2011年01月29日

北坑渓古道−5

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【写真説明】本古道の冒頭の記事で「入口辺りでお茶を濁そうという魂胆である」と書いたにも拘わらず、未だその入口にさえ辿り着けていない。今回やっとその機会に巡り合せた。

以前少し触れたが、全長33キロ(左写真の里程標)に渡って台湾古道のモデルコースとして整備された北坑渓古道であるが、毎年襲う台風に為す術が無い。2007年の暮に入口付近に立つ警告板(右写真)は撮影されたのだが、毎年繰り返されるその後の台湾各地の台風に依る被害状況を考慮すると、この警告板が取り外されたということはまず有り得ない。要は、侵入禁止と言っているのだ。

この警告を無視して実際古道がどんな状態になっているのかざっくり了解する為に入ってみた結果が下に掲載した写真である。

Kodou-649.jpg Kodou-650.jpg

すぐに古道が完全に崩壊している部分(左写真)に出会う。ここは丁寧にロープが張り巡らされていたので容易にクリアしたが、その後も断続的に崩壊部が出て来る。最後は、右写真の部分に至り、その先を踏査することを諦めた。せめて二本松駐在所跡の北隣りの萩岡駐在所跡まで辿り着けないものかと期待したのだが、入口から三キロ程度しか入れなかったと思う。

全線を通じて同じような状態かどうかは判らない。侵入禁止と言われても誰かが入る。そういう人々は区間を選択して歩き続けていると思う。実際は、雪見森林遊楽区を訪れる一般行楽客に開放された遊歩道の何本かが、雪見駐在所跡とか北坑駐在所跡に至るよう設えられている。今現在はそのような踏査行が妥当だと思う。

最新の古道状況の取得は林務局か国家公園管理処に電話を入れるのが一番速く正確なはずだ。試しに、ネット上で山行記録をざっと調べてみると、本当の意味での最近の記録が出て来ないので、私の予想は大方当たっていると思う。

そんな中、台北大学のパーティに依る本古道の山行記録が複数見付かった。本ブログに掲載した写真は前述したように2007年12月のものだが、台大の記録は、2008年3月と2009年12月のものである。前者は古道南端の雪見森林遊楽区から入り、雪見駐在所跡と東洗水山へのみ辿っている。その山行記録には「北坑溪古道は現在雪覇国家公園管理処に依り立ち入り禁止になっている。唯一開放されているのは司馬限林道経由して北坑山に至るコースのみである。これに違反すれば罰則が科せられる。」と明記されている。つまり、彼らは禁を破り雪見駐在所跡他を辿ってその後公園管理人にこっぴどく怒られたというわけである。

後者の山行記録では、今度は古道北端の観霧森林遊楽区から入っているのだが、路況が酷く古道入口付近で断念している。台風とそれに伴う水害は毎年発生するわけで、この雪山山脈の中の遊楽区は一体何時開放されているのか?というより、そこへ至る自動車道が何時開放されているのか?は全くの謎で、私には幻の土地である。

ところで、この観霧が嘗ては茂義利と呼ばれていたことは、以前の本ブログ記事「霞喀羅古道−11:北坑渓古道」で触れたが、日本時代に漢字が充てられていたか?或いはカタカナ書きだったのか、長い間判らなかった。今は私の手元にもある『臺灣地形圖新解』を見ると、両方で記載されている。(続く)
ラベル:台湾 台湾古道
posted by 玉山 at 00:00| 台北 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 北坑渓古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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