2022年02月05日

六亀特別警備道−34:「日本橋」(3)

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【写真説明】その梅園の中は大小の自然石が散らばっており梅園に趣を添えている(上段左・中央写真)。自然石とは河岸段丘を構成する石塊である。最初はバラバラにそれらの石が散らばっているとばかりに見えたのだが、よく見ると明らかに人が積上げた石の集合体が三基あった。その中の一つは四辺を持つ台状になっているのに気付いた(上段右写真)。古そうだが駐在所遺構かどうか?確認する術は無し。先達研究者の特定に敬意を表するしかない。『六龜警備道踏調査01(日本橋段、小關山林道段、沼津段)』と題する元気の良い六亀警備道踏査記録がネット上で公開されている。元気の良いとは台湾人若者グループに依る踏査行だからだ。サブタイトルに「日本橋段」の文字が躍るが、何故かここ日本橋の踏査はスキップされている。理由は判らない。彼らにとり踏査の名に値しない、自明のしかも低地の遺構という意味なのか?いずれにしても、台湾ネット上で日本橋分遣所遺構に関するビジュアルエイド付き情報に遭遇したことがないのだ。
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2022年02月12日

六亀特別警備道−35:第22宿「藤枝」

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【写真説明】左写真は藤枝国家森林遊楽区がまだ八八水災復旧期間中、即ち閉園中だった2016年に撮影した、遊楽区入口とその奥に写る『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』に依る「藤枝」分遣所跡地の森濤派出所(正式には「高雄市政府警察局六亀分局森濤派出所」)。「もりなみ」とは優雅な日本語だ。何時、誰に依る命名かと興味深い。そう言えば「六亀特別警備道−21(扇平林道)」で紹介した派出所名は「もりやま」だったが、前者の規模が格段に大きい。中央写真は昨年末、見附山+見附分遣所を目指した際に撮影、今や六亀警備道南段と云う呼称があり伝統的に登山対象として台湾人ハイカーを吸引して来た稜線を望む。特に目立つピラミダルな山容を持つ二座は手前が見附山(標高1,686b)、後方が楡油山(同1,891b)である。どちらの頂上にも警備道としての遺構が残る。
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2022年02月19日

六亀特別警備道−36:(島田、金谷、日坂)

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【写真説明】現在は六亀警備道路の全段を便宜上南北の二つに分け、各々北段、南段と称している。筆者の記憶に依ると以前は存在していなかった呼称である。その分岐点が見附山、見附分遣所だ。日本橋を起点とする北段を通しで歩くのは最早困難だが、大津を終点とする南段は元々稜線上の山々を目指す登山道として利用されて来たので、通しで歩ける。見附山から南真我山までと云う意味だが、この間通常は丸々二日間かかるが、一日で歩き通してしまう猛者もいる。見附山は単独でも良く登られているのを筆者が知ったのはつい最近のことだ。藤枝国家森林遊楽区を起点とする出雲山林道(筆者の手元の地図帳では「支線」。「旧線」と云う表現も有り)を南側に辿ること3.5`の地点に見附山への登山口があり、登り始めるとすぐに第26宿「掛川」分遣所遺構に出遭う。詰り、この3.5`の間に表題の三分遣所が存在していたことになるのだが、林道は、これら分遣所が設置されていたと思われる稜線西側に開鑿されている(ダイヤグラム参照)。この林道区間、見附山登山口に向かい緩やかな下り一方、往きは良い良い、帰りは怖いの典型で、帰りの登り返しは苦痛!左写真は林道上から仰ぐ藤枝分遣所跡地の森濤派出所である。林道東側を注意深く観察していたが、稜線への取り付きになりそうな場所は多かれど(中央写真)、布条等の物理的なサイン無し。台湾ネット上で唯一六亀警備道関連遺跡と思われる情報を含む山行記録は『高雄縣桃源郷天通北峰及天通山登山簡訊』である。天通北峰(標高1,647b)、天通山(同1,549b)の順に辿り、天通山山頂南側に住居跡地の記録あり(抜粋参照)。これが掛川分遣所との距離を考慮すると日坂分遣所跡地である可能性大だ。他方、藤枝森林遊楽区入口と天通山山頂間稜線上に島田、金谷の分遣所が設置されたはずだが、それら故地の位置情報は未だ見付けられていない。右写真は出雲山林道支線上の見附山登山口付近、実際の登山口は同写真の左側。(続く)
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2022年02月26日

六亀特別警備道−37:第26宿「掛川」

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【写真説明】出雲山林道脇から小さな登りとなる登山道はそのまま旧警備道なのか?という質問に対し、イエスと言える証拠は、直ぐに遭遇する短い所謂「浮築橋」(左写真:筆者の背中が掛川方面)である。その幅は2b50a程度もある。殆ど崩壊しているのだが、名残り(下段右写真)はある。未だにこの道路構造を日本語で何と言うのか判らない。「自然石に依る路肩擁壁」だろうか?台湾ではこのような石積みの壁は駁砍と通称しているが、筆者のブログでは今後も石塁とか石垣とかの単語を用いることにする。狭い尾根状の坂道を登り切るとそこはもう掛川分遣所(中央写真、右側が警備道、分遣所跡地は左側上方と推定)である。登山口から約300b、15分も掛かっていないはずだ。小さな分遣所だったらしく、駐在所を囲む石塁も見当たらず。右写真はその坂道を登り切る直前に露出していた当時日本人警吏・眷属が消費していたビン類、ハイカーが掘り起こしたものだ。分遣所跡地と思しき平坦地の中に、四周を精緻な石積で囲ってある用途の判らない掘り込みを見付けた(下段右写真)。尚、出雲山林道脇登山口から見附山までの警備道線はこのダイヤグラムを参照。(続く)
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