


【写真説明】正面ゲートから堤防沿いに付けられた遊歩道の右廻りを更に進めると、嘉南農田水利会の管理下にある大水門構造が現れる(左写真)。日本時代遺物の第7号である。台南市の公式案内では「溢洪道木桟橋」と記載されているが、水門上に木製の桟橋が設えてあり遊楽客が歩けるようになっているからだ。中央写真は左写真左側に見える水門構造。その水門脇に立つ案内板の文字は陽に褪せて殆ど読めなくなっているが、少なくとも「閘門」と「明治38年」と云う単語が拾えるので、1905年竣工の構造物、但し、翌年大地震に見舞われているので、大規模な修復に至ったのかどうか?は判らない。閘門は、そのまま日本語でも使われる。『デジタル大辞泉』(小学館)に依ると:@運河・放水路などで、水量を調節するための堰 (せき) ;A運河・河川などの、水面に高低差のある場所で、水面を昇降させて船を行き来させるための装置;の二つの意味があるが、虎頭埤の場合、当然@の意味である。埤に貯めた水の水量調節、或いは灌漑の為に放出するのであるが、放出された水を集め外部に流す構造を台湾では「溢洪道」と呼び、通常は大きな滑り台であるが様々な構造がある。虎頭埤も右写真に写るよう滑り台式である。同写真中央部に写る白いトタンの看板状の下に小さな橋が見えるが、これも日本時代構築のものだ。日本の建築用語では溢洪道は「放流設備」だそうだ。今回は、コンクリートの塊にお付き合いいただいたが、竣工から百年を越えており、実際は戦後も修復、改建が加えられて来たとは謂いながら、基本設計は当時のママの筈だ。その半永久性に敬服する。(続く)