2020年01月04日

特富野古道−4

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【写真説明】今回掲載の三枚はすべて、古道西側起点、特富野側古道出入口附近。2009年7月のこの古道の初回探訪時に、古道全長を歩き通している。詰り、東西起点を往復しているのである。旧水上支線軌道と別れてからこの西側起点までの間、撮影した枚数はゼロ、僅かにここに掲載した古道起点の三枚が残っているのみ。余程時間に追われていたのだ。写真のデータを見ると復路に4時間近くを掛けている。十年前、五十の坂を超えたばかりの頃は、まだまだ相当な体力があった証左だ。今はそんな無謀な真似は出来ない。しかも西側起点まで確かに至ったと云う記憶が完全に抜け落ちている。この為、約四年後の2013年2月に、初めて特富野部落を尋ねたのだが、その時の第一の目的は、この特富野古道西側起点を確認することだった。(続く)
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2020年01月11日

特富野古道−5:トフヤ社−1

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【写真説明】左写真は阿里山郷達那村特富野社入口に立つ標示板。中央写真は特富野社全景、同写真後方の山々は阿里山方面だと思う。右写真は、同社内を巡る「特富野歩道」の案内板。前回投稿で記したように2013年2月に尋ねた際の目的は、特富野古道の西側起点を探し当てるのが目的、この特富野歩道こそが特富野古道の前哨路のはずだと隈なく歩いたのだが手掛り無し。特富野歩道は文字通り、生態散策歩道でしか無かった。(続く)
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2020年01月18日

特富野古道−6:トフヤ社−2

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【写真説明】上掲三枚の写真はトフヤ社の「男子会所」(男子集会所)、即ち「クバ」(庫巴)である。ツォウ族の伝統を象徴する場であり建築物なのだが、当時筆者自身そのような知識を仕込んでいたかどうか?下掲写真は、この場が厳格な女人禁制であることを警告したもの。以下の文章(拙訳)を認めた「敬告」が傍に貼られていた:「本男子聚会所はツォウ族の神聖な場であり、内部には多くの禁忌物があり、不測の事態発生を避ける為、トフヤ社の男子以外は立入り禁止区域である。」女人禁制とストレートに書かないのが現代のマナーであるらしい。不測の事態とは神の祟りを意味している。
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2020年01月25日

特富野古道−7:達那社−1

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【写真説明】現在のトフヤ社と達邦社とは曽文渓の支流であるイスチアナ(伊斯基安娜)渓で区切られるように位置している。北東側にトフヤ社、南西に達邦社と云う配置になる。この間は無論自動車道もあるが、特富野歩道の一部として達邦吊橋がイスチアナ渓越しに渡してある。同地に日本時代鉄線橋が渡されていたかどうか?は判らないが、筆者が当時撮影した写真の中に、鉄線橋橋柱らしきものがある。但し、全く記憶から抜け落ちているので今回投稿で掲載することは止めにした。左写真は、達那吊橋越しにトフヤ社側から達邦社方面の眺望。中央写真は、達邦社入口に立つ「鄒族生活寫照」と題されたツォウ族塑像。右写真は同じく達那社入口に立つ標示板。(続く)
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