2019年02月02日

関山越嶺古道−18

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【写真説明】リト部落の西側外れに利稲基督長老教会(左写真)があり、古道が南横を横切り部落への降り口はその辺りだろうと当たりを付けた。教会から出て来た老婆に日本時代の警備道の事を尋ねると、そう、ここら辺り(中央写真:怪しげな鶏舎地は古道を利用したか?)と言われたが、『台灣全覧』の古道線を忠実に辿ると、部落の中心方向、即ち東側に寄っている。当然、最後は駐在所へと辿る(右写真)。リトの場合、現在の派出所、小学校、衛生所は一か所に集中しているので、日本時代からこれら三機関は同地にあると想像出来る。(続く)
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2019年02月09日

関山越嶺古道−19

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【写真説明】リトーマテングル(摩天)間の標高差は丁度500b、古道概念図で明確に判るように、この間、南横公路(省道20号線)が正に九十九折りで高度を稼いでいるのに対し、古道は一気に駆け上がっていた。古道と南横の交差点(或いは接触点)は三箇所、車窓から注意して沿線を観察するがリト側下二箇所は全く見当付かず。唯一三箇所目は自動車道が大きくカーブした付近(左写真)に市販地図帳でも公路総局(正式には交通部公路総局)関連施設(公路総局向陽監工站と摩天道班房:班房とは限定、管理された物理空間なので、道路工事基地の意か?)が明記されているので付近に車を停めて、キャベツに埋め尽くされた谷側斜面を見下ろし、凡そのコースと微かな痕跡を探した(中央写真)。同写真中央を斜めに横切る疎らな杉木立が見えるが、古道はこの線に沿って開鑿され、公路総局監工站の後方の山裾を次の駐在所であるカイモス(栗園)を目指したと想定される。右写真は公路総局監工站越しに何気なく撮影したものであるが、後になり、日本時代、監工站付近に砲台が置かれていたことを知った。実際の設置場所は左写真辺りか?偶々当時の兵士が俯瞰していた風景と相成ったわけだが、リトで民宿の方に、この辺りで砲台が置かれていたのは何処かと質問したら、ブルブル(霧鹿)だけだと云う答えだった。尚、向陽監工站は新装(改装?)間も無い状態に見え、新装の際、摩天道班房を取り込んでしまったようだ。(続く)
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2019年02月16日

関山越嶺古道−20

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【写真説明】向陽国家森林遊楽区入口脇の関山分局向陽派出所は、日本時代の向陽駐在所を襲ったものと筆者は考えており、「台湾百岳」ブログでもそう紹介した。ところが、今回嘉明湖を目指すに際し『台灣全覧』を眺めていたら、遊楽区内の観景平台(展望台)に括弧付きで「向陽駐在所旧址」が付記されているのに気付いた。つまり、現在の派出所は日本時代の駐在所の跡地では無く、実際は台湾二葉松保護林を利用した森林遊楽区内にあったと云うことだ。遊楽区は基本的に向陽山、三叉山、嘉明湖まで足を延ばさない観光客向けであり、東側(試しに日本語読み)に松陽(しょうよう)、向陽(こうよう)、向松(むかいまつ)、西側に松景(まつかげ:左写真)、松涛(まつなみ)の合計五本の遊歩道で構成され、何処を辿っても最後は向陽山への登山口に辿り着く。件の展望台(中央写真)は松涛歩道上にあり、ハイカーは専ら松景―松涛を登山道として利用している。この展望台(標高2,500b)までの登山道(1.5`)の部分が古道と重なる部分と想像されるが、展望台以降は右写真のような具合で藪に隠され皆目見当が付かない。(終り)
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2019年02月23日

桶後越嶺古道−1

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【写真説明】桶後越嶺古道には、東側は宜蘭県礁渓郷匏崙匏村、西側は新北市烏来区孝義里からアクセスする方法があるが、筆者は東側から入り往復する方法を選んだ。左写真は、同古道の林務局に依る里程標が最初に建つ小礁渓の地鶏料理店で、宜蘭市街地を流れる宜蘭河の支流、小礁渓を遡った場所にあり、古道入口を目指すドライバーの目印となる。同写真内の青地の警告板には、2008年に台湾を襲った二つの台風で古道が損傷を受けている旨、注意が喚起されている。この地点から歩き出す筋金入りのハイカーもいるかと思われるが、通常はそこから更に6`弱産業道路を車で辿り、歩き出す。但し、車で辿る産業道路部分も古道である。右写真は車で辿る越嶺下部を小礁渓の中から望んだもの。
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