2020年03月07日

能高越嶺古道−32:能高駐在所−1

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【写真説明】天池山荘の前身が日本時代の能高駐在所であることは、このブログ並びに弊別ブログ「台湾百岳」で繰り返し説明した。今現在は天池山荘の由来を説明した林務局の案内板が山荘敷地内に二種立っているので、ハイカーの誰もがその歴史を認識出来るようになっている。筆者自身は当時の同駐在所の名残りは、同山荘の西側出入口(屯原側)脇に残る弾薬庫だけと認識していた。2019年10月の能高山登山の際に、弾薬庫に加え、更に二件の遺物を「発見」した。発見を括弧付きにしたのは、最近になり新たに出現したのでは無く、元々現地に有ったのだが、迂闊にもこれまで気付かなかっただけなのだが。この古写真にあるように、当時の造りは壮大である。所謂総檜造り、檜御殿である。昭和5年(1930年)に勃発した霧社事件で焼け落ち、翌年新装された写真と思われる。現在の天池山荘はその敷地をそのまま引継いでいる。その敷地を前後左右で囲っていた石垣の相当部分がそのまま残っているのに気付いた。左・中央写真は山荘正面広場を支える石塁、右写真は山荘裏側を撮影。ところで、当時は、敷地内に神社が設けられていたと云う記事を何処かで読んだことがあり、筆者のブログの中でもそれを能高神社と説明した記憶があるが、台湾サイト上でその証拠は探し当てられずにいる。譬え嘗て当地に神社があったにせよ、能高神社の呼称は誤りである。と謂うのは、能高神社は別に存在し、在処は、埔里市街地、現在の台湾地理中心、虎子山頂上が元々の建立の地である。(続く)
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2020年03月14日

能高越嶺古道−33:能高駐在所−2:「能高」水準点

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【写真説明】天池山荘のトイレの傍に頭を覗かせている、大日本帝国参謀本部陸地測量部(略称陸測、現在の国土交通省国土地理院の前身)埋定の一等水準点標石。2019年10月以前は全く目に留まらなかったのが不思議である。尤もその時ですら、これが日本時代の遺物であることは即座に判断出来ても、何故元駐在所前に水準点が存在するのか?無知な状態だった。それで当時撮影したのは、今回掲載の1枚のみと云う杜撰さに相成った。今回の投稿に抜粋した記事を書き起こすに至り、サイトを渉猟し漸く日本時代の台湾に於ける測量事情の全体像が判って来た。現時点で台湾に現存する日本時代埋定の水準点一覧は、本ブログ左側メインメニュー「台湾現存水準点一覧」からファイルをダウンロードして欲しい。
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2020年03月21日

能高越嶺古道−34:松原駐在所−1

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【写真説明】能高越嶺古道西段起点から天池山荘迄の間に設置された駐在所はトンバラ(現代台湾表記は「屯原」)、尾上(現雲海保線所)、能高(現天池山荘)の三箇所であるが、霧社事件後、トンバラ−尾上間に富士見、尾上−能高間に松原の各駐在所が増設された。この内、本ブログで未紹介の駐在所跡はトンバラと松原の二駐在所であるが、トンバラ駐在所跡は古道出入口から相当離れた場所にある模様で、ここでは2017年10月に踏査した松原駐在所跡を紹介する。古道約7.5`地点、古道沿線の日本時代遺物としては明瞭な、炭焼窯跡(古道8`地点)が天池山荘側に歩けば往き当たる、目立って平坦な場所なので判り易い。丁度塩梅良く林務局に依る鳥類解説板が立っている(左写真)。(続く)
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2020年03月28日

能高越嶺古道−35:松原駐在所−2:「深堀山西南」水準点

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【写真説明】松原駐在所を過ぎ古道約10.5`地点に至ると、天池山荘の物と同じデザインの石柱が古道脇に頭を覗かせている。実はこちらの方は2017年10月に能高山を目指した時に目撃、写真に収めていたのだが、当時はそれが水準点と云う知見が無く、但し、以前八通関古道東段で目撃したことのある石柱と同じデザインであることには気付いていた。八通関古道東段起点から蕨駐在所間の通称「瓦拉米(蕨の日本語漢音訳)歩道」間に四基の水準点標石が残っているのはハイカーには良く知られており、筆者も最低二基は確認している。「総督府遞信部」の刻字があるので、地籍水準点でもなく陸測水準点でもないのだが、その時点では、八通関越嶺警備道に通信用電線が張り巡らされていた証拠だと勝手に思い込んでいた。実際は水準測量用標石であり、陸測水準点標石と同じく標石頭部に半円球の突起がある。
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