2023年02月04日

特別投稿:薩摩藩大口筋白銀坂

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【写真説明】前回の投稿の日付けから二日後、1月23日早朝に、筆者の妻、台湾人「龜龜」(北京語読みで「グェイ-グェイ」)は逝ってしまった。筆者の過去の投稿の中で、時折「G博士」として登場願った。子供の頃、動作がのろかったのでそういうあだ名を付けられたと云う風に記憶している。亀ちゃんと云うわけだ。昨年六月にその妻を帯同し筆者の実家、鹿児島に引き上げて来た。1988年に日本を離れ爾来日本に定住したことはなかった。国史跡に指定された白銀坂は著名な古街道なのでご存知の方が多いのではないかと思う。この古道ブログでも将来独立したカテゴリーを設け紹介するかもしれない。

白銀坂は妻と歩いた最後の古道となってしまった。昨年12月初旬と年初3日の二回に分けて歩いた。それから約三週間後、失神、昏倒、全身痙攣を同日に二回繰り返し、顔が腫れ上がって来たので脳内出血を疑い救急車を要請、診断の結果、脳に損傷は無かったが頸椎損傷あり、但し、肝臓がボロボロの状態であることが発覚、医師には非常に危ない状態であることを知らされた。救急車で搬送後24時間も持たず心肺停止、朝6時30分が死亡時刻となった。48歳、死亡届の医師の診断書には「肝不全」と「敗血症」の二つの病名が並んだ。

お正月、二回目の白銀坂踏査の際、二人で写した写真があり、それが二人で写した最後の写真となった。さすがにその写真をここに掲載することは差し控えるが、二回の踏査中、先を往く妻が写る写真が三枚あった。

筆者が台湾古道、台湾山岳にのめり込み、過去二十余年、台湾全土を縦横に歩き廻れたのは妻のお陰である。月並みな文句に聞こえてしまうが、筆者の方から妻に対し何の恩返しもしてやれなかったのは痛恨の極みである。これから、何処の古道でも山道でも良いのだが、そしてそれを日本でもやろうとしていたのだが、妻と手を取りながら歩き続ける術(すべ)は本当に無いものだろうか?(終り)

posted by 玉山 at 20:59| 台北 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 特別投稿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月18日

壽山古道−37:半屏山(9):半屏山地下水庫(配水池)

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【写真説明】今回紹介する遺構のみ、肉眼に依る確認が未達である。高雄市が調査・研究・報告を委託した高雄市舊(旧)城文化協會(会)が、戦後70余年封印されていたとされる、この「地下水庫(配水池)」(「地下貯水施設」)を「発見」したのは、2017年12月である。台湾メディアが騒ぎ出したのは翌月、2018年初旬だと想像されるが、筆者のアンテナには掛からず仕舞いで、昨年前半に半屏山に関し調べ物をしている途上で知る事になる。従って、当該ニュースが実際台湾メディアの報道合戦の様相を呈したかどうか?一般人の反応がどうだったのか?は実は筆者には判っていない。加えて、「発見」(旧城文化協会作成の報告書中の単語)と云う単語が適当かどうか?も筆者には判然としない。壮大な地下貯水施設の少なくとも配水管の大部分は今は台湾中油の管理下にあるはずで、戦後の国民政府の接収時に引き継がれたはずだ。『半屏山日治時期戰備設施先期調査計畫成果報告書』(70〜75n)中掲載の各ダイヤグラムを見ると筆者の使った「壮大」の意味が朧気乍ら見えてくると思う。「地下水庫 半屏山」でユーチューブ検索した結果を埋め込んだが、各タイトル何れも扇動的だ。序でに貯水タンクの規模が視覚的にイメージ出来る絵を右側に配した。

メディア関係者以外の一般人がこの新発見の現場をシェアして貰うにはどうすればよいのか?中油幹部とのコネクションがあれば良いのだろうぐらいは考えつくが、それ以上のアクションを起こしていない。地下ダムの配水管の延長線が偶然かどうか?は判らぬが、半屏山脊梁最高点の展望台に突き当たる(前出論文70n掲載写真参照)ので、地下50bに設営された巨大貯水タンクの在処を想起させる何物かが地上に突き出ているのではないかと云う原始的な想像に尽き動かされ、勝手に半屏山脊梁西側を徘徊し撮影したのが今回掲載した写真である。北砲台へ至る旧軍備道沿線に中油がフェンスを張り巡らせているのは既に述べたが、#2ゲートの中油側にカメラが据え付けられていた。又、同じゲートの自然公園側の間道にはロープが引っ張ってあった。右写真は防火設備の様で日本海軍とは何の関係も無し。詰まり、結局何の収穫も無かったのだが、今はこの程度でお茶を濁すしかない。そのうちに壽山国家自然公園と中油とで外部向けの常設示を企図する可能性があるかどうか?筆者の感覚では中油が同意するとは思われないが。いずれにしても、極めてユニークな『水の古道』だ。

以前同カテゴリー内で「打狗水道」として、その取水から給水までのインフラを紹介したことがある。今現在の高雄市への原給水システムである打狗水道と、旧日本海軍の半屏山地下ダムへの給水システムは同一かどうか?というのは筆者の素朴な疑問だったのだが、旧城文化協会論文では、後者の水源地は大泉浄水場(Googleマップ上には「政府機関」のマーキングあり、軍管理下と云う意味だろう)、打狗水道の水源地、竹寮取水站の同じ高屏渓右岸沿いの約3`北方に位置する。その後、現在の自來水仁武浄水場を経由し半屏山まで運ばれていた。どちらの浄水場も筆者はまだ足を運んだことがなく、宿題が積み上がったが、それはそれで良いことだ。(終り)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする