2010年03月20日

玉山古道−11

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【写真説明】左写真は玉山国家公園管理処水里ビジター・センターの駐車場脇に設置されている日本時代の「新高山登山口」記念碑のレプリカ。レプリカの下段にはその由来が中文と英文で記されたステンレス製のプレートが嵌めこまれている。又、同レプリカ上段には「新高、阿里山國立公園 臺中口」と記された木製のプレートが掛かっている。「國家公園」ではなく「國立公園」である。「新高、阿里山國立公園」は大東亜戦争の影響で頓挫した幻の台湾国立公園システムである。残りの三枚の写真は日本時代設置のオリジナルの記念碑の現在の様子。水里ビジター・センターから16号線を南下すること五分程度の地点である。

『水の古道』南投県地利村−1」の記事は以下の文で結んだ:

「因みに16号線と21号線の分岐には今でも日本時代に建てられた『新高山登山口』の道標が残されている。これも水里を形成する小さな、私にとっては重要な景観である。」

これまで6回に渡り連載してきた「水の古道-バクラス」シリーズは昨年暮れ省道16号線沿線で見聞きしたものを纏めたものであるが、それらの景観をこの「新高山登山口」記念碑で締めくくりたいと思う。

私が初めて新高山に登ったのが2002年5月だったのが、この記念碑の存在を知ったのは随分後になってからだ。この登山口(日本時代は「台中口」)からの新高山へのコースは、私が以前本ブログ「玉山古道」シリーズで紹介した「八通関ルート」である。その記事を書いている時点ですら実際の碑は見ていなかった。初登頂から約8年近い歳月を経て現物に出会ったわけだ。

省道16号線と21号線の合流地点に行けばすぐ探し出せると思った。現地ですぐ目に付いたのは土地公でそこにあるのかと思ったが無い。水里市街地側に徒歩で戻り始めたら忽然と目の前に立っていた。あれ、レプリカは実は二つあったの?と一瞬思ったぐらいだった。そして実は殆ど損傷していないことにも驚かされた。

「新高山登山口」碑の下段に嵌め込まれたプレートの解説文全(拙)訳は以下の通りである([]内は筆者註)。この解説文を読みながら上掲の写真をあらためて見て欲しい。

「新高山登山口記念碑複製

新高山登山口記念碑は元々は南投県水里郷頂[山/坎]村に位置していた。1930年代に当時台湾を領有していた日本人に依り設置された。台湾中部から玉山主峰(旧名新高山)へ至る登山道入口に当たり、当時玉山へ至るもう一本の登山道は嘉義阿里山を起点にしていた。

その後、記念碑周辺の道路・住宅の拡張に伴い、その存在はすっかり忘れられてしまい、更に921地震[1999年]に依り損傷、碑全体が後ろに僅かに傾いてしまい、街頭の陰で以前の光彩を失ってしまった。

国家公園管理処では原記念碑の玉山登山史上に於ける意義を尊重し、更なる損傷を防ぐ為に碑の移遷は行わない代わりにレプリカを作成し、管理処の前庭に設置することにした。「新高山登山口」のプレートの複製に加え、「新高、阿里山國立公園 臺中口」の[木製]プレートも加えた。このレプリカは、元々の機能[玉山登山口表示]を回復させると共に、現代の観光客を玉山世界へ誘う入口であることも表示するものである。

玉山国家公園管理処敬立 2002年10月」
(終わり)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 玉山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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