2018年09月01日

八通関古道竹山段−8

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【写真説明】清代八通関古道社寮段下段を汚した翌日、車で社寮段上段入口に乗り付けた。南投県鹿谷郷初郷村初郷国民小学校を起点とするアスファルト敷きの郷道93号線(左・中央写真)がそのまま古道の一部らしいのだが、その付近に古道であることを指し示すものは一切無し。不安に駆られながら兎も角歩き出す。すぐに「林鳳林挙人墓」なる案内板が郷道脇に現れるが、当時は今歩いているのが古道、或いは古道に導かれるのかどうか?の疑問に頭を悩ましており、そのまま無視した。が、この記事を起こすに当たりざっと調べたあらましは次の通りで、余裕の無さに少し後悔している:林鳳林(嘉慶24年〜同治4年・1819〜1866;と謂うことは八通関古道開鑿1875年時には既に去世)は現地初郷村出身、「挙人」とは郷試(ローカルの科挙)合格者、福建武夷山から茶の苗を持ち帰り鹿谷台地、凍頂烏龍茶栽培の魁(さきがけ)となった人、墳墓(実際は衣冠塚)が南投県県定古蹟。更に歩くと、三叉路に往き当たり強引に真っ直ぐ進むと休憩所になった「百年老榕樹」があった。最後は郷道93号線の終点2.703キロの標示板に到着(右写真)、そこでまだアスファルト敷きは続いているが二股に分れた左側を取ることをネット上の写真で確認、引き返した。ネット上の山行記録に依ると、そこから社寮段最下段登山口まで約1.5時間の歩行だ。(続く)
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2018年09月08日

八通関古道竹山段−9:鹿谷段−1

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【写真説明】清代八通関古道開鑿の関連古蹟として名高い、鹿谷市街地を走る南投県県道151号線脇に保存されている三基。左写真は「聖蹟亭」(同治10年、1871年建立)、中央写真は、新寮福徳廟(「新寮」は鹿谷の旧名、土地公)脇に並んで保存されている、右「私入番撒禁告示碑」(光緒元年、1875年建立)と「徳遍山陬碑」(光緒2年、1876年)、右写真は福徳廟内部、同写真左奥にそれらの碑が写る。何れも2005年の撮影。尚、八通関古道の完工は光緒元年(1875年)。
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2018年09月15日

八通関古道竹山段−10:鹿谷段−2

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【写真説明】南投県郷道56号線はそのまま清代開鑿の八通関古道がベースになっていると言っても良さそうだ。鹿谷市街地と山越えで濁水渓岸の信義市街地を結ぶ、全長24キロ。鹿谷を出発、南投県の烏龍茶の名産地として知られる凍頂への登り口を過ぎると前方に麒麟山と呼ばれる低い山が見えて来る。郷道はその山の西側を巻くが、南北に各々廟堂があり、この麒麟山頂上を経る登山道で結ばれている。北側のそれは萬善堂(左写真)と呼ばれる小さなものだが、北側の廟堂は開山廟(中央・右写真)、光緒9年(1884年)創建、従って、八通関古道開鑿後の創建、しかも、この場合の開山は「開山撫番」ではなく、開墾、開拓の意味が強い。それでも開山の意気込みが伝わる。
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2018年09月22日

八通関古道竹山段−11:鹿谷段−3

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【写真説明】開山廟の裏手に麒麟山への南側登山口があり歴史を感じさせる石段で始まる(左写真)。麒麟山の頂上は広々としており、豪華な眺望台が設えてある(中央写真)。日本時代の陸地測量部埋定の三等三角点と聯勤測量隊に依る一等三角点内補の二基が眺望台裏にある。筆者の背中側には更にテラスが延びており、鹿谷から鳳凰山山麓に向かう勇壮な地勢を堪能出来る(右写真)。同写真右側に写る自動車道が郷道56号線で、そのまま清代開鑿の八通関古道のルートだと考えて良い。古道に因む鳳凰山寺も萬年亨衢碑も同写真の中に収まる。尚、同写真右側下に写る湖水が麒麟潭。
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2018年09月29日

八通関古道竹山段−12:鹿谷段−4

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【写真説明】麒麟潭は元々「大水堀」と呼ばれた清代開鑿の貯水池である(左写真)。中央写真は、麒麟山の南側に隣接する麒麟潭を北側湖畔から望んだもの。西側湖畔に宿舎が集中しているが、人気観光スポットとは言い難い。湖畔は専ら地元民の散歩・ジョギングコースとして機能している。右写真は西側湖畔の宿舎群越しに望む凍頂台地、南投県有数の茶の栽培地、詳しくは「八通関古道竹山段−8」の記事を参照願いたい。
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