2018年10月06日

八通関古道竹山段−13:「元標」

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【写真説明】左写真は竹山市街地内の南投県政府警察署竹山分局と竹山郵便局が隣接する前山路(同写真正面)と集山路(同写真左側)の公差点に立つ時計台。その袂に、日本時代の地形図製作の為の測量原点「元標」(中央写真)が保存され、二段抜きの案内板(右写真)が立つ。同写真上に「100余年前(明治33年)の日本人は、どの様にして三角点を利用し山頂の海抜を算出したのか?」と読める。「元標」には「標高五百十四尺」と刻まれている。以上、2016年7月撮影。
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2018年10月13日

八通関古道竹山段−14:「竹山郡役所」

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【写真説明】左写真は前回掲載した写真と同じ前山路と集山路交差点を時計台を背にして撮影した。手前のビルが竹山郵便局、奥のビルが南投県政府警察署竹山分局、「元標」案内板の紹介通り、日本時代に郡役所が鎮座していた場所である。これらのビルの裏手に廻ると郡役所時代の遺物が良く残っている。その代表は「椰子防空壕」(中央写真)と名付けられた文字通り立派なヤシが起立した防空壕跡で市内各地にコーヒー色の指導標が掛かる。その周りには日本時代の家屋が様々な補修状態で残り、元々の住人の役職が伺い知れる。右写真はそのような家屋の中から今は住人も無く朽ちるに任せたままの日本家屋。下掲の写真は、これも「元標」案内板紹介中にある、冬筍小売店、撮影したのは2016年1月。ところで、筆者は先に「元標」紹介文を先に読み、それから探索を開始したわけではない。元々「元標」すら偶々行き合わせたものだ。(続く)
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2018年10月20日

八通関古道竹山段−15:「菸草站」

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【写真説明】まずは百科事典的な説明から―日本語の漢字変換では「たばこ」とタイプしても「煙草」(「烟草」は簡体字表記?)しか出て来ないが、台湾では相変わらず「菸草」が普通である。北京官話発音はどちらも「エン」である。但し、筆者が考えるに、「煙草」は紙巻たばこと云う製品、「菸草」の方は紙巻たばこの材料として刻まれる迄の乾燥させた葉迄の状態、つまり葉煙草を指すのではなかろうか?いずれにしても、日本ではもう使われていない。左写真も竹山市内で偶々見付けた指導標、「菸草站」とは専売公社と読み替えて良いと思う。同写真奥にその建築群の一部が写り込んでいる。1941年(昭和16年)竣工時の正式名称は「専売局台中支局竹山葉煙草収納場」、その後中国国民党が接収した後は「台湾省菸葉耕種事業改進社/台中分社竹山事業区」。既に操業はとうに停止されており(何時かは判らず)、筆者が訪ねた2016年7月当時は立ち入り禁止状態、それでも入り込んで撮影したのが中央・右写真。実際は建築物内部の木造構造が見事なのだが、各投稿に掲載する写真は原則三枚としているので、お許し願いたい。竹山市街地に残る日本時代の家屋・建築物は多いが、その中で産業古蹟として生き残って行くであろうと確信出来る保存状態を維持しているので紹介した。左写真青色指導標の「竹山鎮農会」の建物も日本時代のもの。(終り)
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2018年10月27日

『水の古道』長源[土/川](1)

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【写真説明】左写真は、小半天風景区の広告塔を担っているであろう、鹿谷郷竹林村の市街地内で見掛けた道路標示板、「長源圳」と「古戦場」の標示に惹かれ尋ねることにした。中央写真は、長源圳入口の鉄板牌、右写真は、長源圳の実際と「古道」とも称されている水路沿いの小径、この水路と小径はやがて「孟宗竹古戦場」へ導かれる歩道と出会う。
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