2009年02月28日

『水の古道』美濃水橋(3)

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【写真説明】蘇花古道の出発点である蘇澳(羅提督が蘇澳から開鑿を開始したと云う意味で)から南に向かい歩を進めていく前に、少しだけ一服する。いきなり蘇澳から遥か南に移動してしまって申し訳ないが、左写真は竹仔門発電所横にある今は水徳宮と呼ばれる廟。竹仔門発電所が出来た後に水神様を奉る神社を建立、戦後それを襲って改建されたものが現在の廟である。同写真中央、龍が踊る部分が神社時代の階段で本殿位置は当時も今も同じである。右写真は現在の廟内に残る岡田安久次郎の功績を讃える石碑。

前回の竹仔門発電所の追加記事を書いていて気になっていたのが、現在同発電所に隣接している水徳宮と呼ばれる廟である。読んで字の如く、廟建立の意図はよく判る。実はこれが日本時代の水神様を襲って改建されたのを、台湾電力の広報誌「源」(2004年11/12月号、「竹門電廠的守護神」)で知った。ブログ「台湾に渡った神々」の主宰者金子展也氏に依ると、これは企業神社に属するそうである。私は何回も竹仔門発電所には足を運んでいるのに、この廟の存在にはうっかりしていた。本来ならすぐにでも出掛けて確認してみるのだが、最近はそうも出来ない事情があるので、私が台湾踏査の際頼りにするG博士とT博士に代わりに行って確認して貰った。

そこで両博士が見たものが今回掲載の右写真、「岡田安久次郎君之碑」である。電話でG博士から「岡田何々の墓がある」と連絡を受けた時は驚いたのである。以前のブログ記事「六亀特別警備道−9:竹子門発電所(2)」で紹介した岡田安久次郎が竹仔門発電所で見事に繋がったからである。実際は墓ではなく、顕彰を目的とした碑の裏側には同氏の経歴と碑の謂れが、平易な漢文で刻まれている。但し、T博士撮影の写真では判然としない文字が幾つかある上に、碑文には全く句読点が無いので判りにくい部分がある。幸いにも、行政院客家委員会の公式サイト「台湾客庄文化数位典蔵」(台湾客家文化デジタル・アーカイブ)の中にこの碑の紹介と句読点を施した形で碑文全文が紹介されている。それを基にした筆者拙訳は以下の通りである:

「岡田安久次郎翁は埼玉県の産、明治二十二年、小田原工手学校を卒業、埼玉県及び横浜市の吏員を歴任した後、明治四十四年渡台、台湾総督府土木部に奉職、獅子頭[土/川]水利組合の官設に参加、大正十年、書記並びに技手と為る。同十五年、組合理事に昇進、昭和六年初代組合長に任命されるも、それより幾許も無く同年八月一日にこの世を去る。享年六十六歳。この間十六年、精励刻苦してその貢献は大、一同この碑を以って生前の功績を讃えるものである。   昭和九年四月十日 獅子頭水利組合」

因みに、前回にブログ記事で紹介した岡田翁設計に依る水橋は、2006年になり高雄県の古蹟に指定されたと同サイトの紹介にある。叉、筆者がブログ中で紹介した水橋横に佇む記念碑の改竄の実際も同サイトの紹介で説明されている。

以上のように、一介の日本人の水利事業に纏わる功績はこのようにひそやかに語り継がれているわけである。

他方、前述した台電広報誌の記事、写真をふんだんに取り入れ三ページに渡り、竹仔門発電所、水神様、水徳宮、、獅子頭[土/川]、獅子頭水利組合等を紹介しているのだが、岡田安久次郎の名前は全く出て来ない。これは水橋横の記念碑改竄と繋がる部分である。
(終わり)
ラベル:台湾 台湾古道
posted by 玉山 at 00:00| 台北 🌁| Comment(5) | TrackBack(0) | 『水の古道』美濃水橋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
2年ほど前、現地に行った時偶々職員の方に会って神社の事を聞きました。ただ、言葉の問題があり、全て分かったわけではありませんが。

門を入る前の細い道の右側に『明治44年・・・』と刻まれた石柱があり、左側が凄い勢いで水の流れる水路でした。その水路の向こうのちょっと高くなったところに色鮮やかな廟が見えました。この水徳宮というのはそこのことでしょうね?

発電所の門を入る前に水徳宮(日本時代の神社)、石柱があるとすると、以前の発電所の敷地は今よりも広かったのでしょうね?
Posted by メイウェンティ at 2009年03月03日 20:16
実は私は水徳宮が具体的に何処にあるかは知らないのです。高雄から1時間ちょっとで行けるのですが、今そんな時間がありません。それでG、Tの両博士に行って貰いました。G博士は今回の踏査の為に二回、T博士は一回現地に足を運んでいます。これからはそんな踏査(私の代わりに他人に行って貰う)が増えてくると思います。悩みは、彼等が私が撮って欲しいと思うような写真を撮ってくれるかどうか?

私が記憶を頼りにあそこ辺りだろうと考えていた場所と実際の場所はかなり違いそう、というのはメイウェンティさんのコメントで判りましたが。

竣工記念碑は今立っている場所が怪しげな感じ。本当に元々今の場所に立っていたかどうか?

メイウェンティさんの質問に正確に答える為には、発電所対水利組合の関係をまず知る必要があると考えていますが、これは簡単には行きそうにないので手が出ないのです。発電所は発電、水利組合は発電した後の水をどう利用するか(例えば、灌漑)、そんな線引きは空想出来ますが、ではそれらに関する土地をどう切り分けるか(つまり管理上の問題)は今は判りません。水自体は無論分離不可なのですが。(了)
Posted by 玉山 at 2009年03月03日 21:06
ありがとうございます。

水神様は“発電所”に関わるものと勝手に思って、私の見た廟が水徳宮ならあそこも敷地だったのだろうと考えたのです。水神様は水利組合にも関係があるのですから、別に境界線の問題があったとしても発電所敷地の外側にあってもおかしくはないですね。

「彼等が私が撮って欲しいと思うような写真を撮ってくれるかどうか?」、ご存知とは思いますが、極力具体的な注文、もし数字が使える場合なら具体的な数字を出されたらと思います。

Posted by メイウェンティ at 2009年03月04日 22:09
先月、竹仔門発電所へ行きました。最初、2年前に新しい発電所ができたため、運転を中止したと聞いたのですが、あとで通訳の人が「現在も時々動いている」と教えてくれました。現役の発電所と紹介できるでしょうか。
Posted by 西村公秀 at 2010年11月09日 19:34
西村様;

弊ブログの閲覧並びにコメント、誠にありがとうございました。

「日経ギャラリー」(本ブログ左側メニューからお入り下さい)の第三回目の記事でも書きましたように、発電所自体は現役、その二年前の新しい発電所というのは、発電設備(タービン等)のことで、創業当時の発電設備を退役にしたという意味だと思います。実は、私自身もその新しい発電設備は未だ見ておりません。(了)
Posted by 玉山 at 2010年11月09日 22:51
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