


【写真説明】古道として整備された起点(或いは終点)付近は種々建造物があったはずだが、今残っている写真はここに掲載した三枚のみ、吊橋を除いて撮影した対象(中央・右写真)が何であったか?皆目見当付かず。ここには日本時代の遺構と思えるような物もあり、そうであればカメラを向けたはずだが、復路を急いだと云う記憶も無いので、もう少し写真が残っていそうなものだ。手元の『台灣全覧』に依ると、この古道起点付近には以下の公共施設があることになっている。即ち;台湾電力保線所、苗圃管理員宿舎、林務局新竹林管理処烏来工作站招待所。日本時代、同地には「製脳会社仮泊所」があったことが、『烏来的山與人』(鄭安睎・許維真訳著、2009年10月出版、玉山社)に記載されている。「製脳」とは「樟脳」製造の事で、同書の記述から推察するに三井系の会社で、社員の宿泊施設があった。中央写真はその跡地か?右写真は保線所施設か?桶后渓の渓谷美を読者の方に存分に味わって貰おうと書き起こしたが、如何せん筆者の記憶が余りに乏しく、古道全線を走るようにして紹介するに留まってしまった。(終り)