2021年09月04日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−塘湖古道−2

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【写真説明】牛稠渓沿いの平坦地である阿抜泉から急坂を登り詰めた場所になる塘湖集落の三景。左写真は集落内の一家屋。中央写真は塘湖山頂上下面の農道、頂上への道標である布条(マーカー)が小枝から下がっている。右写真は塘湖山三角点(地籍四等)だが地形上の最高点からかなり下った農道脇にあり探すのに苦労した。しかも三角点も頭が殆ど土中に埋まっていた。頂上一帯に茶畑が拡がっていた。以上三枚に写る道、いづれが古道かは特定し辛い。(続く)
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2021年09月11日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−番外:「水道」

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【写真説明】前回投稿で三大古道の本来の共通起点であろうと筆者が考察する「水道」に関し少し触れることにする。現在の正式地名は嘉義県竹崎郷龍山村水道頭である。妻の実家から歩いて行ける距離である。ここには所謂老街がある。手元の地図帳には「水道頭老街」との記載がある。又、ネット上で「水道檜木老街」と云う呼称を目にした。通常老街という場合、市街地の中の繁華街に多く、日本時代の建築物が中心になるが、水道老街は延長百b程の県道166線脇の路地のイメージだ。その老街の一本道、つい最近まで歩いたことが無かったし、水道が冠せられた地名であることを知ったのは更に新しい。上掲の三枚は「水道」が実際に確認出来るバス停(左写真)、中央・右写真は老街の中で見掛けた「水道」の文字。下掲左写真は老街を西側入口から望んだもの。中央写真は老街東側入口から望んだ。同写真に写る土手は日本時代建造の牛稠渓左岸の堤防跡だと思われる。右写真は台湾自来水公司の竹崎浄水場(正式には「第五区管理処竹崎営運所」)脇に設営された阿里山国家風景区に属する文峰ビジターセンター、同写真に大きく写る山は大坑山(標高1,026b)、以前は良く登られていたらしいが、今は登山道は荒れ果てている模様。この大坑山に付いては後の投稿の中で触れる予定。(続く)
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2021年09月18日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−1

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【写真説明】国家歩道系統の中では金獅村歩道と呼称される金獅古道は竹崎三大古道の中では最も良く整備され、又、古道足る香りが最も良く醸し出されている。歩道として整備されている部分の総延長は2`、この間の落差は600b弱、往復2〜2時間半程度の昇り降りになるので、ハイキングとしては一般ハイカーにも適当である。殊に、360度の視野を埋め尽くす茶畑の只中になる歩道の終点、金獅山(点名:芋蓁坑)頂上は標高927b、圧巻の展望である。現在の古道は途中五、六箇所で嘉義県道166号線と交差するのだが、このことは取りも直さず金獅古道は県道166号線に取って代わられた事を物語る。その県道は多数のヘアピンカーブを擁するのだが、最下段に属するその一つの脇に設えられた大振りの廟堂、廣福宮(上掲左・中央写真)が現代古道の起点となる。この廟堂を潜った先に国家歩道ゼロの里程標が立っている(右写真)。そこから始まる古道部分は下掲載写真のように古道の雰囲気を湛えるように良く工夫されている。(続く)
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2021年09月25日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−2

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【写真説明】今回は古道の香り高き地点を多少大判の写真で紹介する。(続く)
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