方式・動力来源・封井原因。開坑時間は1922年(大正11年)7月22日、廃井時間は1936(昭和11年)年5月31日。後五年もすれば百周年である。(続く)
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2017年04月22日

古油井歩道−8

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【写真説明】次に出会うのは第93号油井。開坑時間は1939年(昭和14年)8月17日、廃井時間は2002年(平成14年)年7月2日。テラスが組んで展示されている。油井の汲み取り方式が種々あるようだが、筆者には分からない。案内板に依ると、前回紹介した第18号の鑿井方式が、「頓鉆式(C式)」、第93号は「旋転式(R式)」で何と無く違いが判るような気もする。今世紀初頭まで現役だったが、廃棄したのは山腰の経常的な崩落に依るものだと案内板に謂う。(続く)
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2017年04月29日

古油井歩道−9

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【写真説明】最後に出会うのは第29号油井。開坑時間は1923年(大正12年)8月25日、廃井時間は1974年(昭和49年)年8月4日。第18号油井と同じ頓鉆式(C式)。歩道が平坦になった見通しの良い場所にあり、丁度その横に立つバス停を思わせる建造物と合さり興趣をそそる。第29号油井の鉄製遺物は第18号油井のそれと同じく「井心」であることが判る。陳列館に実物(下掲写真)があった。「鑽井生産(Drilling & Production)」のパネルが掲げられていたので、要は油田開鑿の為のドリルと云うことであろう。(続く)

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