2022年03月05日

六亀特別警備道−38:バリサン警戒所

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【写真説明】「バリサン」の漢音訳は種々ある。元々はブヌン族バリサン社に対し使われた表記で、日本時代は片仮名で統一されていたが、戦後の漢字表記は様々。基本カタカナで表記されていた原住民集落の漢字化にルールが存在しないからだ。「媽哩散」、「蕃里山」、「馬里山」、「巴里山」。。。当時の地形図を見ると、三つの「バリサン」表記がある。原住民集落、内本鹿越嶺警備道(内本鹿古道=黄色線)上の駐在所、加えて、六亀警備道(=赤線)上の駐在所である。本投稿記事は無論六亀警備道上の警戒所(監督所)である。これらバリサンの在処を確認する際一つ気付いたのは、内本鹿警備道西段と六亀警備道北段の交差点、藤枝駐在所から前者の支線たる警備道が延びておりその終端がバリサン社駐在所であったことだ。通常バリサン駐在所の在処は、雲山林道(出雲山林道)起点から2.5`程南下した場所とされ壮大な遺構が残存している(後日「内本鹿越嶺古道」として紹介予定)。ところが、林一宏『蕃地駐在所建築』論文で紹介されているGPS座標は更に南下した地点を指し示しており混乱中。他方、六亀警備道上のGPS座標を何処で入手したか失念してしまった。掛川分遣所跡地とバリサン警戒所跡地(推定)の間は、掛川〜見附間警備道(ダイヤグラム上の「マリサン」は筆者の誤記)の中で最も勾配の急な部分でロープが渡してある(下段写真)。その急坂を乗り越してしまうと、二つの緩いピークを越えて往く。同時に、この区間は掛川〜見附間で警備道が最も平坦な部分に開鑿されている(中央・右写真は同区間の警備道景観)。因みに右写真は警備道がどう崩壊していくか?の一例。北側のピーク付近がバリサン警戒所跡地のはずなのだが、跡地と思しき平坦部が続々と現れ(左写真はその一例)跡地を特定出来ず。ところが、バリサン警戒所が設営された辺りの地形は外から見ると非常に特徴的だ。このパノラマ(藤枝林道18`地点から撮影)は藤枝から見附山まで連なる稜線の概念図である。(続く)
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2022年03月12日

六亀特別警備道−39:第27宿「袋井」

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【写真説明】バリサン警戒所跡地を含む二つの丘陵上のピークを越えた後は大きく高度を落とし袋井分遣所跡地に至る。丁度見附山との鞍部になる。小規模な遺構であるが、分遣所跡地を即座に特定出来るだけの石塁は残っている。上段左写真と中央写真は分遣所跡地。右写真は分遣所の掛川側出入口と思しき石塁、下段左写真は見附側の出入口と思しき石塁。袋井分遣所の見附側下方には小さな沢が流れ込んでいた。六亀警備道の場合、駐在所は稜線上のピークに設けられたケースが多いので意外に思った。袋井から見附山頂上までは長い登りの連続となる。その間に掛川〜見附間の警備道上路肩擁壁の最も残存状態の良い部分があった(下段中央・右写真)。(続く)
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2022年03月19日

六亀特別警備道−40:第28宿「見附」(1)

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【写真説明】先ずは見附山(標高1,686b)頂上で出遭うのは台湾省政府図根点(左写真)。更に歩を進めると陸測三等の標石(中央・右写真)に迎えられる。中央写真は筆者背中が袋井方面、向い側が見附分遣所へと繋がる。山歩きが専門の筆者としては三角点標石の紹介のみで今回の投稿を完了させることにする。(続く)
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2022年03月26日

六亀特別警備道−41:第28宿「見附」(2)

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【写真説明】見附分遣所跡地は、見附山頂上から僅かに南側に下った場所にある。跡地は広大でその敷地を囲む石塁の残存状況も悪くない。上段左写真は分遣所の正門を分遣所内側から撮影した。濱松方面はこの正門を右に折れる。中央写真は正門に外側から対し左側(左翼)の石塁、右写真は右翼の石塁。下段左写真はその右翼の石塁の延長である。中央写真は正門に繋がる石塁ではなく、左翼の囲み、右写真は撮影場所を失念したが、人工の石積が如何に崩壊していくか?の一例。筆者はこのような遺構を基本どのように記録していくかの教育を受けたことがないので、このように適当に撮影して並べているだけだ。従って広大な遺構という表現しか出来ないのだが、分遣所を囲む凡その石塁の四辺のサイズ、残存箇所、方向ぐらいはスケッチ出来れば望ましいと思う。それには時間と体力が必要で既に遅きに失した。撮影したのも正門の両翼中心、実際は正門の向い側も含め分遣所を囲む石塁はぐるりと残っている。筆者の踏査をサポートしてくれた登山ガイドに依ると長辺は目測35bあると言っていた。(続く)
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