2021年03月06日

壽山古道−17:「浅野セメント株式会社打狗(高雄)工場)」

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【写真説明】壽山東側は台湾セメント公司(略称「台泥」)の石灰岩採掘場とセメント工場が拡がるが、今現在は殆ど営業を停止していると思う。前身は浅野セメント高雄工場であるのは高雄人には良く知られている。但し、その敷地内に浅野セメント時代の遺構が存在しているのを知る高雄人は少ない。左写真は壽山山腹から台泥敷地内を俯瞰したもの。工事中だが「柴山滞洪池公園」と呼称される親水公園を設えている途中。2017年3月の撮影だが、未だに完成せず、連日土を掘り返している。同写真の中に、浅野セメント時代の三箇所の遺構が写り込んでいる。中央写真はその遺構の一つ、昨年2020年3月になり漸く文化資産局に歴史建築として登録された「石灰窯」。動物園と北壽山登山口を結ぶ登山道沿い、台泥の敷地内の最も西側奥にあり、台泥の敷地が東側で接する幹線自動車道鼓山路からは以前は草木に埋没していた為、看難かった。右写真は石灰窯基部、既に百年を経過したレンガ壁は実に精緻、台泥はよくぞ排斥しなかったものだと半ば感心する。
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2021年03月13日

壽山古道−18:「浅野セメント株式会社打狗(高雄)工場)」−2

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【写真説明】文化部文化資産局に「歴史建築」として登録された旧浅野セメント打狗工場内遺構の正式名称は「原淺野水泥台灣工場(紅磚倉庫及石灰窯)」(旧浅野セメント台湾工場、赤レンガ倉庫及び石灰窯)、公告日は2020年3月26日である。今回掲載した写真はその丁度3年前の2017年3月11日に撮影されたもので、前回の投稿で述べたように今は鉄骨スレートで保護されている。この倉庫は日本時代の当地の写真に明瞭に写り込んでおり、前回引用した報告書中の紙袋に詰めたセメントの袋詰め出荷用倉庫だったと思われる。ここから高雄運河を通じ高雄港へと運ばれたのだが、その高雄運河自体は前回モノクロ写真上で示したように今でも残っている。尚、浅野セメントに代表される浅野財閥の創業者、浅野総一郎と台湾との関り合い、同会社打狗工場の操業等に関しては、古川勝三氏のニッポンドットコムへの寄稿『台湾を変えた日本人シリーズ:高雄港の開発に尽力した浅野総一郎』に詳しいのでそちらに譲ることにして、同寄稿の中から以下の下りのみ抜粋しておく:「ロシア革命が起きた大正6(1917)年になると、打狗山の良質な石灰岩を原料にする「浅野セメント打狗工場」を新設し、縦貫鉄道と打狗港を利用して、インフラ整備が加速されつつあった台湾全土にセメントを供給し続けた。その結果、やがて台湾におけるセメントの80%を賄うまでになり、台湾の近代化と打狗港の発展にも大きく貢献した。」(続く)
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2021年03月20日

壽山古道−19:「日軍爐灶」

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【写真説明】左・中央写真は高雄人ハイカーに依り唯一「日軍」を冠せられた壽山山中の軍事施設遺構、厨房跡である。2017年撮影。当時は有志の方に案内して貰ったが、筆者一人では今でも現地まで辿り着けそうに無い。右写真は高雄市軍事遺址シリーズの一つ、壽山山裾の鼓山洞(防空施設)の前に立つ案内板。2019年撮影、当時の高雄市市長をモチーフにした案内板だ。軍事施設遺跡観光なるフレーズで内外の観光客を呼び込もうとの苦心が滲み出ている。

現在でも壽山の三分の二は国軍の管理下にあるので、壽山山中、その周辺には戦前の軍事施設遺構、加えて、建設時は軍事目的では無かったが最終的に軍事施設に改編された遺構は多い。高雄市街地内の一地域である壽山ですらそんな調子なので、旧高雄県まで広げると実に多く、高雄市政府観光局は整備と紹介に努めているが、整備の方が全く追い付かない状態だ。紹介の方は遺構の案内板を「高雄軍事遺址」のタイトルで統一し「高雄市軍事遺址觀光」促進活動を鋭意展開中である。壽山山中にも砲台、トーチカ等無数にあるのだが、国軍のそれらと区別を付けるのは難しい。そんな中で、高雄人に依り壽山山中で唯一「日軍」を冠せられたものが今回紹介した厨房跡である。(続く)
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2021年03月27日

壽山古道−20:西子湾蒋介石行館

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【写真説明】蒋介石行館、略して蒋公行館は台湾に三十余箇所あるそうだ。蒋介石の別邸、別荘、招待所等に使われた。国立中山大学内に残る蒋公行館は西子湾行館と通称され高雄市指定古蹟だ。文化部文化資産局登録名は本投稿のタイトル通りである。更に現在は「西湾芸廊」として中山大学の管理下にある(左写真)。西子湾ギャラリーとでも訳せようか?様々な文化活動の場を提供しているはずだ。筆者自身は蒋介石並びに、殆ど日本時代の建物・施設を接収し蒋公行館として仕立て直された建築物群に興味があるわけではない。従って、中山大学構内のそれも初めて今月になり出掛けてみた。建物全体を鉄骨スレートが覆い修復工事を待っているのか(中央写真)、閉鎖されていた。中山大学敷地が日本時代、並びに、中山大学キャンパスとして選定された1979年までの間、何に利用されていたのか?少しネットを渉猟してみたが判らず。終戦直前に米軍が作成した地形図で同地を見ても建物群で覆われているが、軍病院(Military Hospital)以外の記載が無いので軍事施設と想像され、四子湾行館も軍司令部等の建屋が前身だったと勝手に想像していた。これは強ち間違った想像とも言えない。大学構内には日本時代の軍事施設遺構が点在しているからである。ところが最近になり、実際は昭和10年(1935年)に挙行された「始政四十周年記念台湾博覧会」の際竣工させた「高雄観光館」が前身であることを知り俄然興味が湧いた。そこでこれも竣工当時から軍事施設と思い込んでいた西子湾隧道(歴史建築指定、文化資産局登録名は「西子湾隧道及其防空設施」)(写真は隧道の中山大学側出入口間近に建設された「堡塁」の案内板が附された大防空壁)を徒歩で潜り中山大学のキャンパスを観光館まで出掛けたわけだ。日本時代、「壽山洞」と呼ばれた全長260bのトンネルは、元々は西子湾海水浴場へのショートカットを目的に壽山記念公園の一部として昭和2年(1928年)に完工した。大東亜戦争の深化に伴い防空施設が追加された。2017年になりこれら日本時代構築の防空施設は軍事遺址として一般開放され観光客を集めている。尚、右写真は西子湾行館正面玄関脇に展示されているPackard製蒋介石のお召車のようだ。(続く)
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