2011年01月15日

北坑渓古道−3

Kodou-641.jpg Kodou-642.jpg Kodou-643.jpg
【写真説明】砲台が置かれていたであろう地点が中央写真。左右両側の写真はそこに設置された砲台の由来を説明した案内板二基。以下はこれら二基の案内板の日本語部分(雪覇国家公園管理処に依る)だが、砲台の由来とそれが原住民とどう拘っていたかが簡潔に纏められているのでそのまま全文を紹介したい。尚、砲台がどのような場所に置かれたかをイメージし易いように、本ブログ左側メニュー「古道俯瞰図」の「苗栗県の古道」→[2]のダイヤグラムを追加した:

「丸田砲台遺跡:明治44年(1911)に当時の台湾の佐久間総督が、いわゆる理蕃事業を開始し、大規模な討伐隊を組織し原住民を鎮圧した。同年4月から6月にかけて北勢蕃を鎮圧し、4月24日に丸田警部補が殉職した。そこで日本人が記念のために丸田の名前を以ってここに砲台を設置した。丸田砲台から大安渓を見下ろすと、当時の日本人が如何にこの砲台の優勢な火力で北勢群部落の泰雅族を制圧したかを窺い知ることができる。」

「畳石工事遺跡:現存の畳石工事遺跡は、日本植民地時代に日本人が丸田砲台戦備道(歩道)を経由して、駐在所と砲台間の戦略補給を繋ぎ、砲台の優勢な火力を利用して梅園及び天狗部落の原住民の活動を監視するためのものであった。歩道の沿線にある畳石工事及び塹壕は、砲台に合わせて設けられた戦備施設であった。」

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ここに添付した写真は、上述の説明文にある、砲台跡から望んだ苗栗県泰安郷梅園村天狗部落と大安渓、日本時代の地形図には天狗社とあり、現在の市販地図帳にもそのまま天狗の記載がある。タイヤル語では「ジメイ」と称しているようだが、サイトを色々探してみても天狗との関係が判らない。天狗も梅園も日本人が名付けた。大安渓は台中県と苗栗県の県境を形成しながら最後は台湾海峡に流れ込む。梅園村は、この大河の最上流の集落であり、且つ苗栗県最奥、加えて最高所の集落だそうだ。尚、同写真に写る橋は梅象橋、梅園村とそれより大安渓やや下流側にある象鼻村の頭文字を取ったものだ。この珍しい名前の村落については追って詳しく紹介する予定である。>(メルマガ「台湾の声」2009年1月12日掲載分『苗栗県の古道』の一部を改編)次回へ続く...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 北坑渓古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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