2020年08月01日

虎頭埤−5

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【写真説明】正面ゲートから堤防沿いに付けられた遊歩道の右廻りを更に進めると、嘉南農田水利会の管理下にある大水門構造が現れる(左写真)。日本時代遺物の第7号である。台南市の公式案内では「溢洪道木桟橋」と記載されているが、水門上に木製の桟橋が設えてあり遊楽客が歩けるようになっているからだ。中央写真は左写真左側に見える水門構造。その水門脇に立つ案内板の文字は陽に褪せて殆ど読めなくなっているが、少なくとも「閘門」と「明治38年」と云う単語が拾えるので、1905年竣工の構造物、但し、翌年大地震に見舞われているので、大規模な修復に至ったのかどうか?は判らない。閘門は、そのまま日本語でも使われる。『デジタル大辞泉』(小学館)に依ると:@運河・放水路などで、水量を調節するための堰 (せき) ;A運河・河川などの、水面に高低差のある場所で、水面を昇降させて船を行き来させるための装置;の二つの意味があるが、虎頭埤の場合、当然@の意味である。埤に貯めた水の水量調節、或いは灌漑の為に放出するのであるが、放出された水を集め外部に流す構造を台湾では「溢洪道」と呼び、通常は大きな滑り台であるが様々な構造がある。虎頭埤も右写真に写るよう滑り台式である。同写真中央部に写る白いトタンの看板状の下に小さな橋が見えるが、これも日本時代構築のものだ。日本の建築用語では溢洪道は「放流設備」だそうだ。今回は、コンクリートの塊にお付き合いいただいたが、竣工から百年を越えており、実際は戦後も修復、改建が加えられて来たとは謂いながら、基本設計は当時のママの筈だ。その半永久性に敬服する。(続く)
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2020年08月08日

虎頭埤−6

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【写真説明】以上、これまで紹介して来た日本時代の名残りは埤の南側に集中している。日本時代に既に景勝地として整備、臺灣日日新報が「台湾八景十二勝」を募集、虎頭埤は第九勝に選定されている。今は「ミニ日月潭」の呼称有り。当時は周囲7`あったそうだが、今は最も長いコースで4.5`程、現在の遊歩道とどの位の重なりがあるのか?筆者は判らない。兎も角右回りで一周してみたが、北側は見るべきものは無かった。虎頭埤で遊楽客に最も人気のあるアトラクションは、これも南側にある埤岸と埤中の小島を結ぶ「虎月吊橋」であろう。日本時代遺物8号、前回紹介した閘門と同じく明治38年の構建であるが、現在あるのは2005年に橋柱を含め新装されたと推測される。埤畔側に一条、埤畔側橋柱(中央写真)にプラスチック製プレートが貼られているが、どちらも日本時代の吊橋の呼称が記載されていないので、当時から虎月吊橋と呼ばれていたかもしれない。もう一つ埤畔側に「重修台南縣新化虎頭埤名勝記」と題した記念碑(左写真)が立つが、異なる意趣の日本時代建立の記念碑をそのまま使い、記念碑プレート自体をすり替えたのでは?と思われる。右写真は小島側から望む同吊橋全容。虎頭埤中の吊橋の位置については、本ブログ左側メニューの「俯瞰図」を参照にして欲しい。(終り)
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2020年08月15日

虎頭埤−7:鹽水埤

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【写真説明】今回から新たな古道紹介に移る予定だったが、虎頭埤のバックアップとして建設されたダムがその北側に存在することを知り最近実地検分に出掛けたので、簡単に報告しておく。バックアップとは虎頭埤の水量が乏しい時に放流すると云う意味であろうが、このバックアップ・ダム、鹽(塩)水埤と虎頭埤とは繋がっており、鹽水埤から虎頭埤へ放流されるのか?或いは鹽水埤は独立したダムで虎頭埤と同じ灌漑水経路に放流されるのか?そこら辺りまでは調査未達。二つのダムの地理的関係はこの俯瞰図を参照にして欲しい。いずれにしても、どちらのダムも、現在の台南市の行政区画内で完結し台湾海峡に流れ込む鹽水渓の支流を堰き止めたものであるが、八田與一の嘉南大圳が完成した後は、灌漑水配水システムの機能性は減衰していったそうだ。手元の地図では鹽水埤の周囲に車道があり、然程苦労せずとも行着けると踏んでいたが、鹽水埤に北側からアクセスした関係で、台南市郷道を離れてから埤畔に至るまでの数`の車道は、バイクが対抗して来ても同時通行は不能、釣客が車で入り込んで来たら逃げ場皆無、おまけに、右写真に写る警告板二基を目撃、実に緊張のしぱなっしで、現地に着いた後も、復路の心配ばかり、ここに掲載した写真(何れも埤北畔から南畔を望んだものであることを事後Google Mapで確認)撮り終わると、中央写真奥に写る閘門は確認せずに帰途に就いた。埤面には太陽電池発電用のパネルが浮かんでいたが、一体全体機能しているのかどうか?と云う疑問より、これらのパネルをどう運んで来たのか?と云う疑問が先に立った。結果は往復路で各々一台のバイクと行き当たっただけで済んだ。尚、台湾人なら「鹽水」と聞けば、同市鹽水区の旧暦一月十五夜の気違い染みた年中行事「蜂炮」を想起するが、この鹽水と云う地名と鹽水渓はどうも関係ないようだ。(終り)
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2020年08月22日

虎頭埤−8:新化国家植物公園(新化林場)

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【写真説明】嘗ての台湾総督府付属の台南演習林は、今は新化林場、或いは新化国家植物園として中興大学実験林に受け継がれている。左写真は、その正面ゲート。中央写真は正面ゲートを潜った場所に置かれた今年2020年度が林場開場百周年を意味するオブジェ。右写真は林場内の最高点に設置された休憩所「自在亭」と地籍三等三角点、通称礁坑子山、正式点名は畚箕湖山。「畚箕」は見慣れぬ漢語であるが、(箒と)「塵取り」の事で、中文では日常生活用語だ。
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2020年08月29日

出関古道−1

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【写真説明】左写真は苗栗県中でも著名と思われる聖衡宮、台湾小百岳の一座関刀山への登山口への格好の道標(みちしるべ)である。出関古道は、この聖衡宮がその脇に鎮座する苗栗県県道130号線で交差、便宜上東西段に分けられているが、中央写真は県道脇の東段起点附近の賑わい。右写真は、逆に出関古道西段、即ち関刀山登山道入口である。
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