2022年05月07日

六亀特別警備道−47:第9宿「小田原」

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【写真説明】今回の三日間の踏査行の中でどうしても尋ねたかったのは、小田原と沼津分遣所遺構である。規模が極めて広大と聞いていたからだ。小関山林道沿線の藤沢〜箱根間で、最も林道からの距離が長いのが小田原分遣所跡地である。それでも林道からの距離と落差は各々凡そ200b、50bに過ぎなかった(筆者の現場での実際のトレース参照)。小関山林道11`地点に車を停め適当な入山地点を物色、最終的に選択したのが左写真だ。中央写真は小田原跡地の最も南側と思われる地点に現れる、殆ど崩壊した石塁。最も丈の高い石塁は跡地の最も北側に位置する分遣所遺構を支えていたと思われる。右写真に見るように大人の背丈を超えている。遺構のスケールを感じ取って貰う為に、以下三枚のパノラマ写真を添えた。先のトレースでも判るように傾斜地に設営された駐在所である::

パノラマ#1:跡地の東端の石塁の一部。
パノラマ#2:南端に位置すると思われる最も規模の大きな石塁。上段右写真の石塁を抱合。
パノラマ#3:跡地の西側の景観、何処まで広がりがあるかは未確認。(続く)
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2022年05月14日

六亀特別警備道−48:第10宿「箱根」

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【写真説明】「箱根」分遣所跡地は、小関山林道沿いの六亀特別警備道の最南の駐在所跡地となり、林道約10.5`地点から西側(林道起点を背にして左側)に入り込むとそれらしき石塁(左写真)に突き当たる。パノラマ写真も参考までに添付しておく。駐在所跡地として疑いようがないのだが、ダイアグラムを見て判る通り、箱根−沼津間は駐在所遺構と思しき箇所が一箇所多い。この謂わば「字余り」の解決策として、台湾ネット上の公開報告を見ていると、二通りある:一つは、ダイヤグラムの様に、沼津分遣所を新旧の二つに分ける方法。これはそういう歴史的なイベントが存在したのかもしれないが、二つの沼津跡地は接近しているので説得力はある。もう一つは、小関山林道西側遺構は無視して、ダイヤグラム上に筆者の方で「三島」分遣所跡地と表記した地点を箱根跡地として見做す方法。筆者の手元の市販地図帳では、この箱根跡地と思しき場所に「林務局富園駐在所(廃)」の標記がある。林務局機関としての駐在所という呼称を目にしたのは初めてのことだ。日本時代の警察機関としての駐在所と混在して使用しているのかどうか?は定かではない。現地には塩ビの水管が渡されていたるのを目撃した(中央写真)ので、林務局の苗圃が嘗て在りその為の駐在員の作業場兼宿泊所が存在し地図帳の標記になったかもしれない。六亀警備道は箱根を過ぎると、小関山林道を離れ、沼津分遣所に向かい急降下、そのまま宝来渓まで降り切り渡渉し対岸の山に取り付くのだが、その宝来渓沿いに湧き出る温泉の中に、富園橋温泉と云う標記を見付けた。宝来渓は、玉山連峰に源頭を持つ荖濃渓の支流の一つだが、渓谷沿いに複数箇所で温泉が湧き出しており、地図上では通常「七坑温泉」から始まり「十三坑温泉」までの標記がある。要は古来から十箇所以上の湯場があったという意味だ。これらの温泉は、極めて著名な温泉街を形成している宝来温泉の源頭になるはずだ。何れにしても、富園駐在所と富園橋温泉の標高差は500bもあるのだが、何故これら二つの地点を結び付けたのかは不明。右写真は箱根跡地で目撃した約9箇月前の日付けをマークした布条、「六亀警備道踏査」と読める。これも筆者が当地を箱根跡地として特定した理由の一つである。(続く)
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2022年05月21日

六亀特別警備道−49:第11宿「三島」

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【写真説明】「沼津」分遣所遺構の踏査には丸一日を充てたことは既に紹介した通りである。小関山林道約10`地点にある路側に駐車スペースのある場所に車を停め、林道入口方面に歩き返しながら宝来渓方面への折口を探した。すると直ぐに廃棄された林道支線に当たり(左写真、筆者の正面が林道入口、林道支線は左側イコール東側)その廃棄林道を暫く辿った後に谷側へ降りた(中央写真左側が谷側への折口、GPS軌跡も参照)。右写真は谷側へ下り出した斜面の景観。そこから200b程度下ると三島分遣所跡地と思しき平坦地に往き当たる。沼津跡地に至るまで基本同じような景観で、明晰ではないにしろ大凡旧警備道跡をトレース出来る状態にある。三島跡地は目立った駐在所遺構が無い代わりに、次に立ち現れる林務局護管所遺構までの間に駐在所遺構と思しき小規模の石塁が間歇的に続く。そんな中で割と残存状態の良い石塁のパノラマ写真を埋め込んだ。(続く)
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2022年05月28日

六亀特別警備道−50:林務局護管所(廃棄)

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【写真説明】例えば、ウィキペディア中文版の「六龜警備線(六龜警備道)」項の解説では、二箇所の護管所(遺構)を警備線沿線の駐在所遺構の中に含めている、或いはそのような意図が見える。筆者には日本時代の警察機関としての駐在所と、これら戦後の林業行政統括機関とがどのような関係にあるのか?未だ明確ではない。が、林務局公式サイトを閲覧してみると、護管所という林務局機関は最早存在しないようだ。その意味では今回の投稿に掲載した写真を見ていただければ感得いただけるように、日本時代の駐在所と同じように護管所も「古蹟化」しつつあるということだ。林務局サイトのホームページを「山林資源」→「森林保護及管理」→「森林保護」→「森林護管」という順で追い掛けて行くと、最後は以下のような説明に当たる(筆者拙訳):「本局は管轄する全台湾の国有林を8箇所の林区管理処(管理事務所)とそれらの統括下に35箇所の工作站(事業所)に分割し、国有林巡視並びに管理業務を実施している。同時に千人以上の森林護管員(巡山員)を配置し森林巡護の責任体制を敷いている」。要は、林務局の「護管」とは「森林巡護」のことであろう。尚、台湾の森林護管員は、日本の「自然保護官(レンジャー)」と同等のものかどうか?筆者は知見無し。いずれにしても、現在の六亀特別警備道が属するのは屏東林区管理処、その公式サイトの沿革の部分には、現在の機関の前身として明確に「高雄州産業部林務課出張所」との記載があるも、警察機関との関係に触れた部分は無し。上段左・中央写真は残存状態の最も良い棟、右写真はその棟の東側にある崩壊した別棟、下段左写真は日本時代との関係を示唆しているような古石塁、中央写真は沼津分遣所跡地に近付くにつれ立ち現れる宝来渓対岸の急斜面、第13宿「原」分遣所以降が設営された方面になる。右写真に写る最高山塊は渓南山、同写真中央手前の丸い稜線を呈するのは小田原山、渓南山右側の三角錐を呈するのは渓南山前峰、その頂上南側が第17宿「興津」分遣所跡地とされている。原宿から、藤枝国家森林遊楽区内の府中宿までの警備道概念図を埋め込んでおいた。「小田原」、「七坑温泉」、「渓南山」、「渓南前峰」等が警備道開鑿位置をイメージするのに便利だ。兎にも角にも、ため息が出る程に圧倒される高度と距離だ。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 六龜特別警備道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする