2009年11月28日

関山越嶺古道−5

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【写真説明】左写真は林古松氏のチームに拠る「玉山国家公園関山越嶺古道調査研究報告」表紙。実際、関山越嶺古道に関するこのような研究報告書がどれくらい存在するかは判らないが、一覧すれば随一のものであることが即座に判る大作。玉山国家公園最南のビジター・センターである梅山は嘗てマスボアル社があった場所。今でも駐在所跡と古道が残る。中央写真はマスボアル駐在所跡、梅山村外れからその駐在所跡脇を通る舗装された産業道路が嘗ての警備道。何処までこのような状態で車、或いはバイクで辿れるのか?は未だ試したことがない。マスボアル社はもともとは今の台東県側、台湾総督府に対する抵抗運動の際に一部中央山脈を越えて移遷してきたと、上記研究報告書にある。

[古道踏査研究と現在の古道の現況]
玉山国家公園管理処の研究委託事業として林古松氏に依り踏査研究された結果は、丁度20年前の1989年に「玉山国家公園関山越嶺古道調査研究報告」として上梓された。これが私の知る限りは、全ルートを詳細を極めて踏査・研究した唯一のものであり、古道の荒廃が年々進むことを考えると、今後この林氏の研究を凌ぐものは出て来るとは思えない。本調査研究の大きな目的は、現在約100キロが完全歩道(登山道)化されている八通関古道と同じような形で、関山越嶺古道を歩道化する為の予備調査だった。尚、260ページに及ぶ同報告書は玉山国家公園管理処に連絡すればコピーを分けて貰える。

林氏は同報告書の中で、道路、住居、街の構築、田畑の開墾、そして南横の建設から免れた嘗ての警備道が、約80キロ程度残存していると報告しているが、その中で古道西段側の玉山国家公園遊客中心(ビジター・センター)のある梅山から大関山トンネルまでの約30キロの部分が、ほぼ完全な形で残っており、本古道の白眉だと述べている。この部分はそのまま玉山国家公園の領域内になる。しかしながら現在までの所、誰でもが歩けるように整備されている部分は、中之関駐在所跡から天池までの僅か4キロ弱に過ぎない。嘗ては全長170キロに及んだ警備道のこのほんの一握りの段だけが現在「中之関古道」として人口に膾炙している。

従って、現在の台湾観光案内では、関山越嶺古道イコール中之関古道という取り扱いになっている。平坦な段なので、ゆっくり歩いて往復しても三時間程度だし、読者の中にも既に実際歩かれた方もいらっしゃるのではないかと思う。中之関古道については玉山国家公園の各ビジター・センターでパンフレットが準備されているし、以下の「高雄県校園主題館」がこの古道紹介の台湾に於ける最も秀逸なサイトですので参考にして欲しい。

http://content.ks.edu.tw/33k/006_historictrail/004_kno.html(中之関郷土教材)

警備道開鑿から凡そ80年、林氏の踏査時からすら更に20年を経過したので、その当時ですら踏査が難しかった部分は今なら容易には入り込めない状態になっているのは想像が付く。私は林氏が白眉だと称した古道西段30キロの部分全部を今でも本当に歩けるのかどうか、前出の梅山ビジター・センターのこの研究報告書の存在をご存知のブヌン族の館員に質問したことがあるが、その方の答えは、林氏ですらその全部を歩いたわけではなく、部分的な踏査だったはずだという答えだった。 >(メルマガ「台湾の声」2009年5月9日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 関山越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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