2020年06月06日

苑裡圳−3

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【写真説明】この古水門を自身の畑に囲い込んだその民家は、もう一つ日本時代の古蹟も抱き込んで、家屋の一部と化している。礫岩、或いは鵞卵石と呼べる自然石で構築された堤防、正式には「火炎山堤防」である。左写真に写るのは、その堤防上での生姜(ショウガ)の乾燥風景である。その堤防は古水門から西側に延び、件の民家と横並びの数軒の家屋の裏側を横切っているが、そこで断たれている(中央写真)。他方、県道140号線北側には大安渓右岸沿いに堤防の堤防たる機能を残して伸びている(右写真)。何処まで日本時代の堤防でカバーされているか?は未確認。又、対岸の左岸側にも日本時代の堤防は残っていると思われるが、これも未確認。ここで想起するのは、日本時代の古蹟で最も数が多いのは測量基準点(殆どが三角点)と思われるが、延長と云う基準からすれば堤防に相異無いはずだが、珍奇な説だろうか?(続く)
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2020年06月13日

苑裡圳−4

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【写真説明】県道140号線から外れ暫く苑裡圳を追い掛ける為には、苗栗県郷道43号線に入る必要がある。県道から郷道に右折する際にその三叉路に立っている道路標識(左写真)の中の「水門」の二文字を見てあっ!と思った―ここにもある。日本時代の水インフラがそのまま地名になっている例がここにもあったと云う意味である。この標識から判断するに、当地の地籍は苗栗県苑裡鎮上館里水門庄と云うことになりそうだ。中央写真はその三叉路から郷道に少し入り込んだ道路脇の「水門」バス停。この付近の民家は古撲だ。右写真はその一例。(続く)
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2020年06月20日

苑裡圳−5

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【写真説明】前回の投稿記事に写真を掲載し家屋は、県道を背にして郷道の右側に立っていたが、その逆側の民家は苑裡圳に沿って建てられている。適当な路地(左写真)を選んで入り込んでみると、大木の袂に小さな公園仕立ての涼み台とも呼べる空間が設えてあり(中央写真)、その下を苑裡圳が流れていた。その流量と清烈さに、何時もながら感嘆する。既に百年を越えて基本的には当時構築した流配水のシステムを百年を経ても維持し続けて来た当時の業(わざ)に驚嘆するのだ。右写真は、台湾の、と言うべきか?、台湾でも、と言うべきか?古圳脇に設けられた古圳の水を洗濯、水浴び等直接生活水として利用する為の踊り場である。前述の涼み台脇の例。(続く)
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2020年06月27日

苑裡圳−6

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【写真説明】左写真は前回投稿で紹介した涼み台から取水口を背にして撮影した苑裡圳。左側の民家を抜けた後の古圳脇に設営された構造物二体、主流の水を水圳両側の田園に配水させる分水路に設けられているのだが、残念ながらこれら二つの構造物の機能の相異は筆者では想像出来ない。初めて目にするものである。此処迄、走るような簡便な紹介になってしまったが、以上で苑裡圳の紹介は一旦終了する。(終り)
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