2019年06月01日

『水の古道』隘寮[土/川]−2

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【写真説明】左写真は水門橋から隘寮圳導水口側を望んだ。水門橋は戦後の架橋であるが、同写真中央に写る小橋は日本時代の架橋。日本時代に撮影された写真と比較すると、当時と変わらぬ姿で水を落とし続けているのが判る。中央写真は、左写真小橋右側に立つ屏東水利会に依る隘寮圳の由来を記した案内板。その由来はそのまま本文記事に翻訳した。その由来の中には日本、日本人、日本年号等日本時代に関わる記載は一切無し。右写真は水門橋から導水路下流側を望んだ。水車は観光用のアトラクションと思う。
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2019年06月08日

『水の古道』隘寮[土/川]−3

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【写真説明】前回記事で紹介した日本時代架橋の小橋部分詳細三葉、昭和13年(1938年)作、精緻の一言。。。(続く)
ラベル:台湾 古道
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2019年06月15日

『水の古道』隘寮[土/川]−4

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【写真説明】本カテゴリーを閉じるに当たり、隘寮圳導水口水門二態を掲載した。これらが日本時代の遺構かと言うと、コンクリートの処理が素人目にも雑なのでそうではあるまい。(終り)
ラベル:台湾 古道
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2019年06月22日

『水の古道』阿罩霧[土/川]−1

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【写真説明】「阿罩霧」は現在の台中市霧峰区の古名である。阿罩霧山は同区東部にある朝陽科技大学の裏山で、この裏山一帯は農道がそのまま遊歩道になっており、地元の老若男女が専ら目指すのは、台湾小百岳の一座で二等三角点を持つ標高249bの阿罩霧山には非ず、福徳宮なる土地公が鎮座する近くに設けられた涼庁(左写真)、及び展望台である。この展望台の向かい側に平坦な山頂を持つ阿罩霧山が対座しその峰越しに台中市街地が拡がる(中央写真:三角点は平たい三つのピークの内、最も左側)。絶景である。他方、遊歩道上には阿罩霧山への指導標は一切無く、三角点迄辿り着くのはちょっとしたパズルである(右写真)。
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2019年06月29日

『水の古道』阿罩霧[土/川]−2

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【写真説明】左写真は、台中市霧峰区区役所脇を走る民生路東側に沿う、嘗ての台湾五大家族の一つ、霧峰林家邸宅群の一部、一般に公開されている「霧峰林家宮保第園区」。中央写真は、その邸宅群の北側、同じ民生路路上にある、大正3年(1914年)設立の台湾基督長老教会霧峰教会の側面、既に百年を経た日本時代建築時の優雅なデザインがそのまま残っているが、古蹟指定にはなっていないようだ。偶々協会のトイレを拝借した際、気付いた。右写真は、同邸宅群南側に位置する霧峰区区役所脇、これも民生路路上の下水道マンホールに「阿罩霧」の文字を見付けた。これが阿罩霧山に続く「阿罩霧」との二度目の遭遇になった。暫くはこの下水道が阿罩霧圳の一部と勘違いしていた。
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