2011年04月16日

内本鹿越嶺古道

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【写真説明】台東県延平郷紅葉村は、紅葉、清水、楓、嘉嘉代、桃林、橘、寿、常盤、朝日、出雲。。。と中央山脈を超えて高雄県六亀に抜ける内本鹿越嶺古道の東側起点である。延平郷はブヌン族が集中して居住する地、紅葉村を有名にしているのは、温泉と今は台湾500元紙幣の図柄にもなっている紅葉少年野球チーム(紅葉少棒隊)である。前者は2009年の八八水災で壊滅的な被害に遭っているはずだ。後者のエピソードは台湾に興味のある方はよくご存じだと思うので省く。私がその紅葉少棒記念館を訪ねた時には館内に王健民の等身大のポスターが掛けてあった。その記念館の裏手、一段高くなった道路の向かい側に派出所がある。その派出所の裏に廻ってみたら、何と、日本時代の駐在所そのままの建物が残っており驚いた。

失礼ながらつい最近まで、昨年のクリスマス前に東京在住のOJさんが成し遂げた快挙を本ブログで紹介するということを思い付かなかった。今この時点でOJさんは再び彼の地に戻り山中にいらっしゃるはずである。そのことをG博士を通じて知り、本ブログでまず前回の快挙を読者の皆さんに紹介する為に、「内本鹿越嶺古道」カテゴリーを作った。

齢(よわい)61にして山中22日間、私の知り合いの台湾人登山ガイドの方に話したら「超人!」と即座に反応された。本ブログでも多くの記事の中で紹介してきた日本統治時代に台湾山中に分け入った先達もさぞかしびっくりするだろうと思う。

その踏査記録『内本鹿へ《ブヌンの人々と共に》』はOJさん自身のブログで2月4日以降(踏査行前の部分は1月22日の記事から)毎回紹介されているので、是非閲読してみて欲しい。

今回の快挙以前、確か二度(或いは三度?)、台風でコース途中が崩壊した為「敗退」なさったと聞いている。今回は、内本鹿越警備道上の駐在所で奉職していた時期のことを綴った『遥かなるとき 台湾』の著者青木説三氏の御子息(と言っても、もう70歳を越しておられる)もご一緒に入山されたそうだ。

内本鹿越嶺古道は本ブログでは殆ど触れられていないが、別ブログ「台湾百岳」の卑南主山の部分で西段側について若干書いているので参照して欲しい。

いずれにしても、賞賛半分、羨ましさ半分である。このカテゴリーについて記事を追加するには私もOJさんの後塵を些かでも拝した後である。一旦、このカテゴリーはここで閉じることにする。(終わり)
posted by 玉山 at 14:22| 台北 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 内本鹿越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
昨晩帰国いたしました。

私のブログを紹介して頂きありがとうございます。思いがけない驚きと嬉しさでいっぱいです。

紅葉村派出所裏の日本時代の駐在所の建物、私は知りませんでした。青木氏の御子息が生まれた頃(1938)、駐在所は警察職員の為の保養所である紅葉渓(もみじだに)山荘と共に鹿野渓縁(八八水災で屋根近くまで土砂に埋もれた現在の紅葉温泉施設の場所)にありました。後、上の集落内に移遷されたそうです。

今回は青木氏の御子息のお供をしての5日間の楓(ブヌンは“カイリ”と呼称)行き、御子息が帰国後に2週間の壽行きでした。楓行きは前半と後半の一部は古道を歩きますが、中間は古道が崩落して通行不可で、河原を歩き蛇行する強い流れを10回程渡り、道のない斜面を登ります(初回は水量が多く、2回めは天候不良で断念)。壽行きは全く古道を通らず、壽の入り口で常盤に通じる古道を見るだけです。常盤への古道は“好走(歩き易い)”と言っていましたが、それも八八水災の前の話で今は分りません。

この年末は『内本鹿10周年』で桃源村の有志は壽、ワハラシ行きで30日間の行程を計画しているようです。
Posted by メイウェンティ at 2011年05月12日 12:06
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