2009年11月07日

関山越嶺古道−2

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【写真説明】南横の最高点、大関山トンネルの西口(左写真)と東口(右写真)。西口は車を停められるスペースはあるが、一般の観光客を引き留めるものは何もない。東口は台湾でも有数の雲海展望所。同写真に写る登山者は、かつての警備道最高所を経て関山嶺山(標高3,176メートル、台湾百岳76号)を目指す。中央写真は、西口脇の崩壊部。関山越警備道路はこの崩壊部上方を通っていたのだが、具体的にどの辺りかは見当が付かない。

[関山越警備道路と南横]
関山越警備道路の西側起点は高雄県六亀郷六亀(日本時代も同じ)、東側起点は台東県海端郷関山(日本時代の里[土龍])で、その間約170キロの道路が開鑿された。1921年(大正10年)から東段から整備が開始され、丁度10年の歳月を掛けて西段までの全線が完工したのが1931年(昭和6年)、これとは別に何本かの支線も開鑿され、以前「台湾の声」で紹介した「六亀特別警備道」もそれら支線の一つだ。そして同警備道開鑿開始から丁度50年後の1971年、現代の南横が開通する。

南横の最高点は標高2,722メートルの大関山トンネル、高雄県と台東県の県境で、通称「[土亜]口」(中国語で鞍部、稜線の最低点の義、「唖口」という表記も見掛けるが多分間違い)と呼ばれ、トンネルの東側、即ち台東県側は足下に広がる雲海で夙に有名、台湾を代表する山岳自動車道の最高点ということもあり、何時も大勢の観光客で賑わっている。北回帰線以南に位置しながら、寒気団が流れ込んだ時には、雪、霧氷を観賞出来る場所でもある。

日本時代の警備道は、当時はトンネルはなかったので、この大関山トンネルの上部を乗り越しており、当時も高雄州と台東庁の州界、やはり警備道の最高点だった。それで今後私の記事の中では、このトンネルを境に西側即ち高雄県側を西段、東側即ち台東側を東段と便宜上呼ぶことにする。

現在の南横とオリジナルの警備道との関係は、西段、東段ともおのおの大きく乖離した部分もあるが、交差している部分も多く、概ねお互いが上になり下になりながら東西を結んでいる。>(メルマガ「台湾の声」2009年5月9日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 関山越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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