2021年04月03日

壽山古道−21:金光教打狗教会所

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【写真説明】三件の遺構の紹介を追加して「壽山」シリーズを閉じる積りでいたが、もう少し追加することにした。名山の誉高い壽山山中、その周辺共に土地公、廟堂、寺院が乱立している感がある。これらの多くの前身が日本時代に起源を持つのだろうと漠然と想像しており、その数の多さから逆に興味が削がれていた。が、実は日本時代まで遡れるものは案外少ないようである。旧高雄神社、今は忠烈祠に成り代わっているが、余りにも人口に膾炙しているのでここでの紹介は控える。又、その前身になる金刀比羅(金毘羅)神社跡も殆どの高雄人は知見があるとは思われないが、完全に排斥され今は何も残っていないのでこれも殊更取り上げない。高雄神社、金刀比羅神社以外の日本時代の遺構が残る宗教施設は実は二箇所しかない模様だ。その一つが今回の金光教打狗教会所遺構である。高雄市動物園への登り口は鼓山路沿いに南北二箇所あるが、当該地は南側登り口脇である。普段素通りしながら何かしら古色芬々とさせている場所なので気にはなっていたので、グーグル・マップで位置を特定出来た時はやはりそうかと思ったものだ。明治44年(1911年)創建。左写真はそのまま残る当時の教会所主要施設(本殿と呼ぶべきか?)に至る階段。中央写真はその階段を登り切った地点で今はバトミントン・コートになっている。右写真は左写真の階段に至る手前の民家の門口に無造作に置かれていた宝珠。金光教は黒住教、天理教と並ぶ幕末三大新宗教なので、新興宗教と雖も歴史は古い。(続く)
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2021年04月10日

壽山古道−22:打狗本願寺布教所

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【写真説明】旧本願寺布教所も旧金光教教会所と同じく壽山東側山裾、鼓山路から少しだけ入り込んだ場所に建設されている。場所は紹介済みの打狗水道量水器室遺構のある通りを二百b程北側に辿った地点である(左写真最奥のクリーム色のビル)。本願寺布教所の創建は明治39年(1906年)、往時の布教所施設の遺構は残留していない模様だが、当時の写真に写り込んだ布教所前の民家、或いは布教所施設の一部かもしれない家屋が現存している(中央写真)。古写真に写るその家屋は瓦が葺かれていないが、今に残るそれは瓦葺だ。驚くべきことに、いまだに居住されている(右写真)。筆者が現場を探し当てた時、その古建築を丸ごと取り込み支えるように囲っている追加された住居の前に老婆が椅子に座り若い男性とお喋りの最中だった。そこに割って入り、老婆に古い家屋の由縁を尋ねてみることはしなかった。日本語が話せるとしたら国語(台湾北京語)が話せる確立は低い。白壁のドアの上には小さな十字架が嵌め込まれていた。筆者自身は本願寺に関する知識はゼロである。日本全国の全ての本願寺が東西どちらかに分れていると勝手に想像していた。高雄の旧本願寺布教所はどちらだろうなどと思いながら、ウィキペディアを覗いてみて仰天し、筆者の細やかな疑問など吹っ飛んだ。宗教施設ではないが、昨年遅くに高雄市街地内にある、浄土真宗本願寺派(西本願寺)第22代門主大谷光瑞の台湾別邸「逍遥園」が一般公開された。高雄市の歴史建築に指定されてから10年が経っている。逍遥園の創建は昭和14年(1939年)。武漢肺炎渦中にあるので日本人観光客には未だ露出度が極めて低い新しいアトラクションだ。(続く)
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2021年04月17日

壽山古道−23:田町斎場

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【写真説明】鼓山路は嘗て高雄市街地で最も賑わった、当時の寿町、湊町、新浜町から為る、今に謂う哈瑪星(台湾語読みで「はません」)地区を貫き、壽山東側山裾を北上、その西側(壽山側)に山下町、東側に堀江町、北野町、更に田町に相当する地区を遡る。既に紹介済みの浅野セメントは田町三丁目にあった。ここら辺りまでが当時の市街地と言えそうだ。従ってと謂うべきか、鼓山路の両側には日本時代の家屋が良く残っている。始終バイク、自転車で往復しているのだが、何時も何かしら新しい発見がある。旧浅野セメントの僅かに南側の鼓山路沿い東側に以前から気に掛かっていた、殆ど倒壊寸前の大振りの日本時代の家屋がある。その建築様式は独特のもので何に利用されていたか想像出来ずにいた。鉄板の塀で囲まれ中には入れないようになっているので、その内修復作業でも始まるのかと思っていた。文化部文化資産局のサイトに入っていたら偶々この家屋らしきものが登録されているのを見付けた。「斎場」と記載されている。昭和8年(1933年)竣工の高雄市指定の歴史建築だ。登録は2017年である。修復される前にボロボロの状態を撮影しようと思い立ち先日出掛けた。鉄板の塀に「田町斎場」と明記された紙が貼り付けてあった。鉄塀の隙間から中を覗くと修復に用いる煉瓦が運び込まれているのが確認出来る。斎場とはこの場合、葬儀場である。昭和12年の高雄市都市計画図を見ると「葬儀堂」の記載になっている。台湾では斎場とは言わず、殯儀舘が一般的である。戦後は永らく市場(いちば)として利用されて来たとウィキペディア中文版に解説があり、これはG博士の記憶と一致している。又、同解説の中に、台湾唯一の日本時代の葬儀場の遺構ともある。歴史建築指定から四年で修復工事に取り掛かれるのは速いと思う。前回紹介した「逍遥園」の場合は10年掛かっているのだが、土地・家屋の買収交渉に費やされているのだろうか?因みに、これも先に紹介した打狗水道量水器室遺構、古蹟指定は2004年、保護が加えられないまま15年以上が経過していることになる。(続く)
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2021年04月24日

壽山古道−24:大公陸橋

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【写真説明】古道ブログらしくこのカテゴリーの最期は「古道」で〆よう。

高雄捷運環状軽軌(略称「高雄軽軌」)は、日本語では「高雄ライトレール」と呼ばれる高雄市街地に新しく導入された路面電車である。2015年に開業したが、環状線としては未完成だ。通常の交通手段と言うより高雄市観光の目玉の一つと説明した方が良さそうである。前身は台湾鉄道高雄臨港線、日本時代は高雄港への引込み線、通称「濱線」である。嘗ては高雄市街地で最も栄えた哈瑪星(台湾語読みで「はません」)地区の再開発の梃入れとして高雄ライトレールを現在開業させている。筆者はレール・ファンではないので開業以来全く興味が湧かず乗らず仕舞いだったが、前回紹介した田町斎場跡の写真撮りに利用しようと思い立ち乗ってみた。ところが、今現在開業している区間が鼓山区役所駅までで、田町斎場までは未だかなりの距離がある。それで予てはバイク・自転車で往復している同通りをもう一つ手前の駅までテクテク歩いてみた、何か新しい物は発見出来ないだろうか?と期待して。鼓山路が大公路と交わる部分は西側はフラットであるが、東側は深く沈んでいると云う変則的な公差点になっている(左写真)。この公差点北側に高雄ライトレール文武聖殿駅が設えてある。ここまで歩いて引き返したら、交差点南脇に色が落ちてしまった金属の案内板(中央写真)が立っているのを発見した。その内容は筆者にとっては十分に目から鱗物であった。交差点の片方が深く沈んでいるのはそこにフラットな陸橋が架けられていたからだ。目的は、鉄道を跨がせる為だ。その陸橋は昭和11年(1934年)に開通、当時高雄市で最初の陸橋、加えて高雄市で最初の鉄筋コンクリート製の橋梁であったと説明されている。当時から陸橋を支えていたサンゴ石に依る土台が一部残存している(右写真)。ウィキペディア中文版ではこの高雄市一番が台湾一番との記述になっている。そして陸橋撤去が2012年。待てよ、筆者が台湾に起居し始めたのは2000年である。爾来この場所は数限りなく通過しているのに、この陸橋の記憶が無い!日常とはそういうものか?いずれにしても、新種の台湾古道である。(終り)
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