2011年02月12日

北坑渓古道−7

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【写真説明】左写真は苗栗県泰安郷象鼻村付近の大安渓に掛かる象鼻吊橋、同写真右側が上流、同村の大安(テモクボナイ社)・永安部落(マビルハ社)(同写真左岸側)と象鼻部落(右岸側)とを結ぶ。日本時代にも同地に鉄線橋が掛けられており、その橋柱が現在のもののすぐ隣に現存しているのには全く驚かされた。それが中央写真、「大安」までは読めるがその下には恐らく「橋」と刻まれていたものと思われる。右写真は同吊橋上から象鼻部落方面。写真に写る山の稜線が象の頭を想起させると思うのだが、俄かには判じ難い。

中央写真のもう一つの橋柱には「○○○十六年一月●●工」と刻まれている。○○○の部分には元々は「昭和」と刻まれていたはずだが、「民國四」と稚拙に彫り直されている。つまり少なくとも昭和三十年代までは日本時代の橋柱は使用されていたということになる。又、●●の部分は「重建」と刻んであるようだが、元々は多分日付け+「竣」が刻まれていたのではないか?「民國」年号に換えた際に改竄したものだと思う。

まあ、そんな詮索はどうでもよくて、橋柱が銘入りで残存しているところが良い。近くに木製の案内板が立てられており、「象鼻鉄線橋は長さ三百メートル、日本時代に掛けられ大安・永安部落民の外部への唯一の出入口であり、且つ、当時大安渓に掛かっていた唯一の吊橋であった。」という説明が施されている。

同じ橋の袂に、もう一つ「象鼻古道」の指導標が立っていた。当時は気にも留めなかったが、メモ代わりに写真にはだけ収めていた。今、市販地図帳と『臺灣地形圖新解』を比べると、この古道、日本時代の警備道の一部だったことが判る。この警備道は、当象鼻村と「北坑渓古道−1」で述べた司馬限林道へ入る為の検問所がある町、苗栗県泰安郷中興村、当時、細道邦と呼ばれた場所を繋いでいたものである。今もこの間は、通称中象道路と呼ばれる自動車道で結ばれており、現在の自動車道が旧警備道と重なっていない部分は、前述の「象鼻古道」とか「細道邦古道」とか称されているのが、市販地図帳で確認出来る。尚、象鼻部落上方にも砲台は置かれていたことが、『臺灣地形圖新解』を見ると判る。(北坑渓古道:終わり)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 北坑渓古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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