


【写真説明】見附の次は第29宿「濱松」分遣所に至るわけだが、GPS情報を取得出来ず、見附分遣所から緩く広がる下りをどれほど辿れば行着くのか見当付かず。しかも見附山山頂まで至るのに随分時間を要してしまった。それで、六亀警備道関連の投稿サイトに最近よくアップされている五輪塔だけは見ておこうということで、濱松方面へ下った。それらのサイトでこの五輪塔は「神社」遺跡として紹介されているが、これは仕方のないことだろう。神社とお寺の区別をきちんとできる台湾人はそう多くないはずだ。サイト内に「日本人祭祀先人的紀念塔」のコメントを見付ける。そもそも五輪塔は卒塔婆、墓である。高さ40a程度の五輪塔は稜線右側(西側)端に佇んでいた。土台はセメントで固定されている。台湾サイト内の写真では転がしてあるように見えていたものだ。誰が何時どういう事由で持ち込んだのか?五輪塔は日本で独自に発達したとも言われるので、戦前の日本人だろうが、警備道開鑿と関係があるのかどうか?五輪塔はその下方の平坦地(中央・右写真)を望むような場所に立っているので、その平坦地が濱松分遣所跡地ではないかとも考えたが、見附分遣所との距離が200b程、近過ぎる。それでも中央写真に見られるような人工の石塁があった。(続く)
