2009年10月10日

『水の古道』二峰[土川](5)

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【写真説明】2009年8号台風「モーラコット」が台湾に齎した惨状は衆知である。私が確認しに出掛けたのは林辺渓と高屏渓沿線である。二峰[土川]の起点となる来義方面は実はG博士が先に出掛けて報告してくれていたので、大体は想像が付いていたが、現実は酷いものだった。

鳥居信平の地下ダムの様子と、地下ダム脇にある倒壊した取水塔はその象徴みたいなもので、既に平野久美子氏が自身のHPで紹介しておられる。鳥居信平の銅像が安置されていた来義国民小学校の校庭の半分程がえぐられ消失していたのには驚いた。その銅像は先の記事で紹介した公園入口に移されていた。

平野氏も書いておられるが、消失した(実は露出した地下ダムを來社渓が運んだ土砂が埋めてしまった)地下ダムと、倒壊し摺り落ちた格好になった取水塔を見れば、約九十年持ちこたえた画期的なシステムもとうとう幕を引かざるを得ないと誰もが思うが、実際は相変わらず水は滔々と流れ続けていた。その鮮烈な流れに新ためて驚嘆した。

以下掲載写真について簡単な説明を加える(1段目左から@、A、B、二段目左からC、D、E):

@来義小学校の傍にある公園に移された鳥居信平の銅像。二峰[土川](4)の写真と同一銅像。A川が運んだ土砂に地下ダムが埋もれた様子。二峰[土川](3)の1枚目の写真と比較して欲しい。B二峰[土川](1)の中央写真の水門を逆方向から望んだもの。水量に全く変化が無い。C途中、山側が土砂崩れを起こし二峰[土川]を埋めた格好になっている箇所があったが、水は流れ続ける。写真左手前に見える水路側面は日本時代のまま。Dその先の地下トンネルに流れ込む様子。[土川](3)の右端写真は同トンネルの出口である。これも日本時代のまま。E来社渓(林辺渓)をライ社方面に望む。川岸左側が来義国民小学校。川岸右側の崩壊部上辺にタナシウ社(現来義郷丹林社)に向かう登山道が付いており、丁度その登山道に沿った形で崩壊している。丹林村と来義村を繋ぐ左岸自動車道は消失している。(終わり)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 『水の古道』二峰[土川] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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