2023年06月10日

美濃古道−7:月霊旗縦走(4)−旗尾山(4)

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【写真説明】上段左写真は、前回の投稿で掲載した下段左写真の撮影者背中側に位置する、「昭和十四年二月十一日建立」の銘を持つ「旗尾山祠」、残念ながらどのくらいの規模とデザインで存在し、それはどれ位の期間であったのか?台湾ネット上で関連情報を未だに見出せていない。その間に石碑表面の剥落は進む。左写真は2017年2月、右側二枚の石碑表裏写真は2004年4月撮影。この間の摩耗、剥落の進み具合が判るかと思う。下段写真は2019年3月撮影、筆者自身は約15年間気付かず妻が見出した石造仏像残骸。上段左写真右側に写る金属製手摺を伝い降りて行った場所である。当初は前々回に掲載した不動明王の彫り込みとの関係で地蔵菩薩かもしれないと勝手な想像をしていたが、トレードマークの髪の毛らしき意匠も見える。連日多くのハイカーが行き来する場所に露出している遺物だが、この石造物を紹介した記事を未だに目撃したことが無いと云う摩訶不思議。
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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 美濃古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月24日

美濃古道−8:月霊旗縦走(5)−旗霊縦走

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【写真説明】旗尾山(祠)と全縦走路の中間点、霊山の間のメジャーなピークは、西から福美山、(大)金字圓山、人斗山(人頭山、霊山)である。筆者がこのコースを試みたのは二回しかない:2017年2月、旗霊縦走、完走出来ず金字圓山まで至らず、2021年2月、霊旗縦走、漸く完走。。。と云う具合だ。完走した際、車は旗山製糖工場に停め、タクシーで霊山登山口まで赴く方式を取った。上段左写真は霊山歩道出入口の霊山雷音禅寺、相当回数お世話になったが、これ一枚しか残っていない(撮影2006年6月)。中央写真は、霊山歩道を縦走路まで登り切った所に立つ指導標、同写真奥は月光山方面に東進する登山道が続く。背中側、西進すると旗尾山方面に辿ることになる(同2020年7月)。右写真はその背中側にある土地公、福徳祠で休むハイカー、ハイカーの交通量としては台湾南部のトップクラス。上述した「全縦走路の中間点」とはこの地点を指す(2006年6月)。下段左写真は、霊山歩道終点、人斗山山頂の地籍三等三角点。霊山歩道の縦走路と重なる部分は僅かに500b強しかないが、非常に快適な山登りが約束されている(同2006年6月)。中央写真は金字圓山山頂から人斗山の眺望。右写真は福美山山頂から旗尾山(祠)の眺望(以上二枚は2021年2月撮影)。
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